大阪大学名誉教授
(前大阪大学保健センター教授)
杉田 義郎
「呼吸はなぜするのか?」と問われると、大抵は「酸素を体内に取り入れるため」と答えるでしょう。その通りです。ではなぜ酸素を取り入れなくてはいけないのか?」と問うと,「酸素がないと生きていけないからです」と。しかし、「体内にできるだけ多くの酸素を多く取り込めば良い」というわけではありません。
ヒトは細胞内のミトコンドリアにより栄養素(糖質・脂質・タンパク質)と酸素からアデノシン三リン酸(ATP)を作り出し,生命を維持しています。呼吸によってのみ酸素は体内に取り込まれます。呼吸は、吸う/吐くを繰り返すリズム運動ですが、その呼吸運動には様々な調節機序が働いていて、生体環境バランスを保っています。残念ですが、ここではその詳細を解説することはできません。
呼吸によって調節しているのは、血液中の酸素の濃度とともに、栄養素(糖質・脂質・タンパク質)と酸素からATPを生成するときに作り出される二酸化炭素の濃度です。二酸化炭素は肺から体外へ排出される物質ですが,決して不要な代謝産物ではありません。血液や体液の酸性・アルカリ性を調整する重要な物質で体内を弱アルカリ性に保つ重要な役割を担っています。
少し回りくどいことを言いましたが、今回の鼻呼吸と口呼吸の違いに結びついてきます。鼻呼吸は、吸い込む空気に適当な湿度・温度を与え、空気中の微細なゴミや細菌・ウィルスを鼻腔内の毛や粘膜に吸着して、気管や肺を保護しています。さらに、鼻の奥は脳の底部と接しているので、車のエンジンのラジエーターのように脳の過熱を防ぐ役割もします。
そもそも口呼吸を使うのは哺乳動物ではヒトだけです。他の哺乳動物は鼻呼吸しか使いません。ヒトも乳児期には基本的に鼻呼吸のみですが、言葉を話すような時期になると口呼吸を使う機会が生まれます。しかし、最近ではアレルギー疾患があって鼻が詰まりやすい、扁桃腺やアデノイドが大きく鼻の通気性が悪くて鼻呼吸がしにくい、そのために口呼吸に頼る習慣がついた子供がそのまま大人になることが少なくないのです。電車の中で口が少し開いている人(=口呼吸)をよく見かけますが、若い人たちが圧倒的に多いようです。
息苦しいと感じる時には楽に肺に酸素を取り込める口呼吸に頼りがちで、必要以上に二酸化炭素を排泄してしまい、血液中の二酸化炭素の濃度が低下してしまいがちです。このことは困った事態を招きます。すなわち、動脈中の二酸化炭素の濃度が低下すると各臓器に酸素を補給する動脈が収縮して細くなり、末梢の循環が悪くなります。さらに酸素を運んでいる赤血球が細胞近くの毛細血管のところで酸素を手放しにくくなってしまうのです。つまり、細胞全部に酸素が十分に届かなくなってしまうのです。深呼吸を続けていると手足がしびれて、筋肉が硬直してしまう過換気症候群はその極端な状態です。口呼吸を盛んにしている人は軽い過換気状態が続いていることになります。
口呼吸は結果的に酸素を体全体に届けにくい状態です。代謝が低下し、疲れやすく、疲れが取れにくい、不安にもなりやすいという状態を招くのです。それ以外にも沢山の健康上の問題が生じやすくなります。例えば、幼少時に口呼吸を続けていると顎の発育が悪くて歯並びが悪くなり、外気を直接吸い込むので喉・気道の炎症を起こしやすく、免疫系が不安定となります。睡眠中の口呼吸は、いびきや睡眠時無呼吸を起こしやすく、睡眠障害の原因の1つになります。
口の中が乾燥しやすい、唇が荒れやすい、頻回に水分を摂らないといけないのは口呼吸の可能性が高いので、一度、軽く鼻から吸って鼻から吐く鼻呼吸の訓練を始めることをお薦めします。
次回は、「口呼吸から鼻呼吸に切り替えるためのトレーニング」を紹介したいと思います。
日本睡眠学会、日本スポーツ精神医学会(評議員)、日本時間生物学会、日本臨床神経生理学会、日本精神神経学会、日本脂質栄養学会、全国大学メンタルヘルス学会