大阪大学名誉教授
(前大阪大学保健センター教授)
杉田 義郎
新型コロナウイルス感染によるパンデミック、コロナ禍が始まって3年目を迎えています。大学は4月より新入生を迎え入れました。しかし、相変わらず、新入生を歓迎する行事は自粛され、クラブやサークルの勧誘もオンラインでいう、甚だ盛り上がりに欠ける状態が依然と続いています。むしろ、それが当たり前のような感じさえするのです。
スケジュール化された高校生活と比べると、大学は自由がいっぱいです。しかし、新入生にとっては、全てのどのような選択をしたら良いのか分からない。それを自分一人で決めろといわれて不安で仕方がない、誰に、どこへ相談したらいいのか分からないといった悩み、実に大変な悩みに直面しています。しかも、履修科目の選択にいたっては待ったなしで期限が迫ってきます。
コロナ禍以前であれば、4月はクラブやサークルの勧誘が激しく行われていました。新入生と分かれば、クラブ愛やサークル愛に溢れた(少々暑苦しい)、知らない上級生が満面の笑みを浮かべて、声をかけてくれました。そして、クラブ・サークル活動の見学に是非来てくれと熱心に誘ってくれたものです。つまり、新入生にとって最初は受け身でも、対面による人と人との交流のきっかけが4月に開始されていました。もちろん勧誘する側の学生にとっても、4月、5月は最も「熱い」時期でした。
コロナ禍の今であっても、クラブ・サークル活動に関わる学生諸君は、いろいろと工夫を凝らして、新人部員を獲得しようと必死に活動している最中だと思います。しかし、コロナ禍の中で活動が色々と制約されて、思うように新人部員を獲得できないために、存亡の危機にあるクラブ・サークルもあると聞きます。クラブやサークルはたとえ大学公認とされていても、あくまでも学生の自主的運営に委ねられています。大学としては課外活動と位置づけられるクラブ・サークル活動は、コロナ禍では都道府県行政の規制に合わせて、学内外の活動に様々な規制が課されました。普段とは違い、致し方のないことも多いのも事実ですが、このようなときだからこそ、大学にとって、学生にとってクラブ・サークル活動はどんな意義や意味をもつのかを考えてみたいと思います。
大学の正課外教育(クラブやサークル活動を含む)の積極的な捉え直しについては、大学における総合的な学生支援に関して重要な転換点の一つになった「報告」について語る必要があります。それは平成12(2000年)年6月文部省高等教育局から出された『大学における学生生活の充実方策について(報告) -学生の立場に立った大学づくりを目指して-』で、いわゆる「廣中レポート」です(「大学における学生生活の充実に関する調査研究会」の座長であった廣中平祐・山口大学学長(当時)からそのように呼ばれています)。発表された時期が、私自身が大学医学部から保健管理施設を含む健康体育部に異動して4年足らずの時期であり、その内容を何度も読み返し、自分の大学で何をなすべきか、部内でいろいろと検討を重ねたことの記憶が蘇ります。
この「廣中レート」を是非とも全文を読んでいただきたいと思いますが、ここでは、「正課外教育の積極的な捉え直し」「学生の自主的活動及び学生関係施設」の部分を本コラムの最後に引用しておきます。そこには、私が述べたいことが全て記述されています。「廣中レート」が発表されて早20年以上の年月が経ちますが、残念ながらこの目標が達成されていないと思われます。ここ最近の大学を取り巻く厳しい状況においては、後退を余儀なくされていると思われます。
さて、大学に入学したとはいえ、研究室にも、クラブ・サークル等にも所属しない学生は、大学に所属しているという意識が持てるのでしょうか? 大学生活に関して生じた悩みや困りごとを相談できる環境が身近にあるでしょうか。コロナ禍になってからは大学内の学生支援組織はこのような状況に対して、相談窓口に学生がアクセスしやすいように以前にも増してさまざまな工夫を凝らして頑張っています。しかし、それで問題がほとんど解決するとは到底思えません。
工業化と近代化以降の現代においては、個人の個人の成長や自己表現に対する経済的、社会的障壁の多くが取り除かれたことで、現代の個人には目もくらむばかりの選択肢が与えられ、同時に大きな責任も課せられています。今日、私たちは自分のキャリア、友人関係、居住地、そしておそらく最も重要なこととして、自分自身の価値観を自分で選択することができます。以前の時代であれば、与えられたり、決められたりしたであろう多くの問題について、私たちは決断を下さなければならないのです。一般的に合意された価値観や信念がなく、選択の指針となる実践的な知恵がない場合、あまりに多くの選択肢に耐えることは困難でしょう。フランスの偉大な社会学者エミール・デュルケーム(1897-1958)は、この価値観や規範の欠如を「アノミー」と呼び、アノミーの下では自殺率が飛躍的に上昇することを示しました。
また、現代のグローバル経済では、個人は常に自力と自分自身の精神的資源でやるしかない状況が生まれています。ドイツの社会学者で哲学者のアーノルド・ゲーレン(1904-1976)は、社会の機能のひとつは、過剰な選択の負担から個人を守ることであると書いています。もしそうだとすれば、コロナ禍でバラバラに孤立してしまいがちな学生を守るにはどのようにすれば良いのでしょうか。
賢明な読者の皆様は、著者が次に何を言いたいかはおおよそ察しがつくと思います。つまり、新入生諸君にとって、お気に入りのクラブやサークルが見つかって、先輩や同期との付き合いがスタートすれば、上述した悩み困りごとの多くは解決する可能性が高いのです。この際、コロナ禍で少々弱っているかもしれないクラブ・サークルへの支援を「廣中レポート」の精神も下に行っていただきたいと思います。すなわち、学生諸君の意見を吸い上げ、具体的に検討し、その結果をどんどん公開していくことです。そこには、今すぐにでも可能な事がある一方で、ヒト、カネ、モノをつぎ込んで計画的に行かなければならないことも多いことでしょう。しかし、結果だけではなく、その作業過程そのものが、多くの学生諸君に希望を与え、元気づけることでしょう。何よりもそのような大学に所属することへの安心感や喜び、そして誇りを感じることでしょう。
「明けない夜はない」。コロナ禍が学生支援のあり方を改めて考える機会を与え、その結果、大学全体の活性化につながれば大いなる幸いとなるのではないでしょうか。
資料:『大学における学生生活の充実方策について(報告) -学生の立場に立った大学づくりを目指して-』(いわゆる「廣中レポート」)(抜粋)
日本睡眠学会、日本スポーツ精神医学会(評議員)、日本時間生物学会、日本臨床神経生理学会、日本精神神経学会、日本脂質栄養学会、全国大学メンタルヘルス学会