井伏鱒二の黒い雨。作品はもちろん筆者も国語の便覧に載っていました。「この小説は便覧に載るほどすごいのかなあ。」ということを思いながら読んでみました。 黒い雨の中で描かれていたのは原爆投下後の広島の人々のその時の「日常」でした。そもそも原爆というものを広島の人々は知りません。いつもの空襲とは違うことは分かっても、これほどの被害をもたらしたものが何か分からないという困惑を人々は抱えます。とはいえ原爆投下から数日が経つと不安を抱きながらも主人公は徐々にそれまでの「日常」と同じような暮らし、会社に勤め上司に言われたことをしたり家族と過ごしたりする生活を送るようになります。
この作品を読んで「日常」は決して壊れるものではないと思いました。
そもそもこの小説は主人公の姪の原爆病が深刻でないことを証明するために主人公が原爆投下直後の体験を記すというところから始まります。結婚のために親や親戚が奔走するのは今現在でもままあることです。そういう意味では何ら特別な動機で主人公は行動したわけではない、「日常」は原爆が投下されても崩壊しないのです。今にも連綿と続いていくのです。ただ「日常」を大きくいびつに変えたのだと思います。そう意味では広島の原爆はずっと影響を与え続けるのでしょう。
そのことに気づかせてくれたこの作品はやはり便覧に載るほどすごいのだなと実感しました。
大阪・兵庫・和歌山ブロック 大阪大学4年生
神保友弥