大阪大学名誉教授
(前大阪大学保健センター教授)
杉田 義郎
前回、習慣的な運動は「脳を鍛える」ための立派なツールであることを述べました。つまり、運動は脳の成長にとって不可欠だということです。適度な運動は何となく心身の健康には良いと感じてはいても、創造的な活動を継続的に行うために積極的に小まめに運動を習慣する人は施設も整っていない日本ではごく少数派です。欧米の知識人層は「運動」と「健康的な食習慣」は今や創造力を産み出す「必須アイテム」として知られ、そのメカニズムをよく理解して実行している人が急増しています。それらを紹介する本がベストセラーとなっていますし、IT企業などでは質の高い健康食を提供する食堂とともに気軽に利用できるトレーニングルームを充実させています。
それではそのメカニズムに迫ってみましょう。もともと運動は生死に関わるような強いストレスがかかったときの「闘争・逃走」反応として生じます。この反応は身体と脳を動かそうと体内の資源を総動員することです。つまり脳内にはアドレナリンとドーパミンという神経伝達物質が分泌され、注意力を高め、研ぎ澄ませます。様々なルートから扁桃体(非常ボタン)という脳の一部に情報を集まってスイッチが入ると瞬時に副腎にメッセージが発信され、段階を踏んで異なるホルモンが血液中に放出されます。まずアドレナリンが大量に放出され、筋肉と脳の活動にエネルギーを供給するためにグリコーゲンと脂肪酸を燃料となるブドウ糖に変換し始めます。次に副腎から放出されたコルチゾールというホルモンは、アドレナリンより作用が遅いのですが、その効果は広範囲に及び、ストレス反応の過程でさまざまな役割を果たします。新陳代謝のために「交通整理」(アドレナリンにつづいて肝臓に指令して、血糖値を上昇)をします。同時に、ストレスに対処する上で優先順位の低い組織や器官への燃料供給を遮断して、闘争・逃走反応にとって大切な部位(脳や筋肉など)だけに燃料が流れるようにします。アドレナリンとコルチゾールは絶妙な役割分担があります。コルチゾールは脳の異常興奮が続くのを抑制する作用もあり、長引くストレス反応のコントロールはコルチゾールが専ら担っています。とかくストレスの多い現代では身体が疲れているというよりもコルチゾールを産生する副腎が酷使され、疲れているといえるでしょう。
また、運動自体には脳の神経細胞の新生や神経回路形成に必要な「神経成長因子」の生産を促進させる作用があり、コルチゾールには体験を記憶する脳(海馬)の発達・成長をサポートする作用もあります。身体運動にはストレス体験を効率的に記憶・学習し、今後はより困難なことにも対応できるようにストレス対処力を向上させる機能、つまり脳を育てる機能があるのがわかります。
次回はストレス対処力をテーマにしたいと思います。
日本睡眠学会、日本スポーツ精神医学会(評議員)、日本時間生物学会、日本臨床神経生理学会、日本精神神経学会、日本脂質栄養学会、全国大学メンタルヘルス学会