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今は、10年後の自分は想像もつかないけど
今の自分を誇りに思っているだろうと思います

あの時無理やり日本語学校に入れられていなかったら 今の自分はなかった

明日から学校に行きなさい

王 佳妮 (WANG JIANI) 三重大学 朴 英花
PIAO YINGHUA 

10年前の私は、まさか今、日本で大学生をしているなんて夢にも思っていませんでした。ある日、仕事から帰ってきた母が突然私に言いました。「英花ちゃん、日本語学校に授業料を払ったから、明日から学校に行きなさい」

当時から料理が大好きだった私は、高校を卒業したら、料理学校に入りたいと思っていました。そのため、いくら母とはいえ、勝手な決断にショックを受けました。母によると、自分が飲食店で働いており、苦労をしているから、同じ苦労を娘にはさせたくないということでした。しかし、当時の私にとっては、好きな料理が学べず、まったく興味のない日本語を学ばされることはあまり幸せなことではありませんでした。仕方なく母に言われた日本語学校に通いはじめることになったのですが、高校時代に授業で基礎を学んでいた私には、それほど難しいものではありませんでした。日本語学校では、なんとなく授業をこなす毎日が2、3カ月ほど続きました。

日本語を がんばりはじめたきっかけ

被災地で児童館の子どもたちと一緒に留学生と日本人学生が伊勢神宮へ

そんな私の生活を変えたのは、また母の言葉でした。当時、姉が日本に留学していたのですが、母が「日本語をがんばれば、留学させてあげる」と、私の前に大きなニンジンをぶら下げたのです。単純な私は、それから生まれ変わりました。がむしゃらに日本語の勉強を始めました。そうしているうちに、最初は日本に行くためにしていたはずの日本語の勉強がだんだん楽しくなってきたのです。楽しくなればこっちのもので、毎日日本語学校で友達と問題を出し合ったり、教えあったりする日々が続きました。そして、気が付けば、私の日本語の教科書は書き込みでいっぱいになりました。日本語の勉強がこんなに面白いと思える日が来るなんて、まったく思ってもみませんでした。

そして約束通り、私は日本に留学させてもらえることになり、今、三重大学人文学部で日本の言語について勉強している私がいます。卒業を半年後に控えた今、私の数年間を振り返ると、あの時無理やり母に日本語学校に入れられていなかったら、今の自分はなかったのだと思い、つくづく母に感謝しています。

三重大学に入学して

三重大学に入学してからの私は、授業にアルバイトにと忙しい毎日を過ごすようになりました。アルバイトでは、いろいろなことに挑戦しました。大学の中にあるコンビニやお寿司の店、そして、10年前の私からは考えられない日本語教師のアルバイトも経験しました。主に中国から来た研修生たちに、中国語を使って日本語を教えます。また、授業でも、さまざまなことを学びました。特に印象に残っている授業は「留学生支援実践」という授業で、留学生の立場から、どんな支援が求められているのか、どんなことをしていくべきかについて考えました。日本人学生と留学生を結ぶ活動に主体的に参加し、やりがいを感じました。確実に国際交流の輪が広がっていくのを目の当たりにし、自分にもできることがあるのだという手ごたえのようなものを感じていました。

生協の理事として

2013年3月、3年生を目前に控えた春休みのことでした。三重大学の先生から「三重大学の生協理事に留学生を入れるから一緒にやらないか」と誘われました。先生の話によると、今までは三重大学の生協理事には留学生がいなかったけれど、今後三重大学も留学生の声を大切にしたいからだということでした。私は、授業で感じたやりがいを、今度は大学生協というさらに大きな場所で感じることができると確信し、すぐに「やります!」と答えました。そこから、私の生協理事としての新たな1ページが始まりました。

日本語学習時の書き込み

毎月の生協理事会では、お弁当を頂きながら、より良い三重大学を作るためのさまざまな話し合いが行われます。時には一人の人文学部の学生として、時には留学生として、「こんな三重大学になったらいいな」という意見を出します。どんなに小さな意見でも、耳を傾けてもらえることがとてもありがたいと思いますし、たとえ意見が採用されなくても、自分にこのような発言の機会が与えられていると思うだけで、とてもありがたいと思います。自分が三重大学のためにできることはとても小さいと思いますが、卒業までの残り数カ月、三重大学と生協のために頑張ってみたいと思います。

10年前の私に、今の私が想像できなかったように、今の私には10年後の自分がどこで何をしているのか、まったく想像もつきませんが、今ここで生協の活動に携わっていることを誇りに思っているだろうと思います。

『Campus Life vol.41』より転載