会員生協理事長インタビュー
富山県立大学生協 歴代理事長

必要だと思うから運営に携わり
必要だと思われるように頑張っていきたい
富山県立大学生協は2004年11月に設立されました。
今回は設立以降の歴代理事長先生にお集まりいただき、在任当時の状況や今につながる課題などを、生協運営に深い理解と強い気持ちを寄せていただくと共に、赤裸々に語っていただきました。
参加者
富山県立大学生協





- 初代理事長 奥田 實 先生 経歴
- 名誉教授
奥田 實(1949年生)
教育学修士(京都大学・昭和53)
■ 経 歴- 京都大学教育学部(教育社会学専攻)卒(昭和49.3)
- 京都大学大学院教育学研究科(教育社会学専攻)博士課程単位取得満期退学(昭和56.3)
- 京都大学教育学部研修員(昭和56.4~59.3)
- 滋賀女子短期大学幼児教育学科講師(昭和59.4~平成元.3)
- 滋賀女子短期大学助教授(平成元.4~2.3)
- 富山県立大学工学部助教授(平成2.4~9.3)
- ブリティッシュ・コロンビア大学客員教授(平成8.7~9.3)
- 富山県立大学工学部教授(平成9.4~26.3)
- 富山県立大学学生部長(平成11.4~13.3)(平成15.4~19.3)
- 富山県立大学キャリアセンター所長(平成20.4~26.3)
- 富山県立大学定年退職(平成26.3)
- 富山県立大学地域協働支援室COC統括コーディネーター(平成26.4~31.3)
- 富山県立大学名誉教授(平成26.6)
■ 専門分野- 家族社会学
- 教育社会学
■ 論文・報告- 「通婚圏研究批判」(京都大学教育学部紀要,1981)
- 「社会階層と親の教育態度」(関西教育学会紀要,1983)
- 「社会化の一考察 現象学的社会学による理解に向けて」(富山県立大学紀要,1992)
- 「進学意識について」(富山県立大学紀要,1993)
- 「身体論と社会化」(富山県立大学紀要,1994)
- 「母親の子ども観及び養育態度の分析」(富山県立大学紀要,1995)
- 「子ども観と幼児教育研究」(富山県立大学紀要,1998)
■ 著 書- 「放送の効果的利用」『保育のための放送教育』(三晃書房,1986)
- 「子供と環境」『幼児教育論』(ミネルヴァ書房,1987)
- 「解放を学ぶ女たち」第5章,第8章翻訳(勁草書房,1987)
- 「社会化論再考」『教育現象の社会学』(世界思想社,1995)
- 「父親と母親による子育て」家庭教育指導資料集14(富山県教育委員会,1998)
- 「家庭で育む生きる力」同資料集15(富山県教育委員会,1999)
- 「薄れゆく人とのつながり」同資料集16(富山県教育委員会,2000)
- 「公立大学,人材育成システム構築 ― 現状と課題」(分担執筆)(公立大学協会,2007)
【聞き手】
- 全国大学生協連 広報調査部
(以下、敬称を省略させていただきます)
生協設立による学生の成長や福利厚生の貢献
聞き手:富山県立大学生協があることで学生の成長や日常的な福利厚生に貢献できていることは、どのようなことだとお考えでしょうか。具体的なエピソードも交えてお聞かせください。
富山県立大学生協 初代理事長 奥田 實 先生(以下、奥田):大学開学時には食堂や売店があり、本屋さんが出入りしていた状況でした。教職員はいろいろな大学から集まってきていましたので、「なぜ生協がないのか」という声があり、教授会でも要望が出ましたが、結局県庁の意向でその時は生協ができませんでした。
ちょうど私が学生部長になった時に、新しく事務局長になられた方から「ぜひ一緒に生協を作りましょう」と言われ、生協のない大学は保護者にも人気がないし、特に学生の食べる環境が悪い状況でしたし、売店の品数も少なくて、ぜひ生協を作って大学のアピールとして使いましょうということが始まりでした。そういう意味では、最初から大学事務局の応援のもとに出来上がっていますので、うちの校費需要の割合が大きいという根幹になっているのではないかと思いますね。
学生委員会の立ち上げも、最初は学生委員を知らない学生ばかりでしたので、無理やり私のゼミの学生を学生委員にしたような状況でした。
富山県立大学生協 三代目理事長 岡本 啓 先生(以下、岡本):奥田先生の話の補足になりますが、生協ができる前は別々の業者さんがそれぞれの部門を担っていて、売店、食堂、書籍、OA機器と違う業者さんが出入りする状況でした。お話にあった通り、特に問題だったのは食堂で、食堂単体で事業をするのは相当厳しいということで、民間企業に何社か入っていただきましたが結局撤退されてしまい、まずは学生の食をしっかり確保するということが大学にとっては一番大きな課題でしたし、それを解決するには福利厚生事業全体の中での食堂事業が必要で、「やはり生協しかない」と大学生協の設立に大学主導で動いたというのが背景にあります。
学生の食事に関しては、私もちょうど健康科学担当の教員でしたので、内容が見るに見かねるといいますか、ひどい状況だと常々思っていたので、生協のおかげで解消されてきたことが本当に良かったと思います。
聞き手:当時、大学生協は学生が参加する組織であるという魅力などが大学の中で共有されていたのか、それともただ福利厚生業者として必要だという点が強かったのでしょうか。
岡本:私の認識では、学生が福利厚生に関わるといったことは、実際生協の活動が始まってからではないかと思っています。どちらかというと、大学としては切羽詰まったような状況にあったのではないかと思っていて。生協を設立したことの副産物として、学生が元気になったという印象はありますけれども。
奥田:どちらかというと、大学側としては福利厚生のところを考えていたと思います。ただ実際に食堂がオープンすると、食堂の混雑を見てこんなに学生がいたのかと私もびっくりしました。食堂ができたことで、非常に活気づいたことは事実です。そういう中で、最初に作った学生委員会みたいなものが自然発生的に新入生の勧誘をやったところ「私もやってみたい」と学生委員が増えて、今に続いているのだと思います。
あとは既成の業者さんに撤退してもらうのが大変でしたが、一番大変だったのは教科書販売もされていた本屋さんで、その時に「学生が栄養失調になりかかっていて、学生のために我々は教科書販売も任せてもらわないと良い食事を提供できないんだ」と訴えかけたりしましたね。
富山県立大学生協 二代目理事長 中島 範行 先生(以下、中島):僕は奥田先生がちょうど退職されるタイミングで「次を任せたぞ」と、有無を言わさず二代目の理事長になりました。私が引き継いでからの6年間というのは、結構いろいろなことが変わった時代で、一つは北陸ブロックができてから次に関西・北陸になるのか全国になるのかという転換期、それから大学がそろそろ独立法人化になるという話で最初に問題になったのは自販機でした。自販機を置くのに売り上げは生協に入れられるか、それとも県が入札するのでどうするのかという話になって。結果的には、福利厚生棟は生協がそのまま、それ以外は県に収めるという形になりました。
また、看護学部ができるのでその福利厚生をどうするかという話があった時で、県庁は看護の食堂はどこでも引き受けてくれるだろうと思っていた節があって、生協設立までのいきさつと生協の食堂の特殊性を説明した上で、生協がないと看護の学生さんは食事が取れませんよと、神谷さんと2人で話をしたのを覚えています。
コロナ禍以前で新入生フェスタにもほとんどの学生が参加をし、その後の生協の歓迎会やお花見にも50人くらい参加があったようないい時代に理事長をさせていただき、岡本先生に引き継いだということになります。
岡本:私は初代専務で、中島先生から引き継いで三代目の理事長ということになります。今お話にありました通り、中島先生が理事長時代に看護学部ができまして、キャンパスは二つに分散することになりました。看護学部は工学部の学生とは違い、夏季休暇や春季休暇の時にはほとんどキャンパスに学生は来ませんし、通常の授業でも実習があるのでキャンパスの滞留人口が少ないという問題がありました。更に設備や人員を分散しなければいけないということで、経営上非常に難しい状況になり、そこは教員の先生方に理解いただいた上で公費利用などをお願いし、なんとか帳尻を合わせていかなければいけないと思っていたところコロナ禍になりまして。私が4年理事長をしていた間はずっと赤字対策といいますか、経営をどう立て直していくかになかなか苦労をし、コロナが収まり少し落ち着いたところで、神谷先生に四代目の理事長をお願いしたということになります。
富山県立大学生協 現理事長 神谷 和秀 先生(以下、神谷):現理事長です。引き継いだ時には大赤字で、その赤字をなんとかしたいと現店長の出野さんと一緒に日々いろいろなことを頑張っています。大学と作った生協ということもあり事務局の方にいろいろと相談することもできますし、大きなところでは金銭的な補助をいただくとか、食堂の設備も綺麗にしてもらうとか、そういう時のパイプ役として大学に生協の状況を常に説明するようにしています。常にというのは私の作戦で、食堂に大学の主要な方が食事に来られた際に、ご挨拶をして食事をしながら生協の困りごとを話すことが役目だと思っています。そういう話をしていると、理事長や学長から事務局の担当の方に話がいき、いろいろなことを決めていただけることもあります。そういうことを繰り返して早く黒字にしたいと思っています。
富山県立大学生協 現専務理事 藤井 正 先生(以下、藤井):私は数年前から専務理事をしております。コロナ禍以降の経営状況が苦しい中、毎月の常任理事会と理事会で、いろいろ話し合いながらやっています。やはり一番の稼ぎ頭である、食堂の利用をいかに安定して増やしていくかというところが、理事会では毎回話になりますね。昨年は厨房があったエリアを客席にして厨房を新たに奥の方に作り、客席にゆとりを持たせることで行列の解消に努めました。コロナにより生協を使わなくても生活できるというパターンが定着してしまったことが問題だと思っていますが、コロナ禍以降に入学した学生たちになんとか利用してもらいたいと、いろいろ策を考えているところです。あとは本が売れない、教科書をちゃんと買ってくれないことに対して、何か対策ができないか模索しています。
大事なことは、世の中が変わっていることに、やはり生協もついていかなければいけないのかなと。旧来の本や辞書や電子辞書などではない媒体に、上手に切り替えていかないといけないのではないかと思います。
聞き手 :独立法人化による経営的な影響というのは全体的にそれほど大きくはなく、直接的な赤字の影響ではないということですよね。どちらかといえば、キャンパスを分けたことが大きかったのでしょうか。
神谷 :予定段階では、そもそも看護学部はどうしても黒字にはなりにくいので、看護学部で出る赤字をこちらの黒字で埋めるというか、トータルで赤字にならなければいいと考えていました。生協は利益を出すことが目的ではないので、それでなんとかやっていきましょうという設計だったのが、コロナになりどちらも黒字ではなくなってしまったことが大きいですね。
中島 :もう少し言うと、奥田先生が生協を作った時には、食堂は赤字になっても、それを公費や教科書販売や自動車教習所などで埋めましょうというのが最初の話でした。食堂も最初はメニュー等それぞれの大学に任されていたけど、今は完全に統一したメニューになっていることもあり、食の安全を考えれば良いのですが、物価上昇や赤字補填のための独自の価格設定などは難しくなり、それも良し悪しだと思います。
聞き手:食堂のメニューを統一することで、食の安全とかトレーサビリティ等は当然確保できる、これは明確なメリットだと思います。また集中購買をすることで、食材費が多少ですが下がるとか、あるいは高いレベルで加工したものが入ってくるので、厨房でのオペレーションコストは下がることに設計上なります。ただおっしゃったように、大学のオリジナリティやさまざまな事情は反映しにくくなるので、どちらが良いかというよりは多分バランスの問題だと思いますね。
奥田:確かに食堂で「九州フェア」等は人気がありますね。
昔は事業連合とは関わりない形で、富山の新湊からカニを安く提供してもらってみんなで食べるとか、富山の新米を出すとか、地域性の高い取り組みもしていて、今は難しいかもしれないけどそういうこともやはり必要かなと思います。
公費に関して言えば、最初の店長だった国見さんは、足を運ばないとなかなか買ってくれないと年に2、3回程度、担当の職員を連れて研究室回りをしてくれていましたね。今は教員もネット通販を利用する人が増えていますが、生協としては顔と顔を合わせて先生方に利用していただく努力を続けてきているのは良かったと言えるのではないかと思います。

食堂 Soletta(ソレッタ:小さな太陽)の入口
(現在はネーミングライツ事業により名称変更)
学生企画
順番待ちの列

食堂ホール

出食カウンター
食堂レジ

食堂ホール
新設された食堂ホール
生協運営における課題
聞き手:在任中を振り返っていただいて、それぞれの時に感じておられた課題がございましたが、先生方が利用者としての立場で、生協に対して課題と思われる点はございますか。ご自身の想いも含めてお聞かせください。
中島:設立時のこともあり、大学との関係は非常に良く、お願いもしやすい雰囲気があります。設備の面も、建物のお金などは大学で出してもらっていますしね。でも今は改装するにも億単位のお金の工面を考える必要があり、大変な時代だと思います。
大学の立場からすると、一つは学生の成長の一端を担っていただきたいということ。学生にいろいろな機会を与えるという意味では、対外的な取り組みで生協に非常にお世話になっていると思っています。生協の学生委員は比較的低学年で活動を始めますが、その後は全国の活動に参加する学生もいれば、学内の学生会での活動や地域協同の活動に進む学生もいるように、一度生協での活動を学んだ後にもう一段上の活動をすることが多く、その成長はゼミや研究室に入ってきた時に大いに感じるので、ステップアップする意味においても非常にありがたい組織なのかなと思います。
教員の立場すると、やはり教員も働いている人なので、きちんと食事できるところがある、いろいろな機会に参加でき情報が得られるという意味では、生協がないと非常に苦労するだろうと思います。特に設立時にはなかったコンビニが周辺に出来た今となっても、やはり選択肢が広がるということはありがたいことだとは感じていますね。
あとはオリジナルグッズを作ろうという話があって、最初は大学の先生でお酒を作っていた人がいたので、県立大学の酒を作ろうとしましたが販売の許可が下りず、今は大学の校章が入ったおせんべいを作り、私もいろいろな関係先で配ったりしています。このような取り組みも売り上げに貢献できるなら、もっといろいろ作ったらどうかと思ったりしますね。
富山県立大学生協 出野 駿和 店長(以下、出野):先生方がおっしゃるように大学と生協、先生方と生協、理事会と生協がものすごく密接に活動していることに一番驚きました。私が赴任した初日に、食堂で食事をしていた先生が声をかけてくださって、それが理事長の神谷先生でした。こんなに距離が近くて、毎日お会いして話ができる、相談に乗っていただける、こういうことを考えているとアイディアをたくさんいただけることが本当にありがたく、そして感謝しています。
私は、福利厚生をなくしてはいけない、生協をそもそもなくしてはいけないということを一番のミッションとして与えられてきております。5年連続で赤字のところに私が赴任した昨年も赤字でしたが、福利厚生のレベルを一定以上に保ったまま、どれだけ赤字を縮めて生協をきちんと後世に残していけるかは、先生方の強い気持ちに後押しされています。最初はやはり仕事としてやらなければならないという気持ちでしたが、理事会や先生方が本当に生協のことを考えて活動されていることに感銘を受けて、拙いながらも追いつきたい一心です。もちろん1人区ですので、職員一人の力ではどうしてもできないことも出てきてしまいますが、連合やブロック、あとは他の大学生協の専務の方々にもいろいろな支援をいただきながら、事業活動をしています。今年はなんとか昨年から比べると700万円くらい経営改善しそうな見通しで、徐々に皆さんのアイディアや大学と交渉していただくことと、職員側で考えて行う事業のところが噛み合って、経営改善につながってきているのではないかと思っています。この良好な流れに乗って、来年、再来年と経営改善を進めていきたいと思っています。
神谷:やはり最初に作った奥田先生の力ですね。
奥田:僕は何も、店長だった国見さんと当時の北陸事業連合の人が入ってくれて。最初は総代会でなく総会で、その準備段階からみんなで力を合わせてやってくれたのが助かりましたよね。
それとパートさんも結構長く続いている方もおられて、学生が卒業前に挨拶に行くような、いい意味で生協のパートさんに学生が育てられているみたいなところもあります。
学生委員会に関しては、先ほど中島先生から話があったように、学生委員にとって学生委員会はキャリア形成の場だと思いますね。だから社会に出ても活躍している学生をよく知っていますが、みんなそこで鍛えられたのかなと思っていて。最初に学生を連れて全国総会に出た時に壇上で震えていた学生が、2回目になるときちんと話ができるようになったことも今思い出しました。
聞き手:まず、学生の成長が大学からの一番の期待という言葉をいただいたのが、私自身すごく嬉しく思います。私個人も初めての専務理事時代に生協の理事長先生から「生協の活動は学生の成長に貢献している」と言われたことがあって、自分たちは当たり前のことをやっているのですが、学生の活動を通じて彼らの成長を先生方が感じ取ってくださるというのは、生協人として一番嬉しいことでもあります。もちろん大学教育の中でも学生の成長は著しいと思いますが、生協での活動のように低学年から自然に、自発的に行う機会を作るということは大変重要だと感じました。
神谷:最初は必要だと作った生協が、今は学生さんにとって普通のお店、ただの食堂であり、購買はコンビニと違わないと思われている気がします。そういう学生さんたちに、生協は組合員になったら皆さんのお店であり、みんなのたすけあいによって組織をつくり運営していることを理解してもらうこと、組合員であることは何かの会員になったのとは違い、その組織の一員であり運営側の人であること、だからやりたいことがあったらきちんと声を上げ、みんなで実現可能に向けて考え活動していくこと、こういうことを広めていかないといけないと思います。それは学生さんだけではなく教職員もみんなそうで、生協設立当初は温かい食事が提供されることが幸せだなと感じて、生協ができてよかったと思っていたのですが、それが当たり前になり、設立当時の大変な状況を知らない世代が増えています。我々は設立時を知っていますが、そろそろ退職の時期も近づいてきているので、そこの想いを伝えて引き継いでいくことが課題なのかなと思います。そこがきちんとできていれば、他はなんとかなるのではないでしょうか。
岡本:生協ができる前は、売店で一番売れるのはカップラーメンだった、あれがもう見ていてかわいそうでね。
中島:そういう時代がありましたからね。
藤井:教職員の方々でも、新しく来た先生方の校費利用があまりないのではないかと。簡単にネット注文しているケースがあって、生協で注文したらいいのにと、学科資料室にある書類を見て気がつく時があります。やはりそこは先ほどの話にありましたけども売り込みなのかなと。特に赴任されたタイミングで、やはり強く訴えるのがいいのではないかと思います。それは新入生に対しても同じで、組合員に加入する段階で普段の生協使いが自分たちの利益になるとともに、そのたすけあいの輪を実は担っていることをしっかりと認識してもらいたいですし、そうアピールできたらいいのかなと思います。
いろいろなところで新しいアイディアはないかと模索していますが、やはり学生さんの声が聞きたいと思うので、学生の理事を通していろいろな意見が吸い取れたらと思います。学生さんからも積極性が出てくるといいですね。学生委員が代替わりになった時に、委員長がブロックで次の年活躍してくれることがここ数年活発にありまして、頑張っているなと思っています。理事会の学生委員会報告が非常に盛りだくさんで毎回感動しますし、そういう意味では学生さんたちがすごく伸びている気がして嬉しく思っています。

購買 Lunetta(ルネッタ:小さなお月さま)の入口
購買レジ
企画コーナー

パンコーナー(半分は地元のパン屋さんの商品)

CO-OPのお菓子で埋め尽くされたコーナー
リリパックを使用したHOT弁当コーナー
人気のオリジナルグッズ:校章入りの煎餅
今後の生協運営の展望
聞き手:課題としては想いを継承するということと、学生の主体性をどう引き出すかということになるでしょうか。もちろん経営的な課題もさまざまあるかと思いますが、やはり生協は一方で運動体でもありますので、今おっしゃっていただいたことを大事にしないといけないと思い伺いました。
最後に、全国の大学生協でコロナの影響が残る中、奮闘している方がたくさんいます。その皆さんに向けたメッセージをいただければと思います。
奥田:うちは小さな大学だからできることもあるし、だからといって小さな大学でできることが大きな大学でできないこともないとも思います。規模の大きさに関係なく、こういう小さな生協でやっていることが何か参考になればと思います。
もう一つ、共済が地域生協とつながったわけで、消費者生協のあり方を考えた時に、大学生協から地域生協を経てというつながりをもっと強化できるシステムができたらいいのかなと思います。富山も地域生協と大学生協で何かタイアップできたらいいですね。
岡本:やはり大学との情報交換の場を、いろいろなレベルで作っておくことだと思いますね。大学の首脳陣と言いますか、幹部とのつながりであったり、それからもっと現場の事務局の方とのつながりであったり、教職員と学生とのつながりであったり、いろいろな意味での情報交換などを絶やさないようにする。それこそ店長が研究室回りをするということも含めて、そういう情報交換をして、うちの大学生協でこういうことを取り組んでいますとか、こういうことは困っていますとか、そういったことが、できるだけ多くの人に共有されることがいいのではないでしょうか。うちの生協で言うと今はなかなか経営状況が厳しく、小さな大学の生協ですので、ちょっとした赤字でも突風が吹いているような状況ですよね。なので、できるだけそういった経営のことについても、大学の関係者や学生さんにも知っていただくということが大切かと思います。
中島:なかなか難しいですけど、やはり小さな積み重ねをしていくしかないと思っているところで。例えば宣伝の仕方にしても、大きな媒体で行うやり方もあるけど、結局今だと口コミが一番みたいなところもあって、それはさっきも言った小さなことの積み重ねだと思います。
それと真逆のことを言うと、全国やそれぞれの地域での活動を知ることが大切だから、情報は取っていかないといけないですよね。提携するとか話をする機会を持つとかで、情報の面は今までよりきめ細かくやっていただければいいのかなと思います。それが学生に伝わり、教職員に伝わり、みんなに少しずつ伝われば大きな力になっていくことを期待しています。
余談ですが、大学としても外からお金を取ることを考え始めていて、例えば生協の内装なども企業さんの力でお金をいただいて変わったり、うちの卒業生を何人も抱えている企業の方が恩返しをしたいと言ってくれたりしています。いろいろな人の力を借りて、地道な活動が続けられればいいのかなと思っています。
藤井:生協ができた時の状況と理念を忘れないようにしつつ、時代の流れの中で取り残されないようにすること。それと特に学生さんがハッピーに大学生活を送れるようにサポートする、そういったところが大事だと思っています。それに対して生協が少しずつでもプログラムを改善しながら提供していく、そういったスタンスで続けていければいいなと思います。
神谷:時々言っていることですが「生協がいらなくなったらやめましょう」と。大学として必要だから作ったんですが、いらない状況になったらやめればいいじゃないですかと言うことがあるんですね。僕らは設立当時からずっとただ働きです。全員教員なので、大学の仕事をしながら、生協の運営とか問題に対応するということをやっているわけで、正直なところ結構大変です。だからこの仕事がなくなったら、楽になるなと思うこともあります。ただ、必要なんですよね。必要だと思っているから今一生懸命にというか、先輩方もずっとそうしてきてくれたと思います。これからも必要だと思ってもらえる存在であり続けられるように、頑張っていきたいなと思っています。
聞き手:今日は貴重なお時間をいただきまして、本当にありがとうございました。
2025年12月16日 富山県立大学にて