激甚災害支援・防災

神戸から東北へ そして、世代を超えて繋がる

阪神淡路大震災より20年

6434人の死者を出し、全半壊24万9180棟に及んだ未曾有の大震災、 阪神淡路大震災から20年経ちました。 大学生協では、去る1月17日に神戸の地において 「阪神淡路大震災20年メモリアル」を開催しました。 震災を振り返ると共に、このメモリアルを紹介します。

学生の被害と 大学関係の被害

阪神淡路大震災では、神戸大学の39人をはじめ、31大学で111人の学生が亡くなりました。就職も決まり、社会人として飛び立つ目前の学生がいました。地震直後下半身が埋まり、仲間に助けられている最中に火が回り、焼死した学生もいます。これからの未来と、「生きたい」という想いを突然絶たれた彼らの心中はいかばかりだったでしょう。

16名の学生が亡くなった甲南大学では、大学自体の被害も甚大で五つの建物が「使用不能」となり、教室の約6割が消失しました。その他、大手前女子大学(現・大手前大学)の本館が完全に崩れ落ちるなど、多くの大学で被害が発生し、学事・教育に大きな打撃となりました。

大学生協でも大手前女子大学生協の店舗は押しつぶされ、多くの生協において店舗や食堂で棚の倒壊や設備の破壊があり、被害総額は営業損失を含め2億円を超えました。

翌々日から開始された 大学生協の全国的な支援

大学生協は震災発生直後の19日には、全国大学生協連と神戸事業連合(当時)を中心に現地対策本部を設置し、全国の大学生協と共に、多彩な支援活動を展開しました。

支援の内容は、別掲《表1》の通りですが、とりわけ仮設学生寮の建設・運営と、ボランティア募集とその活動は、被災地と被災学生への大きな支援となりました。

多くの下宿が倒壊し深刻な住居不足の中で、全国大学生協連が中心となり、5カ所に全224室の寮を建設、2年間運営しました。その内、芦屋の58棟は、徳島県の林業関係者の協力により、間伐材のミニハウスとなり、大きな話題にもなりました。

神戸には被災者支援に多くのボランティアが駆けつけ、その後1995年は〝ボランティア元年〟と位置づけられるようになりました。大学生協としても、初めてボランティアセンターを2カ所に設け、全国からの学生を受け入れ、避難所などでの活動を支援しました。駆けつけた学生は1200人に及びました。


※募金の残金はすべて日本赤十字の「東日本大震災義援金」に募金しました。
※ボランティアは、現在も春休みと夏休みに継続しています。

神戸でのあの日 東北のこれから


学生や阪神淡路大震災の体験者が集いました

2011年3月11日に発生した東日本大震災では、今なお23万4千人の方たちが避難をされています。〝奇跡の復興〟とも言われる神戸では、被災された方たちの心の痛みは続き、理想とした町づくりで苦闘しているところもあります。

そのような中で、「阪神淡路大震災20年メモリアル」(以下、メモリアル)が、「大学生協大阪・兵庫・和歌山ブロック」、全国大学生協連、認定NPO「樹恩ネットワーク」の3者による主催で、大学生協神戸会館で開催されました。単に20年を振り返るだけでなく、阪神淡路大震災での大学生協の経験が、どう東日本大震災に生かされているのか、東北での現状を知り今後どう生かしていくのか、をテーマに行われました(別掲のプログラム参照)。

阪神淡路大震災当時、全国大学生協連常務理事であった小林正美さんは震災の翌日に神戸に着き、以後2カ月間大学生協の事務所に泊まり込み支援に当たりました。小林さんは、基調報告の中で当時を振り返り、「間髪を入れない初動、被災地での現実を直視した上での現場主義、組織立ったネットワークの大切さ」を痛感したことを教訓に挙げ、今後の大震災の際に、大学生協が日本で唯一学生のパワーを全国的にネットワークできる組織として、その期待を寄せました。

同じく当時、神戸商科大学生協の専務でボランティアセンターの立ち上げと仮設学生寮の運営に尽力した寺尾善喜さんは、神戸の復興が大学生協をはじめ多くの人たちの支援によるものと感謝し、加えて体験者としてそれらの経験や知恵を次世代につないでいく必要性を強調しました。

また、当時は学生で、大学生協として初めてボランティアセンターの運営を任された姫野恭博さん(現:京都教育大学生協専務理事)は、当初は暗中模索で、そのうち全国から集まって来た学生たちが自発的に活動の場と実践を積み重ねていったことに感動し、そして現在東北で行われている大学生協のボランティア活動が非常に組織立っていることに感銘を受けたと語りました。

そして、東日本大震災について、板垣乙未生さんと5人のパネラーの方たちから、被害の実態や被災地の現況、ボランティア活動の経験などの報告がされました。直面する現状の報告を受け、参加者は4年目を迎える東北への支援へ想いを新たにしました。

「阪神・淡路大震災20年メモリアル」プログラム

13時開演〜17時終了

◎基調報告

小林 正美 (樹恩ネットワーク副会長) 阪神淡路大震災当時:全国大学生協連常務理事 

◎東北からの報告

板垣乙未生 (大学生協東北ブロック東日本大震災復興再生タスク代表) 東日本大震災時:大学生協東北ブロック運営委員長

◎パネリストからの報告

寺尾 善喜 (阪神事業連合専務理事)
   阪神淡路大震災当時:神戸商科大学生協専務理事 

姫野 恭博 (京都教育大学生協専務理事)
   阪神淡路大震災当時:大学生協ボランティアセンター事務局

吉岡充代子 (前全国大学生協連学生委員長) 前:大学生協ボランティアセンター長

小林 亮介 (近畿大学学生)宮城県名取市のボランティアに参加

厚喜 裕斗 (近畿大学学生)        〃

星 真由美 (七ヶ浜ボランティアセンター・コーディネーター)
   大学生協のボランティア活動をサポート

遊佐 弘  (東松島・住民) 東松島市で被災、自宅が大規模半壊
   現:社会福祉協議会仮設住宅訪問支援員

◎パネルディスカッション  

神戸から 東北へ 世代を超え繋がる

阪神淡路大震災で初めて本格的なボランティア活動を進めた大学生協は、東日本大震災では直後に現地に先遣隊を送り、仙台市にボランティアセンターを設置、4月初旬より全国の学生に呼びかけ、宮城県七ヶ浜町を中心にボランティア活動を進め、現在も春休みと夏休みに行っています。

大学生協の生命共済は、一般的な保険と違い地震や津波での被害においても保障されます。東日本大震災では共済金の申請を簡便な方法にするなどの機敏な対応をとることができ、多くの申請を受けました。

そして、間伐材製のミニハウスを寄贈していただいた徳島県の林業関係者と大学生協では、その後も学生を含めた交流が続き、他地域の団体や有志と共に、1998年に樹恩ネットワークを設立しました。この樹恩ネットワークは、都市と農山村の交流や森林を守る活動を進め、日本でも名が知れる環境NPOに育ちました。東日本大震災での大学生協ボランティアセンターでは、当初より学生たちのコーディネーター役を果たし、その後の全タームの活動を支えています。

メモリアルでは、阪神淡路大震災の経験や成果が東北支援につながり、大学生協の若い職員や学生たちに着実に引き継がれていることが確信できました。  日本列島は多動期に入ったと言われています。今後も学生や大学をはじめ震災時での支援に、これまでに大学生協が積み重ねて来た教訓や成果を生かすことが強く求められています。

(編集部)