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留学生が日本での生活体験

顔写真
大分大学大学院 経済学研究科卒業
楊 光
Yang Guang

大分大学の楊光です。みんなに恵まれて、総代として経済学研究科を無事に卒業できました。これから大学院生の生活について紹介します。

大分で学んだ忘れられない授業

日本に来て4年間の間に、さまざまなことを感じましたが、一番印象深いのは日本で体験した障害者の方への思いやりの心です。

最初にそれを実感したのは、2016年10月に行われた大分国際車いすマラソン大会の時でした。私は通訳のボランティアとして、世界各地の車いす選手と一緒に街に出たのですが、そのとき初めて、日本が障害者のために、さまざまなとりくみや工夫をしていることが分かりました。どこかに行きたいと思えば、車いすであっても、ほとんどどこへでも行けます。例えば、大きなショッピングモールや駅の中には必ず障害者用のトイレが作られています。

また、大学でも細かい心配りが見られます。例えば私が今通っている大分大学経済学部の玄関の階段のそばには、障害者用の通路が備わっています。このように日本全国至るところにバリアフリーの諸施設を設置しています。


卒業式の私

それだけではありません。日本の障害者へのとりくみには、さらに素晴らしいところがあります。アルバイトをしていたときに知ったのですが、日本では障害のある方への生活補助だけではなく、確実に彼らが自立するための支援体制が整えられているのです。

私がアルバイト先で経験したことです。そこでは、まず、大分市の障害者支援センターが店に障害者の男性を紹介し、就職を支援しました。最初の一週間は、支援センターの役員さんがずっと彼のそばについて、仕事をする様子を見ていました。彼は主に服を袋から取り出して、ハンガーにかけることをしていました。その後、役員さんと店長が彼のことについて相談し、これからどうすれば彼が仕事において自分の技能を向上させていけるかという課題への対策を練っているようでした。

高度な発展を実現した社会とはヒューマニティ溢れる社会であり、障害者も健常者と同じように自分の力で生活できるように、多くの課題を解決するための努力を惜しまず、共に生きていく道を探り続ける社会なのだということを学びました。それは大分で受けて、この一生をかけても忘れられない授業でした。

一番頑張ったこと


総代として大学院卒業証書を受け取る

学生時代において一番自信を持って言えることは、日中英の翻訳と通訳の個人事務所を設立して、仲間や後輩に仕事の紹介窓口を作ったことです。このきっかけは、留学生の日本での生活は厳しく、アルバイトも限られており、学業の時間も削られるため、私が個人事務所を設立し、留学生仲間に安定をもたらそうと思ったことからです。

まずは学校の先生と研究室の先輩に相談に乗ってもらって、日本の会社組織と税金制度を学び、個人事業を選択しました。日本では会社組織において、個人事業主、NPO法人、株式会社と相互会社という四つの形式がありますが、個人事業主は税金手続きも簡単で、私の寮も事務所として登録できるため、それを選びました。

次に、中国福岡領事館が指導している九州中国学友会という組織に加入し、九州各大学の中国人留学生と友達になり、スタッフ候補を増やした事で、みんなの得意分野と仕事量の調整が可能となりました。

最後に、顧客を広げるために、今まで取引がなかった大分の外国語学校や行政に電話やメールをして、可能性を広げました。起業したことで、大分国際車いすマラソン大会などのボランティア情報も広範囲から集まり、外国語に関わる団体活動にも尽力しました。これのおかげで、個人事務所の仕事が日本語、中国語、英語だけではなく、ベトナム語、タイ語、スペイン語とポルトガル語の仕事もできるようになりました。


ロサンゼルスに旅行したとき

良さそうに聞こえますが、苦労したことも多いです。例えば、去年3月頃に、就職活動をしながら、中国のハルピンに10日間出張した経験がありました。毎日通訳が終わってから、メールなどを返信し、最後にエントリーシートを書いていました。ほぼ毎日寝るのは深夜2時ごろでした。

また、急に中国の社長さんから、3日後にシンガポールに出張だと言われたことがありました。急いでシンガポールの友達に保証人になってもらって、2日間でビザを取って、1日でホテルと飛行機のチケットを用意し、通訳する資料を事前に学習しました。

今は卒業して日本の大手生命保険会社の全国型総合職に就職したため、顧客 を後輩たちに紹介しました。これからも新しい人生の道において、自信を持って頑張ります!


ゼミの先生や仲間とともに

『Campus Life vol.59』より転載