2014年2月のコラム
荒川静香のイナバウアー Ⅱ

北海道大学名誉教授
(前北海道大学保健センター長)
 武藏 学

 いよいよソチ五輪ですね。注目の種目は多いのですが、特に日本フィギュアスケート界のレベルは男女共に世界一ですので、メダルはともかく各選手のパフォーマンスが楽しみです。

 ところで、最近の冬季オリンピックで思い出すのは2006年トリノでの荒川静香さんの金メダルです。有名になったイナバウアーを初め、正に優美なスケーテイングでした。 実はトリノの前のソルトレークシテイ五輪で、審判員の不正採点が明るみに出て以後、採点基準が明確化されました。その結果、各選手はスコアの高いレベル4の難技を求めるようになりましたが、元々ジャンプが得意ではなかった彼女にとってはこの採点基準の変更は不利に働きました。そんな中でコーチを替え、直前に曲目まで変更し、さらに点数にならないイナバウアーを挿入した理由が私には謎でした。当時、荒川さんは「得点を取るだけでなく、見せるプログラムにしたい」、「金メダルではなく、自分の最高の演技をすることにこだわった」と語っていました。このコメントから、私はどんな技もそれ自体のためではなく全体の美に奉仕させようとしたのでは?と考えました。この推測は当たらずといえども遠からずで、この間の事情を知ることができました(朝日新聞2014.1.4付朝刊)。点数にうるさいコーチのモロゾフ氏が「個性を表現しろ」、「自分らしさを出せ」とイナバウアーを要求していたというのです。これに応えて荒川さんも「自分らしく。人の心に残る演技を」とイナバウアーを取り入れ、ジャンプも難度を落として完成度にこだわったそうです。金メダルはその結果だったのです。

 「競技者において大切なのは内面である。努力の遂行と、自分自身に対する勝利、それが競技者の偉大さをなす。この遂行と内面的な美なしには美しい人間はありえない」(アレクシー・カレル著、中村弓子訳『ルルドへの旅・祈り』、春秋社、1983年)というノーベル生理学・医学賞受賞者の言葉は荒川さんの金メダルへの道を言い尽くしています。「競技者」を「人間」に置き換えて、私も「内面」を鍛え、自分自身に対する勝利を勝ち取りたいと願っています。

略歴

1975年 4月
北海道大学医学部第三内科で研究
1975年 7月
北海道大学医学部附属病院第三内科 医員
1976年 4月
函館中央病院内科勤務
1977年 5月
東京女子医科大学血液内科 助手
1980年 7月
北海道大学医学部附属病院第三内科 医員
1981年 10月
北海道大学医学部附属病院第三内科 助手
1989年 4月
文部省在外研究員(米国サウスカロライナ医科大学)
1991年 4月
北海道大学医学部附属病院第三内科 助手
1993年 4月
北海道大学医学部第三内科 助手
1995年 7月
北海道大学医学部附属病院第三内科 講師
1999年 5月
北海道大学医学部第三内科 助教授
2000年 4月
北海道大学医学部診療所 教授 
北海道大学保健管理センター所長(併任)
2010年 4月
北海道大学保健センター長、教授
2013年 4月
天使大学看護栄養学部栄養学科 教授 
北海道大学名誉教授

資格

1975年 6月
医師免許証取得(第225429号)
1989年 6月
医学博士(北海道大学)第3583号
2004年 1月
日本医師会認定産業医

受賞

1975年
第7回癌集学的治療財団助成 
「Interferon-αとポリアミン合成酵素阻害剤 α-Difluoromethylornithineの併用による抗腫瘍効果」
1989年
第13回寿原記念財団助成 「造血幹細胞の増殖と細胞死における蛋白質リン酸化酵素の役割」

所属学会

日本内科学会1、2、日本血液学会1、2、3、日本癌学会、日本臨床腫瘍学会1、死の臨床研究会北海道地方部会常任世話人、全国大学保健管理協会4(1:認定医、2:指導医、3:評議員、4:理事)

こころとからだを支える健やかな学生生活