「これからを生きる大学生へ、未来を創る人々へ」
〜本を読む人、読まない人、読書に興味がある人、興味がない人〜

全国大学生協連 大築 匡

Vol.5 AIが知らない読書の楽しみ

読んだ本の内容はほとんど忘れてしまっているけど、印象的なフレーズだけはぼんやりと覚えていることがある。

「学ぶとは、自分のなかで何かが変わること」

「わかるとは、自分が変わってしまうくらいのこと」

この二つの言葉は、本当はぜんぜん別の本の中で出会った言葉だったが、私の中ではひとつながりのフレーズとして定着してしまっている。あいまいな記憶だが、前者は灰谷健次郎が書き残した林竹ニの言葉で、後者は阿部謹也が若い頃に上原専禄から言われた言葉、だったと思う。ぜんぜん違う文脈で語られた言葉たちなのに、私にはそれらをもはや分かつことはできない。

ずーっと前に読んだはずでタイトルも著者もぼんやりとしか覚えておらず、あらすじだけはなんとなく覚えている本もある。なんだっけなあ、と思っていたが、わざわざ調べることもなく何年も過ぎていたが、ふと思いついて、最近流行りのAI検索に聞いてみたら、タイトルと著者にヒットしたことがある。(ちなみにこの本はコミックで、アメコミ風のキャラクターが超能力バトルを繰り広げ、実は・・・以下、ネタバレなので自粛。)
いや、AIすごいよ。

人間の記憶はあてにならない。単純な知識の総量でいえば、一人の人間とAIでは、すでに後者は前者を圧倒しているのではないだろうか。
だが、人間のあいまいな記憶は、間違えることもあるからこそ、何か新しいものを創り出すきっかけになれるのだろう。ChatGPTなどの生成系AIは実に便利なツールで私も仕事に活用している。日本語の「てにをは」の誤りや、主述関係の不整合、表記の揺れ等の修正はAIに任せた方が楽だし正確だと思う。私は文章のタイトルを考えるのが苦手なので、この連載記事も、書きあがったらAIに読ませてふさわしいタイトル案をいくつか挙げてもらい、その中から選んでいる。最近流行のAI検索ツールのおかげでネットを使って何かを調べる作業は格段に効率が上がった。もはやAIを手放すことは考えられない。

だが、それでもAIにはできないことが人間にはできると思う。本を読むことはその一つで、AIは本の内容をテキストデータとして蓄積し、計算資源として活用することはできるのかもしれないが、意味を理解しているわけではない。まして、人間のように間違えたり記憶が混同したりもしないし、本との対話で何か新しい考えを生み出したりもしない。
AI時代だからこそ、本を読むことが求められる。読書はAIにはできない人間だけができる特別な体験だからだ。