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異国でも、孤立せずにみんなといっしょに歩いていくことができる

「運命」に従い

初めての 日本人の友達

潘 棟 (PAN DONG) 京都大学工学部・潘 棟 (PAN DONG)  

僕は遼寧省瀋陽市の「東北育才学校」の日本語クラスを卒業して、今は京都大学工学部2年生として日本で生活しています。試験の合否により京大にたどり着いたというのは事実ですが、運命が選んでくれた気がしています。8年前、つまり中学校に入ったころ、日本語とフランス語のクラスからどちらか一つを〝選ぶ〟ことになると言われました。結局、フランス語クラスの志望はかなわず、日本語クラスに入りました。しかしその年、現役先輩が10人も憧れの東京大学に入ったと始業式の時に聞き、自分もその道にしっかり歩んで行こうと決意しました。  

6年間、中国での勉強を順調に終えて、〝東大生〟を目標として来日しました。しかし希望とは裏腹に、一次試験に失敗し、東大を受験する資格がなくなりました。失望した気持ちと同時に、背負ってきた「東大生にならなければ」という負担も消えました。「せっかくここまで来たから、諦めてはいけない」と思い、最後は無事に京都大学に入学しました。今考えると、これが〝運命の大学〟だったと思えます。高校時代からずっと世話になっていた3人の先輩は、すべて京大にいますから、京大に入学したことは、いわゆる〝塞翁が馬〟かもしれません。

〝部活〟という 新しい概念

高校時代の日本人の先生と日本で再会高校時代の日本人の先生と日本で再会

留学生として、各大学の二次試験の面接は一番大事な過程です。面接の時、どうしてうちの大学を受けるか、何に引かれているかなどは常に聞かれます。そのころ、何もわからずに「貴校の部活に興味があります、実践してみたいです!」と言ってしまったことがあります。入学した後、高校で得意だと思っていたサッカーと卓球の部活動の新歓に参加し、見学をしました。本物の〝部活〟を体験して、驚きました。設備の完備さや、トレーニングの強度を目にして、高校でやってきたのはただの〝遊び〟だったと思うようになりました。だから、日本での〝部活〟というのは僕にとって、ある意味で新しい概念です。高校では〝社団〟(サークルのようなもの)に加入したことありますが、〝部活〟ほど時間をかけるものではありませんでした。日本人の友達に「部活に熱中しても、単位は大丈夫?」と聞いたところ、彼は「せっかく大学に入ったから、1年2年はとにかく遊びたい」と答えました。もちろん、何も参加せずに、優れた成績を収めている、いわゆる〝ガリ勉〟もいますが、どちらが正しいとは言えないし、それを考えること自体意味がないです。「大学」に対して求めることが人によって違うからです。

異国でも帰属感を探す

「国際交流セミナー2012」に参加しました「国際交流セミナー2012」に参加しました

中国と日本はいわゆる〝一衣帯水の隣国〟であり、お互いに一番似ている国と言っても過言ではないです。それにしても、我々は、外見はほとんど区別がつかないにもかかわらず、あいさつやマナー、習慣などは異なる部分が少なくありません。日本人の友達はもちろん多くいますが、自分が完全にこの社会に溶け込みながら生活する自信はまだありません。そのため、ほかの留学生や国際交流に興味を持っている日本人との助け合いが大事です。  

幸い、先輩に誘われて、京都大学生協留学生委員会に参加しました。ここで、年2回の新入生歓迎パーティーを企画したり、学園祭に中国の郷土料理を作って出店したりと、いろいろなイベントから自分に留学生としての価値を感じました。なぜならば、自分が交流を通じて見聞を広めるだけではなく、ほかの留学生の間の交流も促してあげることができたからです。彼らにも「異国でも、孤立せずに、みんなと一緒に歩いていくことができる」と感じさせたいです。

『Campus Life vol.35』(2013年6月号)より転載