座・対談
「ことばと出会い、視野を広げる」平木靖成(岩波書店辞典編集部) P2


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4.第七版の改訂はここに注目!

資料提供:岩波書店


 今回の第七版で、具体的に何が変わったのか、注目すべきポイントなどを教えていただけますか。

平木
 今回特に重点的に入れた分野としては、東日本大震災がありましたので、自然科学の中でも地球科学や災害に関する言葉は増やしましたし、実際研究も進んだようです。ですので、自然科学だけでなく、例えば平安時代の「貞観地震」という言葉が入ったり、江戸時代の「慶長地震」の項目が詳しくなったりしています。それから医学薬学関係も増やしましたし、料理飲食関係ではエスニック料理やワインの銘柄なども格段に増えています。もちろんIT 関係も。
 全体的にはアップデートというのが辞典の改訂なので、もともとあった項目を新しくアップデートする、新しく定着した言葉を入れる、というところです。その時々にどんな分野が注目されているのかというのが改訂方針に関わってきますね。


 定着していない単語は入れないのかなと思っていたのですが、時代とともに動いているのですね。

平木
 みんなから注目されると、定着しちゃうんですよ。


 それも見据えて項目を入れているのですね。

平木
 そうですね。あともう一つ大きなところでは、基礎的な動詞を中心として、類義語の意味の書き分けを著者にわかりやすく行っていただいています。


 基礎的な単語も見直さなくてはならないとなると、第六版の内容をさらに見直さないといけないのですね。

平木
 今回「時間がおす」という意味での「おす」を新しく入れたのですが、意味的にどの「おす」に近いのか編者の先生も頭を悩ませて……。六版と比べると大分構造も変わっているはずです。「IT 関係でカタカナ語が増えたでしょう」とよく言われるのですが、実はそうでもないなと思っています。むしろ「炎上」や「投稿」など、もともとあった言葉の流用が多いと思います。新しい言葉で新しい意味を表現するのではなく、もともとあった言葉を使いまわして新しい事態を表現する方が、人間の記憶の容量的にも楽なのかなとも思います。


 類義語の判別もより一層しやすくなったと思うので、『広辞苑』を使っている人は言葉の使い分けというか、言葉への感度が鋭くなるのかなと思いました。

平木
 ぜひそうやって使っていただけたらと思います。


 今回は古語も載っているということで、一冊でマルチな使い方ができそうですね。

平木
 もともと載せてはいたんですが、今回は古語も重点的に増やしました。編者の先生の意向です。


 古語は現在では使用頻度が少ないかと思うのですが、使用頻度が少なくなってしまった言葉はどのように扱っているのでしょうか。


平木
 削除をすることはあまりありません。できるだけ不便のないようにしたいので。ちなみに一番削除されやすいのは複合語ですね。
 辞典には原則として二つの言葉を組み合わせて新しい意味が生じたら載せるというルールがあります。「あの山」「あの子」は載せないけど「あの世」は死後の世界という意味ができるから載せる、といったように。今回削除した言葉でいうと「書留小包」がありますが、これは郵便制度としてもなくなったから削った面もありますが、「書留」も「小包」もどちらも載っているので、それぞれを組み合わせれば意味がわかるということで削りました。


 今回の七版は六版よりも140 ページ増加したのに厚さは変わらないという話を聞いて、すごいなと思いました。基本的には増加していくんですね。

平木
 そうですね。第一版から第二版のときには、2万項目削って2万項目入れるということをしたそうです。そういう改訂方針を立てれば増やさないこともできるかもしれませんが、項目を削るのはかなり難しいです。それこそ古語も載っている辞典なので、今使わない言葉だからといって削るということもしにくい。昔の源氏物語を読んでも明治時代の新聞を読んでもバブル期の小説を読んでも『広辞苑』を引いたらわかる、という感じにしておきたいですね。


 ちなみに、新村出先生編の初版から変わっていないところなどはありますか。

平木
 「サボテン」はそうなんじゃないですかね。見出しが「サボてん」なんですよ。『広辞苑』では外来語はカタカナ見出し・和語漢語はひらがな見出しなので、じゃがいもは「ジャガいも」です。「サボてん」はせっけん(シャボン)と手との合成語という内容は新村語源説だと思います。


 辞書としての『広辞苑』がテクノロジーの進歩で変わってきたことはありますか。

平木
 電子辞書はやはり便利ですよね。早いですし、探しているものに直球でたどり着けます。ですから、電子版を使ってはいけないと言う気は全くありません。ただ寄り道するときには紙媒体のものの方が多くの項目が視野に入りますし、特に長い項目はスクロールしながら見ると項目全体像が見えないというのがあるので、紙だとそれをつかみやすい。どんな目的で使うかで使い分けていただけると良いと思います。


 自分の電子辞書で『広辞苑』を見ていたのですが、鳥の鳴き声が収録されていて、電子媒体だからこそ入れられる内容も特徴かなと思いました。

平木
 今回DVD - ROM 版は自社媒体としてではなく他社のロゴヴィスタから出していただくのですが、写真や音声はインターネットからいくらでも手に入る時代なので、DVD に色々入れなくてもよいだろうということになりました。ですので、六版よりも画像データは減っていますし、音声は今回収録していません。


 紙媒体の方にはイラスト付きの項目もありますが、どういう基準で入れているのですか。

平木
 基準はないですね(笑)。原則的には、言葉だけでは表現しきれないようなものはイラストを入れるようにしていますが、言葉での表現でわかるものであっても目で見て楽しいものは入れるような感じですね。たとえば目が五つで口が長いオピバニアとか。


 百科事典的な要素の強みというか、そういう楽しみ方もあるのですね。視覚的にもイラストがあるとわかりやすいです。


 

 

5.紙へのこだわり



 『広辞苑』に使われている紙へのこだわりというのはありますか。

平木
 「六版の紙の性質は変えずにただ薄くしてください」という無理な注文をしました。
 紙を薄くし続けること自体はまだまだできるそうなのですが、辞典としてめくりやすくて読みやすくて印刷もしやすいという状態を保ちながらこれ以上薄くするということだと、難しいそうです。特に文字が裏写りしない技術は、ある限界値を超えてしまうとどんどん難しくなっていくそうですよ。


 以前辞書コレクターの方のお宅をたずねたときに、昔の辞書には裏写りさせないために二枚以上重ねて間にも紙を挟んでいるものがありました。それを思うと、現在は薄い紙なのに裏写りしないというのは、すごく技術が進化したのだなと辞書を見ていて思います。

平木
 紙の「ぬめり感」は岩波の社内用語のようなものでしたが、すっかり有名になりましたね。


 外国語の辞書でペーパーバックのようなものをたまに買うのですが、ごわごわした手触りのものも多く、辞書を引いていて楽しいとは思わないですね。なので『広辞苑』を触っていると上質だなと思います。

平木
 『広辞苑』の紙は、冷たいような感じがしませんか。その冷たさもなんとなく高級感につながるのかな、なんて思ったりします。


 結構薄いのに強度がありそうな気がしますが、破れにくいですか。

平木
 そうですね。


 すばらしいですね。私は基本的には電子辞書を使っているのですが、実物を触っていると、どんどん紙媒体の『広辞苑』が欲しいという気持ちが募っていきます(笑)。


 

 

6.言葉への感度


 辞典や辞書に携わられているということで、日頃言葉に対する感度は高いと思うのですが、気になる言葉の使用法や、日常生活の中で言葉に敏感になってしまうことなどはありますか。

平木
 なんとなく「あれ?」「おもしろいな」と思うことは普通の人よりは多いのかもしれませんね。とはいえ常に言葉に対してアンテナを張り巡らせる義務を自らに課しているわけではありません。
 気になる言葉というと、「ちげえ」という言葉が生まれたときは「面白いな」と思いましたね。「ちげえ」は「違う」が元で、「違う」に関しては「違くない」や「違かった」といった俗語というか誤用がありますが、それって「い」で終わる形容詞の活用法を転用してしまっているんですよね。「違う」というのは動詞なのに形容詞系の活用をしたから「違くない」「違かった」になっているわけですけれど、終止形の「ちげえ」というのをみんなが言い始めて、「すごい! 全部活用形がそろった! 楽しい!」と思いました。基本的に言葉は変化するもので、いま仮に誤用と思われている言葉であれ時間がたてば正しくなっていったりするものなので、あまり誤用というようなとらえ方はしていません。


 語彙を増やしたいと個人的に思っているのですが、何かアドバイスをいただけませんか。

平木
 言葉との接触を増やす以外にないんじゃないかと思います。


 『広辞苑』の変わった使い方をしている方のお話を聞いたりすることはありますか。

平木
 それはあまり聞きませんが、ぱっと頁を開いたところでインスピレーションを受けて作詞や小説の参考にするという話は聞いたことがあります。


 『izumi』 は大学生向けの冊子ですが、大学生には『広辞苑』をどう使ってほしいですか。

平木
 専門分野は重要だと思いますが、一般教養の部分を、色々視野を広げるという面では、『広辞苑』的な視点が良いのではないかと思います。ネット検索では、関連する言葉には簡単に飛んでいきやすいのですが、今まで全く興味関心がなかった分野の言葉には出会いにくいですよね。ですが、そういう言葉と出会い、視野を広げることで、専門分野の知識のバックグラウンドができるんじゃないかなとも思います。そういう点で、『広辞苑』はぱらぱらめくってもらうのに良い辞典なのではないかなと思います。
 それから、とにかくネット上ではいろんな情報が得られるので、それと比べたら『広辞苑』は敵うはずもないのですが、逆に『広辞苑』でその言葉なり事柄なりのざっくりとした全体像をつかんでから次に進むというような、入り口として使っていただけると良いのではないかなと思っています。


 今日はどうもありがとうございました。
(収録日:2018年1月18日)
 

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対談を終えて

長らく電子辞書で『広辞苑』と接してきましたが、辞書の一機能としてではなく、『広辞苑』そのものの魅力を知って積極的に引きたくなりました。
あまり親しみのなかった紙媒体に関しても、紙へのこだわりや電子版とは違う活用方法を教えていただき、ぜひとも実物を我が家に迎えたいと思います。関わっている方々の熱量がこもった『広辞苑』、引く度にありがたみを噛みしめることになりそうです

任 冬桜

 

P r o f i l e

平木 靖成(ひらき・やすなり)
1969 年生まれ。東京大学教養学部卒業。
1992 年岩波書店入社、翌年より辞典部に配属。
『岩波国語辞典』『岩波世界人名大辞典』などの編集に携わる。
『広辞苑』は第五版・六版・七版を担当。

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