座・対談
「多様な視点で考える」温 又柔(小説家) P2


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4.音で表現する

杉田
 温さんは言葉をご両親から「音」として聞いていたんですよね。表現の方法として、歌詞や詩のほうが音との親和性は高いのかなと思ったのですが。


 文字にすると音は聞こえなくなるけど、なるべく音が聞こえる小説を書きたいと思っていて、それで完成したのが『来福の家』です。『来福の家』を書き上げた後にたまたま朗読の依頼をいただいたのですが、そこで「『チョコレート』と『巧克力』、『牛乳』と『牛奶』、どっちが美味しそう?」というシーンを読んでみたら、みなさんから反応があったんです。「文字だとよくわからなかったけど、音にするとこんな響きなんだね」と言っていただけて。それ以来、声を出すのを前提にしたテキストを定期的に書くようになりました。

杉田
 音楽や詩ではなくて朗読なのですね。


 私は詩人のことをとても尊敬しているので、自分ではおいそれと詩が書けると思っていないんです。ですから、私は詩ではなく声に出して読むテキストを、楽譜気分で中国語や台湾語なども混じり合った日本語を書くことにしています。

杉田
 私は中国語を習ったことがないので、ピンインで書いてあるとなんとなくわかるけど、楽譜からぜんぶ再現できるほどは分からなくて……。温さんはCDも出されていますよね。


 そうなんです、音楽家である小島ケイタニーラブさんとの共作です。私は自分の声を音楽として鳴らしてみたいという願望が強くあって、ケイタニーさんは文学的なことにとても前向きな方。それで2人で一緒に朗読と演奏のパフォーマンスをするようになりました。2〜3年前から「音と言葉の交換日記」という活動を行っています。二人で本を一冊選び、その本からインスピレーションをふくらませて、まずはケイタニーさんが本の感想を作曲します。そしてそれを私が聴いて、音楽に呼応する形で物語を書く……ということを交互に行って、それが作品集としてCDになったばかりです。日本の本も翻訳本もすべて含めて、読んでいると何となくわかるような気がするけど、本当は音って文字だけでは表現しきれないんですよね。世界中の音を経験しているわけではないので限界を感じながらではありますが、「未知の世界はすごく豊か」だと感じさせる本はとっても面白いと思うので、そういう方向で何かできないかなといつも考えています。

杉田
 私にとっては文字は読むものだったので、音となるとわかるような、わからないような感覚があります。


 実は私も文字にすごく囚われていました。自分の「ひらがな」にならない文章を雑音だと思っていた時期があったんです。他の日本の友達と同じように国語の時間に日本語を覚えてきたので、ある時期から日本語以外の音は日本の文章で書いてはいけないのではないかと思うようになって。そのタブーを打ち破ったときに自分の表現方法を見つけたという確信が生まれて、それ以来、自分が切り離してきた音をどうやって日本語の文章に回復させるかということを考えるようになりました。

杉田
 私は第二外国語でアラビア語を履修したのですが、先生が「アラビア語はカタカナでは書けない」と言っていました。発音は「しいて日本語で言うと」という感じになりますよね。


 外国語に触れて、自分が使っている音と全く違った音を使っている人が世界にいるんだと思うと、興奮します。日本語だけで表せる世界は、実はすごく狭いですよね。

杉田
 確かに。カタカナは直接音を表せるのが便利で、漢字は色々な読み方ができるのが楽しくはありますが。


 日本語はその二つがあるから面白いですね。どの言語で生きているかによって感じる音の波は全然別なんだろうなと想像するのが、個人的にすごく楽しいんです。私は活字でそういうことを表現したいと思っているけど、ただただ文字にひれ伏したくないという気持ちもすごくあります。文字で書いているけどこの文字が万能とは思いたくない、みたいな意地がある。日本語はルビとかカタカナとかで「ずらす」ことができるので、とても楽しいです。それで読者が減るかもしれないけど、減っても良いくらい楽しい(笑)。

杉田
 私は反対に書き言葉を過信していたのかもしれません。ずっと日本語が好きだと思っていましたが、そう言えるほど他の言語のこと知らないんです。なのにそう思っているのは、使い勝手がいいからとか、そう思えるまで育ててもらったからなのかもしれないなと。私は趣味で短歌を作っていて、表記の仕方の工夫ができるから日本語が好きだと思っていたんですけど、それではまだ出し切れなくて。


 そこがまたいいんですよね。だって今こうして話していて言葉が音で流れているけど、文字起こしをしたときに全部ひらがなだったら雰囲気が変わりますよね。かといって無駄に漢字が多いと「あいつら小賢しいぞ」みたいな(笑)。誌面に載ったときに、この楽しい雰囲気を再現するには、漢字とひらがなのバランスが重要です。そこは書き言葉の世界ですね。私の本では『来福の家』と『台湾生まれ日本語育ち』が中国語に翻訳されましたが、本を開くと全部漢字です。

杉田
 台湾の書店で本を見ましたが、どれも全部漢字なのでいかつい感じがしました。


 確かに日本語に慣れている人には漢字はすごく堅そうだって思うかもしれないけど、漢字圏に住んでいる人達は別にそう感じませんよね。そういう感覚の違いがまた面白いなと思います。

杉田
 そうですね。ハングルなどの自分が知らない文字になると、堅いのか柔らかいのかすら、わからないです。


 本当ですね。日本語で生きているから日本語が馴染みやすいと思っているけど、一旦違う視点を持つと、音と文字の関係をどうやって紙の上で再現するかを考えるのがすごく楽しくなります。


 

 

5.自分を支える一冊を


杉田
 最後に大学生へのメッセージをお願いします。


 自分の本を出させてもらうようになってすごく思うのは、自分より若い世代の方が読んでくださっていろいろと感じてもらえることがすごく楽しいということです。今日もすごく幸せです。『真ん中の子どもたち』は特に「子ども」というタイトルをつけた時点で、未来のことをすごく考えたんですね。私は80年生まれで、90年代に小学生で、2000年代に大学生でしたが、そのときにあった日本の抑圧みたいなものを感じずに若い世代の人たちにはもっとのびのびとしてほしいなと思っていて。自分の本がそのきっかけになればと思います。

杉田
 それは温さんと同じ立場の人も、そうではない人にも、でしょうか。


 そうですね。私みたいな立場の人が共感してくれて「もっと自分を誇っていいんだ」と思ってくれるのも嬉しいし、そういう友達がいる人にも「彼らって色々なものを抱えているけど、隣にいられて嬉しい」ということを感じてもらえたら冥利につきます。

杉田
 本は読んだ方がいいと思いますか。


 正直言って、無理に読まなくてもいいと思うんです。読んだ本の数だけ争っても意味がない。むしろ、身近にいる人たちに対して自尊心を持ちながらも尊敬する気持ちを持つことができれば、無理矢理、活字中毒にならなくてもいいと思っています。数の問題ではないんです。学生時代に何気なく捲った一冊の本や一行の文章が、十何年も心の支えになることもあるし。だから自分の心の支えになるような言葉を見つけるために、本に触れたらいいんじゃないかな。そういう意味で本はもっと読まれてほしいですね。

杉田
 私は娯楽的に本を読んでいますが、その中に特別な一冊があるのかもしれないですね


 特別な本との出会いが図書館や本屋さんにあるはずだから、その出会いを信じてほしいなと思っています。

杉田
 『台湾生まれ日本語育ち』の中で引文があるのも、温さんの中で大切な一文になっているからでしょうか。


 まさにそうです。自分が迷子になっているときに光を照らしてくれた言葉がありました。だから、言葉で自分を支えたいという思いがずっとありますね。

杉田
 ありがとうございました。
 
(収録日 2017年10月27日)
 

サイン本プレゼント

温 又柔さんのお話はいかがでしたか?
温さんの著書『真ん中の子どもたち』(集英社)のサイン本を5名の方にプレゼントします。下記のアンケートフォームから感想と必要事項をご記入の上、ご応募ください。
プレゼントは2018年1月31日までに応募していただいた方が応募対象者となります。
当選の発表は賞品の発送をもってかえさせていただきます。

 

対談を終えて

初めてお会いした温さんはとっても気さくでチャーミングで、対談を通してますます好きになりました。印象的だったのは「同情をしてもらいたいわけではない」「予定調和的な物語の流れで書いてしまうと気持ちが悪い」「文学は答えを出したら死んでしまう」という言葉たち。どれも温さんの作品を読んでいて感じる「安易に答えを出さず、考え続けたい」という気持ちとつながるように思いました。

杉田 佳凜
P r o f i l e

温 又柔(おん・ゆうじゅう)
1980年、台湾・台北市生まれ。3歳の時に家族と東京に引っ越し、台湾語混じりの中国語を話す両親のもとで育つ。
 2009年、「好去好来歌」ですばる文学賞佳作を受賞。11年、『来福の家』(集英社、のち白水Uブックス)を刊行。13年、音楽家・小島ケイタニーラブと共に朗読と演奏によるコラボレーション活動〈言葉と音の往復書簡〉を開始。同年、ドキュメンタリー映画『異境の中の故郷——リービ英雄52年ぶりの台中再訪』(大川景子監督)に出演。15年、『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社)を刊行。同書で第64回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。CD付作品集『わたしたちの聲音』(SUNNY BOY BOOKS)も発売中。

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コラム

創作のはじまり
ターニングポイント
文字の氾濫!?

創作のはじまり

杉田
 小説を書こうと思ったのは、読書が好きだったからですか。


 読書というよりあれこれお話を妄想するのが小さいときから好きで、4歳下の妹を相手によく物語を語っていました。

杉田
 かなり小さいときから創作活動をされていたんですね。私も書くことに興味がありますが、私の場合は「読む」が「書く」につながったような感じでした。


 そっちがね、健全なんです(笑)。私の場合は、物語を語っていて語り方がわからなくなったときに本で自分の言いたいことを確認していましたね。

杉田
 アニメや漫画にルーツはないのですか。


 小さい頃は『ドラえもん』をずっと見ていました。3歳のときに東京に来たんですけど、当時日本語が全然わからなかったから友達と遊べなくて、ずっと『ドラえもん』のビデオを見ていたんです。子どもなりに15分〜30分で完結するというストーリーのパターンに刺激を受けて、自分でもこんなふうに人にお話を聞かせたいと思ったのが始まりだったのだと思います。

杉田
 妹さんにはどのようなお話をされていましたか。


 家族の誰かを主役にしたお話ですね。

杉田
 楽しそうですね。それは何歳のころですか。


 小学校低学年くらいのときです。おままごとの延長のような感じで。

杉田
 文字を使って物語を書きはじめたのは?


 小学校5年生くらいからです。小さい頃から「文字を書くのはかっこいいな」という憧れがあって、近所の文房具屋さんで綺麗な日記帳を見たりすると「これを文字で埋めたいな」と思っていました。最初は日記を書いていましたが、そこから小説も書くようになりました。

 

ターニングポイント

杉田
 作家になることを意識しはじめたのは?


 中学生くらいかな。自分で本を読むようになってからですね。

杉田
 本を読むようになったきっかけとは?


 友達が角川スニーカー文庫とかで、『ズッコケ三人組』(那須正幹)とか宗田理さんの作品を読み始めるようになったことです。学級文庫にあったもので、面白そうな本を友達と片っ端から読んでいましたね。

杉田
 『台湾生まれ日本語育ち』によると、李良枝さんの作品を読まれたのが温さんのターニングポイントになったのかなと感じましたが。


 まさにそうなんです。李良枝の作品は私にとって決定的な出会いでした。それは大学を出てからでしたが、それまではもっと漠然と「本を出している人ってかっこいい」みたいに思っていました。大学生の頃は「書けるから書いちゃう」という、よくいる作文の上手な学生でした。いまそういう学生に会うと「きみ、一回屈折しなさい」と思います(笑)。屈折したところから、言葉との本当の対峙が始まるから。私の場合は、「書けちゃうけど、どこかで見たことがある」ようなレベルだったのですが、李良枝との出会いによって、自分の世界をきちんと立ち上げないと世界観は作れないと思い知らされました。そこから自分と言語の探求が始まったような気がしています。

 

文字の氾濫!?

杉田
 「すばる」3月号で「声の氾濫」を読みました。


 明治大学で開催された「声の氾濫」というシンポジウムで、朗読と音楽を合わせて「言葉が単なる文字じゃなくて音でもある」ということを感じてもらおうという行事でした。

杉田
 目で読みとる方が馴染むので、授業などでいちいち声に出して読み上げられるとうっとうしく感じてしまうのですが、最近は文学の朗読CDなどもあり、耳から入りたい人もいるのかもしれないなと思うようになりました。


 好みもあると思いますが、見て感じる面白さと音を聞いて感じる面白さは結構違うので。朗読をするときに最初に考えたのは「作者が出てきて自分が書いたものをダラダラ読んでもみんなが楽しいとは限らない」ということです。人に聞いてもらうからには目で追っていたのではわからない興奮を感じさせたいと思って、私の場合は運よく自分のテキストの中に非日本語的な音があったので、その音を再現できない人にとっては面白いのではないかなと考えました。

杉田
 以前台湾に行ったときに、看板が読めるのが嬉しかったんです。温さんの著作でも台湾の発音のところは繁体字なので、訳を見なくてもわかる部分がありました。それが中国の簡体字になるとわからなくなって。じっと見ていれば何となくわかるところもあるのですが。


 『真ん中の子どもたち』を書き終えたときに、読者もすごく多様で中国語の知識がある人もいれば無い人もいて、誰かに標準を合わせることは不可能だなと思ったんです。それで、自分の中の言葉や表記に対する好奇心を優先しようと、「空港時光」ではルビの振り方や繁体字と簡体字の出し方などをわざと混乱させるようにして統一しませんでした。読み手が「あれ、さっきはこの法則だったのに、いまは違うの?」ということを文字の側面から表したかったんです。

杉田
 それは気づかなかったです。


 気づかれないようにしました(笑)。語り手が日本語しか知らない場合は中国語を出すけどその人にはわからない体で書いて、中国語ネイティブが語り手の時は大体日本語で書くとか。その辺をすごく意識しました。普段生活しているときは綺麗な日本語だけを聞いているわけではないのに、文章になると全部わかりやすく書かなければいけないという雰囲気がありますよね。でも本当はもっと自由でいいような気がするので、わざと文字表記でそういうことをやろうと思っています。

 

温 又柔さん プロフィール 著書紹介 サイン本プレゼント

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