若者がいかに社会のことを自分ごととして捉え、自立した大人になるための準備ができるか

よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属、お笑い芸人のウーマンラッシュアワー 村本大輔さんにインタビューしました。村本さんは全国各地で“独演会"として単独ライブを実施しており、「ケーキに薬をまぜて耳から喰わせる」と表現されるように、お笑いを通して社会問題を発信しています。今回は、その経緯や大学生への期待など、たくさんの想いをお話しいただきました。

場所

ルミネtheよしもと

インタビュイー

ウーマンラッシュアワー 
村本大輔さん
(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)

聞き手

宮永聡太(全国大学生協連 学生委員長)
青山友紀(全国大学生協連 副学生委員長)

「社会の事を自分ごとにする」とは

宮永:
私たちは大学生がいかに社会のことを捉え自立した大人になるための準備ができるかを考えています。今回は、「若者がいかに社会のことを自分ごととして捉え、自立した大人になるための準備ができるか」をテーマにインタビューさせていただきます。

村本:
社会問題を語りたくて漫才をやっているわけではない。何かのきっかけで自分ごとになるタイミングがある。たとえば待機児童問題。僕は全く興味がないけれど、大学生が語っていたら少し気持ち悪いと思う。自分ごとになるのは理由がある。結婚して、子どもができて、保育園に預ける時に、そこで初めて待機児童の問題について考えると思う。これはLGBTもそうで、友達が悩んでいたら自分も考えるようになる。たとえば火星に行ったことないのに火星のことを語っていたら変でしょう?ちょうど芥川賞の候補になった「美しい顔」って作品が、被災地のノンフィクションの本の事を盗作している、と問題になった。作者の方は被災地にいっていないが、被災地の事を私も考えたいと言っていた。行って無いのに書ける感覚が気持ち悪くて。そもそも自分の知らないことがあったら、見て自分に教えればいいのに。大人は議論を楽しみたいから見に行かずに語ってしまう。そうではなく、日ごろから常にアンテナを立てておき、キャッチして煮詰めて考える。それを繰り返していくことが大事。

社会問題をお笑いにする

宮永:
村本さんは社会問題や時事ネタをお笑いに入れておりますが、何かきっかけとなったことはあるのでしょうか。

村本:
僕は年末THE漫才で社会問題をネタにした。でも最初はその社会問題に全く興味がなくて。ワイドショーに出させてもらって資料を見た時に、「うわっ!こんなニュースあったんだ。全然知らなかった」となった。33歳くらいのいい年で。その後調べるけど全然内容が入ってこなかった。なぜ原発があるのか、なぜ沖縄に基地があるのか。当たり前に目に触れているものを、そもそもなぜこうなってるんだろうという事を知りたくなった。

宮永:
純粋に考えたら、そうなりますよね。

村本:
ジャーナリストの堀潤さんという方がいて、番組が一緒になって終わるときに追いかけて、僕は福井県の大井町の大井原発の近くに住んでいるが、原発の事を全然知らないので教えて欲しいって言ったら、「いいよ、じゃあ今日一緒に行きましょう」って言われて、飲みに行くことができた。原発の事を何時間も色々話をした。「そんなことも知らないの?」ではなくて「それ村本さんいいポイントだね」というように優しく教えてくれて、知ることが楽しくなる会話をすることができた。その後も、参議院と衆議院の違いや、なぜ右翼と左翼があるんですかなど。飲みながらだけでなく気になった時に電話したら教えてくれた。ある時僕が沖縄の事を教えてくれと言った。沖縄の基地の話を話してくれる中で、それをネタにしようと思った。自分の角度から見た沖縄の景色は理不尽だと思った。表現をすること。僕は全員が表現者だと思っていて、Twitterを書くのも表現。バンクシーというロンドンの覆面アーティストがいる。壁に絵を書けばそれが何億にもなるような人。顔を隠して絵を書くバンクシーと2ちゃんねるはどうちがうのか。一緒じゃないか。2チャンネルとの違いは何か。バンクシーには思いやりや愛があってそれが伝わっている。お笑い芸人が表現する時のエネルギーは、疑問からのジレンマ。世の中答えがないことが多いから複雑に考え、表現する。僕は沖縄の問題をお笑いに、漫才にしたら、沖縄のひとから「ありがとうございます」と言われた。基地の問題を漫才にしてくれたことに感謝してもらった。その人は泣いていた。僕の友達が沖縄の事で悩んでいたから、それを漫才で表現したら友達は喜び、泣いてくれた。それが、ひとつ「頭に入れたい」「もっと知りたい」と考えたきっかけにもつながる。

村本:
理不尽だと感じることはほかにもある。熊本の地震があったけど、イタリアで地震があっても日本のバラエティは自粛しようとしないでしょ。違う国だと理由を付けて想像力が働かなくなる。俺たちは見たくないものは見たくないという原則の国。この前沖縄行った時に辺野古に行こうとレンタカー借りた。知り合いがすっごい有名なパンケーキの店がある言っていたのを思い出して、近くにあることが分かった。でも時間もなくてパンケーキ屋に行っていたら辺野古の基地には行けないわけ。辺野古には座り込みしている人たちがいて、金をもらっているなどのうわさもあったから自分で行ってみたいと思っていた。でもパンケーキ屋があった。そこで考えた。パンケーキを食べたら沖縄にお金が入るという理由を作ることができる。自分の見たいことだけ見る理由を作った瞬間。人は、自分の見たいものを見て、たまたま仕入れたものをニュースとしてSNSに発信していく。それを意識が低い高いと言ってはいけないと思う。この前オリンピック周知をしている大学生に会って、ん?となることがあった。なぜオリンピックを盛り上げるのか何度も聞いた。最初は「多様性が」とか「国と国との」という話をしていたが、本当は「就職の面接で有利だから」と。それを最初から言って議論しようと話をした。大人ぶって話をするなと言った。大人はかしこいように見えているが、みんなおんなじ。俺が好きな言葉で、ウッディアレンの「女と男の観覧車」という映画がある。普段勉強してない意識の低い女の子と、普段から本を読んでいる男が知り合う。そこで、シェイクスピアのハムレットをその女の子に貸す。「学がないので本を読んでもわからないと思う。だから恥ずかしい」と言った。男は「無知は恥じゃない。たまたま縁がなかっただけさ」と言った。俺は堀淳さんと縁があって、僕の意見を肯定してくれて、いろんなこと知りたいと思えた。まずその人を好きになってから、その人の考えを得たくなると思う。お見合いパーティーの先生と対談したことがあって。男の人が女の人に、趣味はなんですかと聞くと、「YouTubeを見ること」と言って、男の人は「意外だね」と言った。先生は、この男はモテないと判断した。女の子を評価しているから。本当は、「どんな動画見るの?」と返すのがモテる男。結局、人間として愛されたらその人の話を聞こうとする。

俺が好きな人は社会学者の宮台真司さん。俺のことを肯定してくれる。「村本さんはギリシャの哲学者と同じことを言っている」というように。すごく嬉しいから、俺も宮台さんの話を聞く。宮台さんの話を自分のモノにするんじゃなくて、ストックするだけ。例えば怖いのはオウム真理教ではない、ネットニュースなんでも信じちゃう教。世の中に真実はなくて、自分の目で見たものしかないから。誰がどこでどういう状況なのか考えないで信じちゃうのは怖い。この前代官山を歩いていたら、一方通行で車が両側からきて喧嘩になっていた。その3時間後にレストランにいたら、一方通行間違ってた奴が隣に座って女の子と座ってたの。さらにクラクション鳴らして怒っていたやつがその隣にいた。偶然。すごい面白いなって思ってその話をしようと思った。会計するその人の跡を付けて本当にさっきの車に乗っているか確認しようとしたがやめた。俺はこれが真実でいいと思ったから。みんな自分の解釈で話をする。ただ面白いのは、半信半疑で議論すること。難しい話をしているのではない。難しくしゃべっている奴がいてとっつきにくくなっているだけ。すげえ単純な話をしていると思う。

宮永:
興味を持ったこと、知りたいと思ったことを行動にするのは大切な視点だと感じています。

村本:
ベルリンに行ったとして、壁を触りに行くとする。壁を触ることが大事なのではなくて、そこの空気を感じて自分にものを教える。生徒は自分で先生は世の中。そう思って毎回自分に教えなきゃ。「そもそも」ということを子供の時から思っていて。うちの母親はカメムシを瓶の中に詰めるわけ。「なんでカメムシを瓶に詰めるの?」と小学生の時に聞いたら、お母さんは「カメムシは臭いから瓶に詰める」と言った、俺は「お母さんちょっと待って。お母さんがカメムシを触らなければ、臭くならないよ」と返した。お母さんは「カメムシが家の中にいるんだから」と言う。この家の場所に、カメムシが先に来たのか、俺らが先にいたのかわからない。このままほっといたら何の罪もないカメムシは母親によって殺されてしまう。俺はカメムシの気持ちになって、次の日、お母さんからカメムシを保護する活動を始めた。ティッシュで住みやすい場所を作ってあげた。何がこうなっているのか。普段からアンテナを張ることが大事。北朝鮮の問題を友達と話すとか、普段の会話を適当にせず、会話の中で気付くことが大事。気付いてもまあいいやとなって次からスルーしてしまう。そうしているうちにどんどん見えなくなってくる。ずっと被災地に想いを馳せていなくても、沖縄の基地を考え続けていなくても、気付いた人がしっかり考えられるように。LGBT問題を言っている人はシリアに興味ないかもしれない。隣にいる人が階段を上がれなくて、それを見たら肩を貸す。普段の中で気づけば行動する。気付いて感じる。本質がずれて、現地に行くことだけで俺たちすごい、となってはいけない。

村本:
あと、スイミーになってはいけない。絵本のスイミー。魚の群れ。オウム真理教も自分が世の中を救うと思って結果事件を起こしてしまった。狂った正義が大きな団体になって、大きな団体は個々の自尊心を減らして全体主義になって、もしかしたら黒い魚の中にも白っぽい黒色があるかもしれない。でも周りに合わせて黒って言う。自分がどんどんなくなる。自尊心を持って自分一人一人に責任を持って、全員が喧嘩するような考え方だと安心する。俺が政治をネタにしたときに、「そうだそうだ!」と賛同する声が入ると恐怖を感じる。全部を賛同しているわけではないと思うから。考え方や生まれも見た目も違うのに、みんなが同じ方向に向かってやってしまうと、自分の大事なものを失ってしまう。政治家になるのであれば賛同を集めて世の中を変えなければならない。決めなければいけないタイミングはあるので、決めるとなるまで悩み続ける。本当に正しいのかな。どうかな。毎回自分のアイデンティティを大切に。世の中は複雑で、その複雑なことに気付く瞬間は楽しい。

宮永:
村本さんはアメリカに渡ってスタンダップコメディに挑戦していると伺っていますが、日本人とアメリカ人で社会問題を捉える意識の違いはあるのでしょうか?

村本:
全員がそうではないが、アメリカでは「私はこれについてこう思う」という話の仕方をする。その切り口がインタレスティングでファニー。俺はケーキの中に薬を入れて出すとよく言う。日本の漫才はケーキだけ食っている。お笑いライブは若い中高生しか見に来なくなる。アメリカのライブは、夜集めて免許証確認してお酒飲みながら楽しむ。普段新聞を読んでいる人、世の中の物事を知った大人の方が面白いんじゃないの?とアメリカ人は言う。日本のお笑いはミッキーマウスとかと同じでキャーキャー言って楽しむだけに近い。ミッキーマウスはどういう思想なのか、右なのか左なのかなんて考えたことないでしょ?テレビで見ている芸人さんを見に行くだけなんだよ。アメリカのライブは、漫才をしているそいつの考えを聞きたい。例えば、黒人のコメディアンは、どうして黒いバンドエイドはないのかというネタをやる。俺たちは怪我しちゃいけないのか!と話すのは面白い。あとは、子供を産まなくていいというネタ。孤児院で子供を預かる。育てる子供を選べるから。あとはオーストラリア人で、レズの女の人のコメディアンのショーが最高にかっこいい。舞台で自分の体験を喋る。タスマニアではレズビアンで生まれたら、犯罪だとされていた。彼女はそんな小さな村で生まれていた。二十歳の時にレイプされたと。見た目は男っぽくて殴られたこともあると。でも被害届を出さなかった。レイプされた私が悪いということを小さいころから教えられていたから。レズで生まれた自分が恥だと教えられていたんだと。
彼女は同情してほしいわけではない。これは価値のある話だと言う。その後男の事をボロクソいうわけ。男差別だと反論ても、それはお前らがつくったルールじゃないのかと返す。めちゃくちゃかっこいい。笑いも怒りも人をつなげる力がある。怒りで団結しないでと彼女は言う。そのコメディアンは、過去を思い起こすからつらいと言って、舞台をやめることになる。最後の舞台で、ゴッホの話。アートの話もお笑いにする。すごくインテリジェンス。ピカソはおごっていて、全員の意見を絵で代弁できると思っていた。でもゴッホは違う。ゴッホがひまわりを描けたのは、苦しんだからではなく、ずっとゴッホの事を応援してくれる弟のテオがいたから。人間はつながりがあることが一番大事だと言って舞台を降りた。これお笑いか?となるものに、オペラハウスは埋まる。これだけ人が集まって聞く。お笑いが言葉のアートになっている。ドイツではコメディアンをアーティストと呼ぶ。かっこいい。アメリカではコメディはみんな見ている。それだけコメディの力を信じているんだよ。ん〜ここまで話すと、みんなポカーンとして先生に説教されたみたいな顔になるんだけどさ…笑

宮永:
最後に。村本さんから大学生・若者に伝えたいメッセージがあればお願いします。

村本:
大人は、大人という着ぐるみを着ている。早稲田で授業やったことがある。終わった後に、学生がいっぱい来たんだけど、俺それ知らんなぁとなった質問がたくさんあった。大人になったら「知らんなぁ」と言いにくい。大人になればなるほど知らんことが増えていくから、大人になればなるほど勉強しなければならないのに、それをしない。一個知れば知らなきゃいけないことが増えてくるのに。いい大人がハロウィンでコスプレしたり、スマホのゲームをしていたりするのはアウト。キングコング西野がいいなと思った。彼は絵画展をやっている。子供に「絵の描き方を教えて」と言われたときに、「俺わからないから一緒に考えよう」と言った。そうならないといけない。もし「こう描くと良いんだよ」となるとそこでもう考えなくなる。子供の視点を尊重することを西野から学んだ。

宮永:
多様性を大事にすることの話が聞けて良かったです。

村本:
この前客席に、脳性まひの人を見つけた。彼女は福祉に不満があると。生まれ持って脳性まひだからこれが普通。私は枠にはめられたくない。村本さんが多様性を認めることについてTwitterに書いていたのを見てライブに来ましたと言った。そこで飲みに行きたいと言われたが、俺は、「ダメだよ、こんな時だけ特別扱いして欲しいのか」と言った。彼女は大爆笑していた。この、ちょっと扱いにくいと思うのは、ジョークのセンスがなさすぎる。ジョークは愛なんだから。そうじゃないと、いじめの方向に向いてしまう。リアクションに困るというへたくそさがあると思う。俺はお笑いに特別学級はつくらないと決めている。全部同じようにいじる。あとは、リストカットしている女性がいた。話を詳しく聞いた。「なんでリストカットしてるの?」と聞くと、「実は鬱で…」、「何の仕事してるの?」、「ガールズバーで働いてます」と。気になってなぜそこで働くか聞くと、「鬱は夜寝れないんです。夜の有効活用です。」と言われた。面白い。リストカットはいつもしているか聞いたら、もうしていない。「忙しくてリスカットする時間が無くなった」と言われた。リストカットってそんな感じ?と思った。「この前死のうと思ってました。村本さんのライブ見てもうちょっと生きようと思いました」と。「リストカットしたおかげで、ここで会えたな、楽しい時間を過ごせたな」って言った。そこは最高の空間。リアクションに困ったらだめなんだよ。そんな人は山ほどいるんだからさ。