津田 大介氏

社会の不条理に対してはクリティカル・シンキングを持ってほしい

社会問題について伺います。大学生協も長年平和活動や環境活動や国際貢献活動に取り組んできました。大学生のSDGsの認知度は8割を超えています。例えばNO YOUTH NO JAPANの能條さんなどは非常に特徴的かと思うのですが、大学生の中でも社会的課題に取り組む人が増えてきました。改めて大学生が社会的課題について知り、実際に取り組むことの意義や価値、それがその後の人生に与える影響について、津田さんのお考えを伺いたいです。
全国大学生協連調べ

僕も去年まで大学で教えていたので、大学生と話す機会も多かったのですが、はっきり言って僕自身が大学生だった時に比べて今の大学生のほうが優秀だし、真面目に勉強していると思います。ただ他方で今の大学生や高校生と話して感じるのは、実際に決められたルールからの逸脱ということに対して、すごく抵抗感を持っていることだと思うのですよね。
別に自慢できた話ではないけれど、僕らの頃は大学に行かず、全然授業なんか出てなかったわけです。でも僕が大学の教員をやっていたとき、出席を取る授業などは一つもなかったけれども、出席を取らなくてもみんな真面目に来るわけです。すごく素直で、ルールに対する逸脱の怖さというのが多分あるのだと思うのですよね。それは別に悪いことだけじゃないですよ。もちろん、いいこともたくさんあるのだけれども。
他方で社会に出てみると様々な不条理が山ほど眠っている。でも、その社会の不条理とか歪みみたいなものは、それが元々維持されてきているということである種ルール化しまっている。で、ルールというものは明文化されているものばかりではなく、暗黙のルールになっているものも結構たくさんあるわけです。例えば選択的夫婦別姓の問題でいえば、今日本は先進国の中でも夫婦同姓をあらゆる夫婦に強制していますよね。男性の姓でも女性の姓でもどっちでも名乗っていいわけですが、結婚するときにどちらかの姓を選ばなければいけない。原理的には、男性が女性(妻)の姓を選んでもいいのですが、現実には96%が男性(夫)の姓を選んでいます。
どちらかを選べるのに、慣習的なものでほとんどが男性の姓を選んでしまっている。そのこと自体が女性を結果的に抑圧してきたということ、社会の在り方を決めてきたということに対して、今若い女性を中心に声が上がってきているわけです。でも、「どっちも選べるのだけれども、結果的に96%が男性の姓を選んでいるのだから、それは社会の慣習とかルールというものじゃない?」と思考停止すると、問題はいつまで経っても解決されないわけです。
僕は若い人に期待しているので、自分たちが暮らしている社会のルールや慣習みたいなものに対するクリティカル・シンキングを持ってほしいと思います。世の中を批判的に見て、なんでこのルールがあるのだろう、ルールそのものが不適切ではないか、時代に合致しないのかと思ったときに声を上げてほしい。
その点でいうと、今若いZ世代とかが気候の問題などで声を上げはじめているというのは、すごくいいことだと思うのですね。しかも、それは彼らが一番の利害関係者だからです。我々より上の世代は、別に自分たちが死ぬときには環境問題はあまり関係ないけれども、これからの若い人ほどどんどん環境問題の被害が大きくなっていくわけです。だから未来という時間軸で考えたときに、一番の利害関係者は若い人になるのです。今から若い人が必死に声を上げるというのは、当然すごく理にかなっているというわけです。
世の中ってね、特に僕らの若い頃だと、「社会にはいっぱい不条理がある。それでも、それが社会というものだから折り合いつけてやっていきなよ」という考えが当たり前にあったわけです。それが当たり前だったと思うのですが、でもおかしなルールというのは変わっていくわけですよね。実際、このオリンピックをきっかけにいろいろと日本のおかしなところが今噴出しているわけで、これは本当に変えていかなくてはいけないでしょう。「どう考えてもおかしいよね」というような日本の慣習とかルールを大きく変えていくためには、日常的に自分たちの生活を規定しているルールとか環境について「これそもそもおかしいかな?なんでそうなるのかな?」ということを考えるようにすれば、それが必然的に社会問題に対して声を上げていくこととつながると思うのですよ。それが大事だなという気がしています。

「一番の利害関係者」という言葉がすごく印象に残りました。気候の問題や奨学金の問題、ジェンダー性差別に声を上げる人たちがなかなかまだ応援されない、それどころか罵倒されてしまうようなこともあります。それは発信の仕方に問題があるからたたかれてしまうのか、ほかになにか原因があるのでしょうか。

どうでしょうかね? ……発信の仕方とか言葉遣いになにか問題があってたたかれるのかもしれないのですが、でもまあ、結局、すべての人が納得できることはなかなかないのですね。誰もが皆納得してくれるというような意見はあまりないわけです。誰もが納得してくれる、多くの人がある程度納得してくれるようなものは、それだけ意見としてはつまらないものだったりもします。やはり表現するということは、どこかで誰かを不快にさせたり傷つけたりするものなので、そのことも引き受けて表現をするということが多分何より大事なのだろうなと思います。

成功率5%、その成功例が尊い

津田さんは『ウエブで政治を動かす!』という著書の中で、一人ひとりが責任をもって国づくりに参加できることや、自分事・当事者意識を持つことが今求められていると伝えていらっしゃいます。
今年は衆議院選挙が行われる年であり、一人ひとりが投票行動で直接意見を伝えられる機会になります。10~20代の投票率は、18歳選挙権が認められてからも残念ながら約3割という状況ですが、若者が投票することによってすぐには全て変わらないかもしれないけれども、僕たちは投票行動が一人ひとりが生きたい社会の実現につながると思っています。「どうせ何も変わらないよ」と思っている若者もいると思いますが、そういった人に対して、ぜひメッセージを頂きたいです。

なにか「期待しすぎ」をデフォルトにするとつらくなってしまうんじゃないでしょうか。冷静に考えれば若い人がみんな投票に行ったって、人口動態的に高齢者のほうが多いわけですから、そうするとやっぱり若い人より高齢者の意見のほうが政治には反映されやすいという現実はある。だったら行かなければいい、というわけでもなくて、要するに投票というのはすごく大事な行為なのだけれど、投票でできることというのはやはり限界があるわけです。
でも、社会問題や政治に関わるという行為は投票だけではないので、やはり民主主義を生かしていくには、選挙の時以外に何をやるのかというものも結構大事なのですね。例えば今回の国会では、入管法改正案が廃案になりましたけれども、あれって今まではごく一部の入管の問題に取り組んでいる市民運動とか、弁護士とかだけの、本当に閉じた世界の話でなかなか社会問題として表面化してこなかった。でもそれがソーシャルメディアなどを使って発信されると、関心を持つ若い人も増えて、実際にそういう人たちが全国各地でデモをやったり、ネットで情報を発信したりすることで広がり、これまでにないほどこの問題が注目されていきました。それがテレビやマスメディアで取り上げられるようになると、今度は国会の質疑で取り上げられるようになって、それで結果、普通だったらまず通るはずだった入管法改正が通らなかったということが起きています。あれは選挙結果とは違うけれども、若者が動いて声を上げたことが一つの、それが全てではないけれどもきっかけになっているわけですよね。
投票に行くのも大事だけれども、投票で全てが変わるわけじゃない。他方、いろいろな形で声を上げても、結局国会の中の政治的な思惑でそれが通らないこともあります。だから“投票”も“声を上げること”もどちらもやるということが大事だと思うのですよ。そういうのって結局、100回やってもうまくいくことなんて、せいぜい数回だと思います。就職活動もそうかもしれませんが、結局100回やってたまにそういうふうにうまくいったりするときに、その成功体験みたいなものが次への原動力になりますよね。けれども、100回やって、例えば5回しかうまくいかないのだとすると95回失敗するわけで、そうすると確率的には、10回連続で失敗することもざらにあるわけです。多くの人は10回連続で失敗すると、そこで心が折れてもう続けられなくなってしまう。でも、そうではなくて、「世の中が自分の思っているいい方向に変わるなんていうのは、数%ぐらいしかない」というのをデフォルトで考えておけば、失敗がそもそものデフォルトだけれども、だからこそ5%でうまくいったときの成功が尊くなるわけです。自分の仕事もそういうものだと思っているんです。だからこそそういうことが起きると非常にうれしい、充実感みたいなものがあるので、そのために頑張るわけでしょうね。だから、失敗をデフォルトに、淡々と関わっていくのが大事だなと思います。

どうしても目先のところに結果を求めて、そこでつまずいて「やっぱり意味ないじゃん」というふうに短絡的に考える若い人も結構いるなと思います。そこは今津田さんがおっしゃったように、あまり期待値を上げ過ぎないように、地道に継続してやり続けることが一番なのですね。

それをやっておくと、「次はこうできるな」、というのが見えてきます。何度もやっているうちにね。

「100回やって、成功は5回くらいだよ」というお話がありましたが、ご自身の中でそういった経験やエピソードがありましたか。

この話は、別に社会を変えるだけじゃなくて、営業にも当てはまると思うのですよね。例えば、自分の会社を作ったときとか、あるいはそのメディアを大きくしていく時に、自分たちの作っているものを買ってもらうために営業をしていくわけです。そういうときには、とにかく買ってくれるかどうかも分からないけれども、こういうところだったらもしかしたら欲しがってくれるかもしれないというところにひたすら出すわけですよ。何百と営業して売り込みをかけるわけです。そうするとやっぱり9割は何の音沙汰もないのですが、1割ぐらいは返事が来る。返事が来たら実際に会いにいって話をする。するとそこの半分ぐらい、だから5%ぐらいがチャンスを与えてくれたりするわけです。それによってまた新しく広がっていったりする。それはあまり時間軸関係なくやれればいいので、自分の中では最初からそもそも数%の確率。
でも、300やったら30返事があって、その中で15が新しく次につながっていくというのが自分の経験則として残りますよね。それは自分の仕事を広げていく営業でもそうだったし、例えば自分がイベントをやったときの協賛を集めるときもそうだった。だいたいそんなものなのですよね。それを自分の実体験として知っているから、断られても別に“想定内”。9割は断られると知っているから、そんなことでいちいち落ち込んだりはしない。だから、積極的にそういう失敗体験を、失敗というか断られる体験を早くしておくというのが大事だと思います。

今のお話で、すごく元気が出ました。この記事を読んでくれる大学生世代も、今の津田さんの言葉できっと元気になるなあと思いました。

失敗を怖がるというのは、先ほどの「ルールからの逸脱に抵抗感がある」という話ともつながり、結構自分にも当てはまるかなと思いました。高校や大学でずっと競争を強いられてきて、社会で失敗するイコール負け組と言われる。そういう人生は良くないとされてしまう風潮がまだまだあるような気がしていましたが、一人ひとりが自分らしく生きていくとか、自分が目指すものを強く持って行動していくということが大事なのだと改めて思いました。