堀潤さんインタビュー

社会への発信が重要だと感じ、現在、8bitNewsなどで活躍している堀潤さんにインタビューをしました。メディア人として、社会に対して何ができるのか、壁は何か、1人1人にどんな力が必要なのか、お話いただきました。

インタビュイー

堀 潤さん
(キャスター)プロフィール

聞き手

  • 小島 望
    (全国大学生協連 学生委員長)
  • 小林 和通
    (全国大学生協連 学生委員)

堀氏 就職までのお話

大学生協は、大学生が社会に出ていく、卒業して自分が社会の一員として、もっとかかわっていく存在になっていく中で、なんとなくで大学生活を過ごしてほしくない。社会的課題に目を向けてほしいと思っている。
堀さんは、発信したいと思っている若者のためのシステムをどう作ってきたのか、若者に伝えたい。
まずは、堀さん自身の仕事と経緯のお話をお聞かせください。

どこから話しましょうか、きっかけからですかね。
僕が大学生の時、約20年前、その頃は世の中終わってるなと思っていた。何の希望もない、不景気、バブルが崩壊して、自殺が増えて、正社員がリストラされて、追い込まれて、リストラする側も心を痛める。阪神淡路大震災、オウム真理教の事件。みんなは生まれる前。イメージある?

僕が生まれる前。怖かったんだろうなとか、遠いイメージ。

あの教団に入信した世代は、みんなとそんなに変わらない。20代30代。最終的には犯罪に手を染めてしまった。
政治もぐちゃぐちゃだった。今までは自民党対社会党。いわゆる55年体制も壊れ、新しい政党が立ち上がった。政治は混乱している、景気は低迷している、社会不安は増大している。
その中で、マスコミが終わってた。犯罪者じゃない人をあたかも犯罪者のように報道してしまった。マスコミの過熱報道で、いろんな人の人権が傷つけられた。
情報はすごく身近なものだから、マスコミが終わってるっていうのは最低だと思った。こんな世の中早く終わってしまえばいいのにとか、マスコミなんてなくなればいいのにと思っていた。
僕の大学時代の研究は、ナチスドイツと、大日本帝国のプロパガンダだった。
政治的なメッセージを一方的に、あたかも違うもののようにして、伝える。大衆を洗脳、啓蒙、教育していく手法。かつてのプロパガンダといえば、ナチスのヒトラー政権のユダヤ人の虐殺。ナチスは映画、音楽、新聞、ラジオで徹底的にやった。その技術を太平洋戦争をしていた日本に輸入した。そのころのメディアもひどい。大本営発表で、戦争に負けてるのに、勝ってますと言っていた。実際には逆で、日本海軍がおされているとか空襲の危険が迫っているとか。
そういう不幸な歴史があった。
それって怖いよね。でも、それに異を唱える人は非国民にされた。そういう時代があった。なんとなく社会を、大学生の時にやだなって見てた世界は、メディアの情報発信に対して、おかしいんじゃないかと思っていた。もっと本当のことを言ってほしい、ちゃんとしたこと伝えてほしい。誰かに洗脳されているんじゃないかと感じていた。
そこで、戦後の日本とドイツを比べた時に、西ドイツは、自分たちでヒトラーを生んでしまった反省、教訓から、二度とそういったことをなくすために考えた。
ところが日本は戦前と戦後はぬるっとしている。戦前の大メディアは、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞と、ラヂオの日本放送協会。戦後も、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞と、日本放送協会。戦前と戦後がきちんと継承されないまま、誰も責任を取らない。プロパガンダの手法は受け継がれている。そこで大学生の時に、この国が良くなるためにはメディアが変わらないとだめだなと思ったので、NHKに入った。自信というか、希望があった。当時デジタル放送が始まるころだった。デジタル放送は双方向でやり取りができる。プロパガンダが効きにくくなると思っていた。放送局が「Aですよ」っていうことに、え、「Bじゃない?」と返ってくるシステム。今までは言えなかった。「Aですよ」「Aが正しいですよ」と発信して、そして戦争に負けた。もし、デジタル放送が始まって、「違いますよ」「Aだけじゃない」「Bもありますよ」と返ってくるようになると、大きなメディアのプロパガンダを変えられると思っていた。今こそ日本のメディアは双方向性が必要で、社会を前進させるなら、仕組みを作りましょうとプレゼンして入った。それが活動の原点。
要は、情報が流れてきます。「あ、そうなんだ」っていう社会はやられっぱなし。逆に「違うんじゃない?」「こっちもある」といった打ち返しがあると、なんとか対抗できる。