現役大学生座談会


写真左から 慶應義塾大学 総合政策学部 4年 小林 由佳理さん京都大学 総合人間学部 2年 沼田 大季さん
九州大学 理学部 2年 田島 里彩さん

大学受験の勉強について

高校生のとき、苦手な教科があったんでしょうか。またそれを克服するために、どういったことをしたのか教えてください。

小林由佳理さん(以下小林):
苦手な教科は、英語と理科です。理科は、最後は文系だったので捨てていました。英語は、どうしても必要だったので、家庭教師の英語専門の先生をお願いして、その人にずっと、もう一から、勉強の仕方を教えてもらって、その人の言う通りに勉強していたんですけど、克服できたと言えるぐらいの自信には最後までなっていない、まだ苦手な教科のままです。

沼田大季さん(以下沼田):
数学と物理が苦手だったんですけど、正直、大学受験の勉強を始めたのが高3の4月で、その時点では英語以外、何もできなかったんですよね。クラスで下から5番だったんですけど、受験のときには上から5番くらいだったので、最初が、どん底で、本当に英語だけしかできなかったです。自分の感覚としては、英語以外全て苦手だったんですけど、受験の点数は、物理と数学だけ3割程度の点数でした。化学と英語と現代文、この3つが得点の柱でした。何ともアンバランスな成績で、工学部じゃないような点数なんですけど、受かりました。
 中高一貫だったので、高3の段階で、みんな演習が始まっているんですけど、全教科とも基礎が僕はできていなかったのでついていけず、ずっと数学と物理の基礎問題集みたいなものをずっと解いていていました。

田島里彩さん(以下田島):
私は物理が苦手で、先生にお薦めの参考書を3冊紹介してもらって全部買ったんですけど、式は解けるものの、そもそも立式ができなくて。結局、解き終わる前に挫折して、自分が学校で使っていた問題集をずっと解いていました。他には、暗記があまり得意ではなくて、地理も苦手でした。地理は、いろんな国でいろんな特産品があってとにかく覚えることが多かったので、教科書とかに書き込んで覚えていました。センター試験では、7割ぐらいまでは頑張って伸びたんですけど、今は大学2年生になって、物理も地理も、何も使わなくなくていいので、なんとかなっているって感じです。

では次の質問なんですが、進路選択で一番悩まれたことはどういったことですか。

田島:
私は、大学に行くっていうのだけは考えていたんですけど、どこの大学に行きたいかは全然なくて、担任の先生に、2者面談とか3者面談で言われるがままみたいな感じでした。そのときの先生が、九州大学の数学科出身だったこともあり、勧められて目指していたんですけど、途中でその先生に大阪大学はどうかなどと、いろんなところを勧められたので、どこを受けたら良いんだろうかというのが一番悩んだところでした。最終的には、センター試験での判定は、どっちも一緒だったんですけど、大阪大学は私の苦手な物理のレベルが高いので、九大にしようと思って、結局は九大に決めました。

沼田:
成績はもともと良くなかったのですが、京都大学という、ハードルの高い進路を選んだのは、高校2年のときに、京大で行われた、日英サイエンスワークショップ参加して、ここがいいなというふうに思ったのがきっかけです。あと、都市計画をやりたいなと考えていたこともあって、工学部の地球工学科というところで都市計画の勉強ができるということが調べて分かったので、工学部を志望しました。親は、何してもいいよというふうに言ってくれていて、大学に別に行かなくてもいいし、僕の成績が悪かったのも親は知っていたので、もう就職してくれてもいいというふうに言われていたんですけど。でもなんか、負けたくないな、親を越えたいなと思って京都大学を最終的に選びました。いざ入ってみたものの、僕が思っていた都市計画の勉強とちょっとだけずれているところがあったことに気づいたんです。工学部なので、アプローチがすごくエンジニアリングというか、例えば橋の設計で、どういう風圧で、風が吹いたら倒れないかみたいなこと。そういうのも大事なんですけど、ちょっと、僕が思い描いていた、したかったことではなかったので。他に都市の授業をしている教授に相談に行ったら、もっと政治的な法律だとか、あと社会学とか、いわゆる人間に関することが自分がやりたい方向だと分かって、自分の中にもやもやを抱えながら、工学部で1年半ぐらい勉強したんですけど、結局押さえ込めなくて、思い切って転学しました。今は、総合理学部という自分のやりたいことができる学部です。一応都市関連の研究室なんですけど、すごく自由性のある教授のところで研究しています。


慶應義塾大学 総合政策学部 4年 小林 由佳理さん

小林:
私は英語が苦手なんですけど、一番興味がある教科で、絶対将来海外に行きたいと思っていました。なので、できたら外国語大学とか、国際学部に行きたくて、でも、そういうところって絶対英語の配点が一番高いので、ずっと悩んでいました。あと、第1志望は、すんなり決まったんですけど、滑り止めで受ける大学を決めるときにすごい悩みました。そもそも東京に来る予定はなくて、大阪で国公立を目指していたんですけど、第2志望がやっぱり関関同立の4つに絞られてきて、その内の同志社は、もう全然勉強の仕方が国公立と私学で違ったので、たぶん受からないと先生に言われて。その次だったら関学ってなったんですけど、妹が内部からエスカレーターで関学に行くというのが決まっていたので、どうしても一緒が嫌で、どうしようかと何回も泣いて、でも大学が他になくて、無理やり東京の大学に行きたいって、自分でパンフレットを取り寄せて、勉強したことないのに、慶応とか早稲田とか青学とか受けたいって言うと、父は、関学を受けろと言うので、ずっとけんかというか、そこが、受けるか受けないかというのが、一番悩んだところでした。

では、次の質問です。受験する大学の情報は、どのように集めましたか。

小林:
主に高校と塾なんですけど、何校以上の大学パンフレットを請求したらQUOカードがもらえるというキャンペーンがあるので、それ、すごい大好きで、あれに全部チェック付けて、ちょっとでも興味のある大学、行くか分からない大学も全部。パンフレットをいくつもみていました。

沼田:
僕は、学校からより、どっちかというと塾が多かったのと、塾の中でも塾のチューターさん。大学生は、みんな京大の方々だったので、その情報はすごい役立ちましたね。あとは自分でネットで調べてって感じですかね。

田島:
私は、資料請求とか、自分で取り寄せたパンフレットとか、オープンキャンパスでもらった冊子とかを情報源にしていました。一番は、担任の先生が行きたい大学の出身だったので、その先生から、どんなことを勉強するのかとか、私は教員を目指しているので教員免許を取る方法とか、そういう情報を聞いていました。

では、受験大学、今行かれている大学を決められた決め手は、どのようなことでしたか。

小林:
まず、名前、ネームバリュー、華やかさ。あとは、仲のいい先輩が行っていて、まさか受かると思っていなかった先輩が受かっていたから、もしかしたら自分も受かるかもしれないと思い。一応受けとこうと。

結局、第1志望に受かったってことよね。

小林:
いや、第1志望は、神戸大学です。記念に受けてみたところが意外と落ちない。

沼田:
決め手は、さっき言っていた日英サイエンスワークショップは、かなり自分の中で大きかったんですけど、でも、僕は英語がすごい得意というか、英語しかできなかったんで、大学でも英語で授業を受けたいなというふうに思っていました。それが可能な大学って、すごい日本の大学は少なくて。気持ちとしては、大学から国外へ出たかったんですけど、親からは、さすがに日本の大学を出てからでも遅くないんじゃないかと、ずっと言われていたので、日本の大学で考えて、秋田県にある国際教養大学と、あと東京のICU、あとは京大の工学部も入っていた地球工学科の中に国際コースというのがあって、一応留学生用のコースなんですけど、日本人も入れるコースがあったので、その3択でした。結局、自分がやりたい都市計画に一番近いものを選んだら、京大と決まって、なのでそのプログラムが、一番の決め手ですかね。

田島:
数学が好きで、数学科が良いって思っていたのと、また教員を目指していたんで教員免許が取れるところが良いと考えていて。いろいろ選択肢はあったんだけど、一番は、やっぱり担任の先生が勧めてくれた大学だったのが決め手でした。その先生も数学の先生で、その大学出身で、結構憧れというか、それで決めました。

田島さんは、すごく先生がよかったみたいね。お二人は、そういったびびっとくる担任とか、教科の先生とかって、記憶のある人いますか。

小林:
私は、英語の家庭教師の先生からずっとアドバイをもらって、めっちゃ好きで、その先生の言うことを、一番信じていました。

沼田:
すごい担任の先生には感謝しています。割と自由にさせてくれる先生で、他のクラスでは、受験大学も反対されている人もいたんですけど、もう好きなところ受けろみたいな先生で。すごい感謝していますね。

では、受験勉強中に、健康面や精神面で自分が大変だったこと、それを克服するためにしたことについて教えてください。

小林:
健康面については、高校1年生と2年生のときに、2年連続で、原因は分からないんですけど、めまいがひどくて、1週間ぐらい学校に行けないときがあって、だから受験のときにそうなったら、絶対駄目だと思っていました。原因は、たぶん姿勢が悪くて、首もちょっと弱くて、寝違えとかも頻繁に起こしたから、取りあえず毎日ストレッチをしたり、高校3年生では、特に姿勢も気がついたら正すようにして、最後は、ならなかったから良かったです。精神面では、大学に落ちたときが、本当に一番嫌で、妹と一緒っていうのがプレッシャーであって、妹にも、めっちゃ当たっちゃったし。父はなんか意地悪を言ってくるんですよ、また落ちるみたいな。だから言い返したり、紙とかに私はできるみたいな暗示をかけて、お父さん大っ嫌いとか。自分はできる、受かるって思い込ませていました。


京都大学 総合人間学部 2年 沼田 大季さん

沼田:
大変だったことは特にないんですけど、そのなかった理由として、自分の中で計画された生活を送っていて、何時間以上寝るというのを自分で決めて、食べ物もどうしてもコンビニ食が多くなっちゃうので、野菜を多めに取るようにするとか。あと水をたくさん飲むようにしました。塾のウオーターサーバーがあったんですけど、たぶん、あの消費量の8割ぐらいは僕なんです。やっぱり乾燥するじゃないですか。空調とか、あと人がいっぱい自習室にこもっているので、なので水をたくさん飲んでいました。あと座って勉強することになるので、運動不足を気にして、冬場は毎朝5時半ぐらいから30分走ってから、家でちょっと勉強して学校行ってみたいな、そういう1日の計画みたいなのを、1年間は決まったような生活をしていました。精神面では、家では絶対に勉強しないっていうルールが自分の中であって、家は休むとこという雰囲気なので、学校と塾では勉強をして、家はストレスレスで過ごそうと思っていました。だから母の前では、何も勉強をしなくて、テレビばかり見ているので、母的にはすごい心配だったと思うんですけど、僕的にはそれが精神安定剤のようなものでした。あと、勉強だけに集中したら絶対持たないなと思っていたので、高3になって、英語のディベートを始めて、何の事故か分からないですけど12月15日に、全国大会で静岡へ行くという、ちょうどセンターの1カ月前にディベートの大会に行っていました。そのディベートが自分の中では、ちょうど良いストレス発散だったのと、あとは生徒会をやっていたんです。生徒会長だったので、生徒会の活動が、結構忙しかったんですがそれも欠かさずやっていました。自分としては、勉強だけだときついなと思っていたので、ちょうど良かったです。

田島:
私は、元々あんまり風邪を引かなくて、高2までは全然風邪やインフルエンザにもかかったことがなくて、予防接種とかも受けたことがなかったです。でも高3になると、やっぱり周りの先生とか友達とかも、みんなから受けた方が良いよと言われて、かかったらどうしようと思ったけど、結局受けず。まあかからなかったから良かったです。なので、特に健康面での不安はなかったです。精神面では、私の高校は、そんなにレベルが高いわけでもなく、九大っていうだけで、すごいなみたいな感じだったので、周りの先生や友達も、やっぱプレッシャーになりました。もし不合格で私立に行くとなるとお金もかかるし、浪人するとなるとまたお金がかかるから、絶対に受からなきゃっていうプレッシャーがあって、家で親と全然口をきかなくて、もうぴりぴりしていました。だけど、絶対受かろうと思って、土日や長期休暇も、毎日学校に行って勉強していました。そういうときにも、お母さんは毎日仕事が忙しいのに、お弁当をつくってくれていました。家に帰ったら、私がリビングで勉強をする人だったので、家族もテレビを見たいだろうけど、音量を何も聞こえないくらい小さくしたりとかしてみんな協力してくれました。

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