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留学生活ー戦争から学ぶー

顔写真
大分大学 経済学部研究科2年  
宋 霞
SONG XIA

戦争遺跡巡りツアー

2016年7月の夏は非常に暑かった。外に出かける気がしなかった。しかし、先輩に生協主催の戦争遺跡巡りに参加してみないかと誘われた。中国で戦争遺跡を見たことがあったが、日本で戦争遺跡巡りツアーに参加したことはない。日本の戦争遺跡巡りは中国の戦争遺跡巡りと違っているところがあるのかな? また、日本に来てたくさんの日本人と出会って話し合ったとはいえ、遊びの話ばかりで、戦争のことにはあまり触れなかった。日本人って戦争についてどう考えているのかを知りたくて、また戦争の重たい話も知るべきだなと思って、大分県の戦争遺跡巡りツアーに参加すると決めた。

城井1号掩体壕の前で

敵味方関係なく慰霊憎むべきは戦争

27日の朝9時、専務を含めて大分大学留学生委員会の5人と一緒に観光バスに乗って出発した。行き先は、中津市、宇佐市と日出市である。行く先々にボランティアガイドがいて丁寧に説明してくれるが、日本語の聞き取りがあまりよくできないため、ガイドブックをもらっていて本当に助かった。

最初に訪れたのが、中津市の八面山平和公園だ。この名前の通りどの方角から見ても山の姿は八面山だ。平和公園の下の小さな資料館に行ってきた。そこには八面山上空でアメリカの飛行機と交戦し戦死した村田曹長の遺言書や、戦争の破片や若くして亡くなった人の遺像などが展示してあり、戦争の冷たさと残酷さを感じた。

八面山平和公園の由来
八面山平和公園の由来

また、この公園には太平洋戦争の時に、この上空で日本の戦闘機がアメリカの爆撃機に体当たりをして亡くなった日本人だけでなく、亡くなったアメリカの人も同じ人間として、敵味方関係なく慰霊された石碑も建っている。これまで受けてきた教育の違いかもしれないが、本当にショックで感心した。私が中学校で外国の軍隊が中国に対するひどいことをしてきた歴史を知って、なぜそんなに残酷なことをしたかと憎んだことがあった。もし私なら、絶対敵のため墓を建てないと思った。しかし、敵が一人の人間として、戦争から逃げられない、自分の意志で戦争を起こすわけではない、敵でも生きて帰ってくると待っている家族がいるなどといろいろ考えたら、彼らのためにも墓を建てるべきだと思う。私たちが本当に憎むべきなのは敵ではない、戦争なのだと改めて考えた。

生々しく伝わる人々の想い

次に訪れたのが、宇佐市平和資料館である。そこで深い印象に残ったのは米軍がガンカメラで撮った宇佐への空襲の映像だ。その映像は部屋の色まではっきり映っている。アメリカの技術力の高さを感じながら、力強い米軍と比べて日本軍、平民の弱さとその戦争の怖さも実感した。

市内には、城井1号掩体壕をはじめ、空襲の痕が残る落下傘整備所や爆弾池など、多数の戦争遺跡が現在も残っている。それらを見ると、当時の悲惨さが生々しく伝わってきた。戦争が起こった日、当時の人々はどんな想いで、どんな苦しみや辛さを抱えていたのだろうと思うと、胸が詰まるような思いでいっぱいになった。学校に通った子どもさんだろう。未来に向かって努力し続けている人だろう。その人たちの命や未来が奪われてしまった。戦争が起こったがために、悲しい出来事が出てきてしまった。

「生きたい」兵士の声が聞こえる

紅葉狩り
人間魚雷

最後は、日出町にある回天神社に行った。そこで初めて人間魚雷「回天」を知った。回天に乗り込むと、ハッチが閉められて逃げられなくなる。つまり、こんな中に入ると、一人で死に向かっていくことになる。その武器の恐ろしさに驚いた。
「明日戦争だ。明日は私が亡くなった日となる。逃げられない。国のために前に進めなければならない。家族のために前に進めなければならない。でも、悔しい。私は生きていきたい」とガイドさんが言っていることが兵士さんの心の声だと思って、涙が思わずこぼれた。

帰り道にみんな静かだった。目を閉じたら、頭の中に戦争遺跡を思い浮かべた。戦争の恐ろしさをしみじみ感じた。ただ、同じ地球に生きている人間同士なのに、なぜお互いを傷つけるのか、誰のために戦って大切な命を落としていったのかを考えた。みんながたぶん自分の国のために死んでいったのだろう。昔、私もそう教えられた。自分の国が危機にあったとき、立ち上がって自分の国のため戦ってくださいと言われた。

ビール工場見学
大神訓練基地跡/回天神社より

今までの私は戦争を見たことがない。戦争を体験したことがない。戦争が起こると思ったこともない。もし戦争が起きたとしたら、じっくり考えると、私でも誰でも命を懸けて戦う勇気がないのではないだろうか。しかし、戦わなければならない。あったこともないいわゆる敵という人を殺し、敵の家族を滅ぼす。きっとみんながそういうことをしたくないが、そうするしかない。自分の心を責めながら戦うしかない。そういうような加害者が被害者でもあるではないかと感じた。戦争は犠牲者以外何も生み出さない、愚かで無意味なものだと思った。

戦争を後世に伝え、平和な世界を築いていく

留学生委員会合宿
昭和の街で

今回の戦争遺跡巡りに参加してよかった。国籍や肌の違いは関係なくみんなが平和を願うということが分かった。また、命を大事にするべきだと感じた。戦争によって、生きていきたいと思っても生きることができない人が多くいる。それらの人の苦しさと悔しさを知り、自分の命はもちろん、他の人の命も尊敬すべきだと思った。

また、現代にいたって戦争というと、平和という言葉が頭の中に思い浮かぶだろう。平和が何か、人として持つべき最低の権利を持っているとか、暴力がないとか、たぶん人によって答えが違うだろう。しかし、戦争がない状態であって初めて平和といえるだろう。

戦争での悲しい出来事は、年々人々の記憶から薄れていく。だからこそ、過去の戦争のことを出来る限り知って、後世に伝えていく必要があるのだと感じた。その上で、現代の社会や世界情勢を考え、憲法に関心を持ち、社会活動に参加し、平和な世界を築いていくことに力を尽くすべきなのだと思う。

『Campus Life vol.51』より転載