未来と向き合い平和について考える~大学生協の戦後70年特別企画~

楢原泰一さんインタビュー

◎考えの変化〜もし自分がそこにいたら〜

楢原泰一さんインタビュー

楢原
今日は当時のノートを持ってきたのですよ。これは私の原点になることですから。
(Peace Now!参加当時のページを見て)ずっと議論なんですよ。だから、やはり、最初自分の意見がなかった人もいろいろなことを学んでちゃんと意見を言えるようになってきたのかもしれませんね。その中で私は考え方が変わっていったのです。

井上
議論をする中で、具体的にどのように変わったのですか。

楢原
今ご存命か分からないのですが、ある被爆者の方が私たちのためにお話をしてくださった内容が、非常に心に刺さったのです。その方は爆心地から1.8キロのところで被爆しており、被爆後の生活の中で、差別があったり、自分の希望や夢があってもなかなか叶わなかったり、国のサポートもないという中で生きてきたということがすごく辛かった、というお話でした。その一つ一つを頭に思い浮かべると、もし自分がそこにいたら同じことになっているんだ、そういうことはあってはいけないんじゃないかと、自分の中では思うようになりました。核兵器がなくならない限りこういう危険性は持ち続けるんだと思えるようになったのだと思います。
その方のお話を聞いて、非常に心を打たれて、それまでの考え方じゃいけないなと。そういう経験を持って生きてきた方の前で「核は必要ですよね」なんて、その方の人生を否定することにもなりかねませんし、あってはならないのだと。それで議論をしていく中で、さらにその想いが強くなっていったということだと思います。

菊池
今年度のPeace Now!Hiroshimaでは平和記念式典にも行き、平和記念資料館も見に行きましたけれども、実際に核がいるかどうかという議論には至らず、それを経て、自分は平和に向けて何ができるだろうかという、核というよりはもっと平和について考えるという内容になっていました。当時はもっと核がいるかどうかの議論をしていたんですね。

楢原泰一さんインタビュー

楢原
そうですね、もちろん平和って何なんだろうという議論もしていたと思いますが、どちらかというと核がいるのかいらないのかという議論になったという記憶がありますね。その頃、時代背景は…、僕が行ったのは94年なのですが、確か日米ガイドライン見直しが大きな政治テーマである時だったかもしれませんね。だから、核の傘だとか、核武装だとか、核抑止などの話が新聞紙上に出ていました。いろいろ揺らいでいた時代で、自民党政権ではなくなり、55年体制が終わったときだったと思います。野党で細川連立内閣ができたときで、いろいろな議論をしていた時代でした。その上で、じゃあどういう社会がいいのだろうか、どういう状態が平和なのだろうかという話をしていて、じゃあ、そこに近づくために私たちは何ができるのだろうかという議論もしていたような気がします。
最初からどんな活動ができるかという話はしていなかったような気がしますね。多分、難しいんじゃないですかね。実感を伴わないで話をしているところがあるから、まずはちゃんと知るべき事実を知っていただいて、そこから思ったことについて話し合うことをしていく。そういう道筋があったような気がしています。

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