「しあわせ運べるように」の託した思いを未来の子供たちへ

臼井 真 先生(神戸親和大学)

臼井 真 先生(神戸親和大学)
臼井 真 先生

29年前のあの日。当時の勤務先、神戸市中央区にあった吾妻小学校へ音楽隊の早朝練習に向かうため、午前4時半頃に起床した。木造2階建ての自宅1階で食事を済ませ、2階に上がった直後に阪神・淡路大震災が起こった。あの時、もう少し1階で何かをしていたら死んでいたかもしれない。我が家は、1階が完全に押しつぶされた状態で全壊した。今でも、あの時の恐怖はトラウマとなって脳裏に焼き付いている。

灘区の親類宅と避難所となった学校での生活が始まった。今までの人生の中で一番過酷な日々だった。学校では、救援物資やトイレ掃除、電話対応など、身体は動かしていても心は宙に浮かんでいるようだった。そんな日々を繰り返していた震災から約2週間後の夜、交代勤務で早く帰宅できた私は、テレビのニュースに目が釘付けになった。

三宮の街が映っていたのだが、それは私が幼い頃から慣れ親しんだ美しい三宮ではなかった。目を覆いたくなるような悲惨な街の風景だった。東灘区の自宅周辺だけでなく、神戸の街全部が消えてしまったような衝撃を受けた。ふるさと「神戸」への愛情や様々な思いがこみ上げ、目の前にあった紙に歌詞を走り書きし、直後に曲を付けた。こうして誕生したのが「しあわせ運べるように」である。まさか自分が地震をテーマにした歌を創作するとは夢にも思わなかった。

歌が運んでくれた様々な出会いは奇跡のようである。その中でも、11年前から交流が続いている「福島しあわせ運べるように合唱団」は特別な存在である。

29年という月日が流れても、一人で絶望感の中で創作した歌に託した思いは色あせない。私が死んでも歌は生き続ける。未来を担う子どもたちには、震災で悲しい思いをされている方々に幸せを運べるような存在になってほしい。そして、いつの日か能登半島地震で被災された方々にも歌が届くことを願っている。阪神・淡路大震災から学んだ教訓を風化させないために・・・・。

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