未来と向き合い平和について考える~大学生協の戦後70年特別企画~

楢原泰一さんインタビュー

◎社会人になっても平和活動を続ける理由〜被爆者の方と約束〜

楢原泰一さんインタビュー

菊池
“Peace Now!”に参加された後の活動を伺えたらと思うのですが、“Peace Now!”に学生のときに参加されて、その後すぐ、ご自身としてどういうふうに感じられ、どのように動かれたのでしょうか。

楢原
94年、私が関わっていた90年代半ば頃は、明治学院で生協運動が盛り上がっていた時期だと思います。多岐にわたって運動し、平和運動についても非常に旺盛に取り組んでいた時代でした。先輩たちも毎年広島に来て、後進の指導に当たっていました。
指導というとちょっとおこがましいのですが、“Peace Now!”というのはどうしても限界があります。行けるところも限りがありますし、時間的にも制約があるので、終了後に必ず後泊というのをやっていました。明治学院の参加者が残り、例えば行けなかったところを見に行くのが主ですけれども、議論をさらに深くしていきました。昼間は平和公園の外のフィールドワークをやったり、夜はみんなで議論する機会をつくりました。
広島は毎年、長崎は3年のときに行きました。なかなか1年を通した活動として続かないところが課題ではありましたけれども、その時期になると下級生を連れて一緒に行って、またさらに自分なりの意見を考えられたり、また新たな発見をしたり。そういうことをして4年間過ごしました。

普通ですとそこで終わるのが多いと思いますが、私は被爆者の方と約束をしていました。最初にお話を伺った被爆者の方が最後に「被爆者一人ひとりが聴衆に話をするのはなぜだと思いますか?」と問いかけられました。私は分からず、黙っていました。そうしたら「皆さんに私たちの経験を語り継いでいってほしい。語り継げないのだとしても、何でもいいので、何かしら一つでもいいから、感じたことを伝えていってほしい」というお願いをされました。私は「分かりました。少しでもやれることをやってみます」というふうにその方にお約束をしました。
たまたま来ていただいた被爆者の方との約束ではありましたが、その約束というのはよくよく考えると多くの被爆者の方と約束をしたとことなのだろうと思いました。

楢原泰一さんインタビュー

社会人になってからも8月6日は必ず広島に行くようになりました。最初は8月6日近辺にしか行っていなくて、やはりなかなか観光気分が抜けませんでした。実際、自分で行くだけですからインプットだけでアウトプットする機会がない、そんなことがずっと続いていました。
私は今、百貨店に勤めておりまして、昨年までそこの労働組合で執行部をやっていました。労働運動には当然平和運動もあります。労働運動ができるのも平和な社会があってこそ。だから、平和運動をやるのです。その中で、運よく広島でセミナーを組む機会を得ました。被爆61年目、前の年がちょうど60年だったものですから、広島で実際に平和セミナーを行いました。その中でセミナーを企画し、ガイドもやりました。
そそれがきっかけになってアウトプットするようになり、広島のいろいろな方とのお付き合いの中で「ヒロシマピースボランティアというガイドがありますよ」と教えていただきました。それはまさに被爆者の方との約束を果たす千載一遇のチャンスだと思って、やってみる決心を固めました。

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