激甚災害支援・防災

被災地の大学だからこそ忘れないとりくみをしつこく継続

全国で被災者が一番多い大学。震災から2年が経過する今だからこそ 忘れない、しりぞけないとりくみを粘り強く、覚悟を持って継続していく。 東北学院大学の活動や姿勢を、副学長の斎藤誠先生に、東北学院大学生協細畑専務理事と共に伺いました。

斎藤 誠 副学長 MAKOTO SAITO

斎藤 誠 副学長

1954年 宮城県生まれ。
   76年 東北大学法学部卒業。
   81年 東北学院大学法学部講師。
   84年 東北学院大学法学部助教授。
   91年 東北学院大学法学部教授。
   04年 東北学院大学法学部長。
   09年 東北学院大学副学長。
   専門分野 政治学、政治思想

今、被災地は どうなっているのか?

『震災学』(東北学院大学/荒蝦夷)
『震災学』(東北学院大学/荒蝦夷)

編集部:最初に今の被災地の状況や大学・学生について、先生の現状認識を交えてお聞かせ下さい。

斎藤:2年経って地域による違いが相当大きいと思います。福島など放射能の問題がある所は、いつが復興の出発か分からない。また、阪神淡路と違い、被災地の多くは市部ではなく、そこでは若い人が少なく老人が多い。比較的順調に復興している仙台周辺と、そうした地域では、復興の状況が非常に違うのが特徴です。 学生も社会も、震災を切り抜けて前へ進んでいる学生、逆にますます深刻に大変になっている人たち、と二極化しています。 本当に困っている人とそうでない人の差が非常に大きく、大学の奨学金も、一律の「広く薄く」を改めて、本当に困った人には4年間無償にする、などに変えています。元気な人は元気ですが、心の傷、トラウマの問題は無視出来ない、学生もそうです。

細畑:被災学生が多く、生協の学生委員もまだ話せない学生が多いです。

斎藤:本学は全国一被災者が多い大学なのです。

細畑:東北地域の大学生協の学生の集まりで震災へのとりくみのDVDを見て泣いてしまった学生がいましたが、自分の家も流されていたんです。大学は、学生にもかなり配慮されていますね。

斎藤:震災直後5月の教授会でカウンセラーの方が被災学生にどのように接したらよいか、被災のことに触れないで淡々とした学生生活をさせることが大切だ、授業でことさら取り上げることはいけない、と徹底しました。時間の治癒力を待つしかない、自分が話せるようになったら聞いてあげる、それを待つしかないのです。

何故被災地に行くのか?

斎藤:「なぜ被災地に行くかというと、行けば分かるから行くのではなくて、自分が絶望的に何も分っていない、ということを確認しに行くのだ」と『震災学』には書かれているのですが、やはり現地に行って、現地の様子、そこに住む方の様子などをじかに知ることはとても重要です。修学旅行はとても大切な機会だと思います。この間、被災地に行く予定の高校が、地震が起きたので被災地訪問を取りやめた。結局覚悟がなければ、危ないので…になります。福岡の某高校の校長が、「行く義務がある」と言って連れて行った。こうした覚悟が重要ですね。

学生や教職員のとりくみ

『東北学院大学by AERA』(朝日新聞出版)
『東北学院大学by AERA』(朝日新聞出版)

編集部:大学のとりくみを具体的に教えて下さい。

斎藤:一番は、災害ボランティアステーションが大きな役割を果たしていることです。全国の色々な大学の方がこちらに来て被災地支援をするときのハブの役割をしています。関係大学も80数大学に増えました。震災を契機に立ち上げて、多くの学生が、他大学の学生も巻き込んで、かなり大きな活動を行い、地域社会からも評価されています。

編集部:ボランティア活動を通して、学生の中にどういう変化があったのでしょうか?

斎藤:大きな変化をしています。全国の他大学と連携して夏休みに大きなプロジェクトを行い、その振り返りのシンポジウムをやりました。そこでの学生の発表は、教員が驚くぐらい立派だったということです。ボランティアを通じて、自分の確かな経験、現場と自分との関わりについて、人に話すだけの実態、話せる事、話したい事ができた、ということです。 もう一つの大きな変化は、先生達が自分の研究力を震災の復興や分析にあてたという事です。その一番良い例が昨年6月に創刊した『震災学』です。   また、学長裁量経費による震災共同研究補助には10件もの応募がありました。先生方も、震災をきっかけとして、自らの研究の意味を見つめ直し、研究成果を社会に還元していきたい、と考えています。『震災学』は、そうした成果を結実させたものです。 また、本学は、工学部がある多賀城市と包括連携協定を結んでいますが、工学部だけでなく、大学全体の先生方が復興計画に協力しています。地域社会への還元、知的資源をいかに復興に使うか、という大きな動きがありました。

研究の力を役立てたいと 先生が思うまでには

斎藤:『東北学院大学by AERA』を読みますと、被災地の大学だから研究の力を役立てたい、と直線的に思ったのではなく、自分自身が被災者であることからくる複雑な思いと研究者として自分の研究をどういかせるかの気持ちのバランスをとりながら、先生それぞれの関わり方が決まっていったということが分かります。  『3・11慟哭の記録』も、被災者本人にしか分からない、迷いながらジグザグしながらの、複雑な想いが表現された、リアリティある大変良いものになっています。

細畑:本の出版以外にも、姜尚中さんや柳田邦男さんなどの講演も行っていますね。

斎藤:ほかにも内橋克人さん、京大の原子炉実験所の小出先生など、一流の人を呼び、学生だけでなく広く市民の人に聞いて欲しいと思い、大学としてやれる範囲で努力し続けなければと思っています。

今後の方向は

『3・11慟哭の記録』(新潮社)
『3・11慟哭の記録』(新潮社)

編集部:今後に向けたとりくみについてお聞かせ下さい。

斎藤:基本的には長い闘いです。学生や地域社会との関わりで、継続的で、しつこいとりくみが大事だと思います。深刻な被災を受けた人にとっては、「忘れ去られる不安と斥けられる恐怖」がこれからますます強くなっていきます。地元の大学が忘れてしまうと、本当に孤立してしまう。そうならないように、今までのとりくみもしつこく継続しようと思っています。  放っておけばひとは忘れ、斥ける。それに歯止めをかけるのは、結局、宗教的な信念や強い価値観に基づく覚悟だと思います。利害得失とか皆の意見を聞いて…ではなく、原理原則でものを考え、少々の抵抗や損があってもやるべき事はやらなくてはいけない、そういう覚悟を持った組織や人がどのくらいいるかが重要です。個人的には「成熟した市民社会」には限界を感じています。市民は自分の利害得失に敏感です。その点、本学は、覚悟をもって事に当たれる組織だと自負しております。

生協は何を どうしたら良いか

編集部:生協との関わりや期待についてはいかがですか?

斎藤:生協とは元々「覚悟」を持っている団体であり、それをどう展開していくか、という事に期待します。具体的には、市民生協のように被災地の商品を店頭で売る、あるいは被災地に行くプロジェクトを行う、食堂でも被災地ラーメンや焼きそばをやる、などメッセージを発することだと思います。「忘れない、助けたい」という気持ちをもって、私たちができることをやります、というスタンスをいかに持ち続けるか、と同時にそういう事を学生の人たちに、色々なメディアを通じて訴えかけ続けるのが大切なのかな、と思います。

細畑&編集部:今日は本当にありがとうございました。(編集部)