大阪大学名誉教授
(前大阪大学保健センター教授)
杉田 義郎
読者の皆さんの中には一度でも良いからストレスのない生活をしてみたいと思う人はおられるでしょうか? 過剰なストレスの中で生活するのは辛いけど、全くストレスのない生活ということは通常の生活ではありえません。もしそれに近い状態があったとしたら健康な人はどう感じるでしょうか?
このことを科学的に探求した感覚遮断の研究は1950〜60年代に盛んに行われました。感覚遮断(sensory deprivation)とは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの人間の感覚に対する刺激を、極力減少させることです。実験装置も色々と工夫され、真っ暗で防音された体温に近い塩水に浮かぶための装置であるアイソレーション・タンクに数時間入って実験が行われました。初期の研究では、覚醒状態、感情反応、思考などに多くには阻害的な反応が見られ、単純な幻覚を含めると全員に幻覚が生じたと報告され、これらの結果が感覚遮断に強いネガティブな印象を与えました。
しかし、前述のように実験装置が洗練されるにつれて、初期の研究結果は、感覚刺激そのものを制限した影響ではなく、被験者を不安にさせる実験手順による否定的影響と考えられるようになりました。一時は海外の著名人や日本でも立花隆や吉本ばななの体験記が大衆雑誌に掲載されるなどして注目を浴びました。
通常は1時間で使用されることが多いようですが、最後の方では脳波が覚醒時に見られるアルファ波やベータ波からシータ波に移行することがしばしば観察されています。通常、シータ波は強い眠気を感じる時、入眠期に出現する脳波ですが、感覚遮断の時には眠気や意識がもうろうとなることとは無関係に現れるのです。これはまた座禅や瞑想の熟達者に現れる脳波としても知られていますし、雑念にとらわれず物事に集中しているときにも現れる脳波です。
高純度の硫酸マグネシウム水に浮いている状態(あの有名な死海よりも浮力が大きくて浮きやすい)は重力からほとんど解放された状態で、深いリラクセーションが得られると考えられます。最近の研究では、施行後にはストレス、最も痛い痛み(筋肉痛)、不安、抑うつを減少させ、睡眠の質と楽観性が向上していることが報告されています。スポーツ選手のイメージトレーニングを促進するツールとしても活用されているようです。
そうならば、日常的に受けるさまざまなストレスはできるだけ少なくするようにしたら良いのでしょうか?その疑問に対するもっとも明確な答えは微少重力空間である宇宙ステーションに長期滞在した宇宙飛行士の体調変化が最も分かりやすいでしょう。宇宙飛行士は特殊な訓練を長期に受けたメンバーの中から選抜された選りすぐりの健康な人たちです。しかし、重力がほとんどない宇宙空間では宇宙飛行士は骨の形成が抑制され骨粗鬆症患者の10倍のスピードで骨量が減ってしまいます。つまり、骨の老化が促進するのです。さらに地球に帰還後は重力に逆らって、立っていることはおろか座っていることもできません。地上では重力に逆らって絶妙に調節されていた全身の体液・血液は、重力のない宇宙空間で適応するために変化し(体液量が減少)、地球に帰還した時には、立ってはおれない状態、起立性低血圧状態にありました。早い話が国際宇宙ステーションで188日間も働いた若田さんは帰還したときには抱きかかえられて宇宙船から出てこざるをえませんでした。それから通常の生活に戻るためには数ヶ月間のリハビリを要したのです。
ところで私たちは毎晩、超短期間の宇宙旅行を楽しんでいます。横になって眠る時間帯がこれに相当します。それは究極の貴重な筋肉休め、血管休め、骨休め、身体休めの時間です。大事にしたいものです。翌日にも予想されるストレスフルな出来事に対して万全のメインテナンスで臨もうとしているのですから。
次回は、ストレスフルな出来事があって、少々へこんでも長引かせず、心の成長につなげるセルフケアのポイントについて紹介できればと思います。
日本睡眠学会、日本スポーツ精神医学会(評議員)、日本時間生物学会、日本臨床神経生理学会、日本精神神経学会、日本脂質栄養学会、全国大学メンタルヘルス学会