全国大学生協連 大築 匡
先週末の出張から帰る途中、新幹線の中で「なんとなく悪寒がするなあ」と思っていたら、コロナに罹っていました。
その日はなんとなく体調が悪いな、と思っていただけなのですが、翌日になって39℃を超える発熱で、ただの夏風邪とは思えず、医者にいったところ新型コロナ陽性とのこと。そのままその週は自宅療養するはめに…。
熱が上がったり下がったりを3日間繰り返し、その後は少し軽快しましたが、夜は咳き込んでしまいよく眠れず。家のなかでも感染を広げてしまうといけないので、療養期間の5日間ほぼ1日中ベッドの上から動かずに過ごしました。することもないので、午前中の調子がいいときは小説を読み返し、眠くなるとそのまま少し眠ることを繰り返していました。午後になると熱が上がるので本も読む気力もなくなりました。
自分はここ数年、軽めのエンタメ小説はあまり読まず、人文書を好んで読んでいたのですが、さすがにこの1週間はそんな気力も体力もありません。何度も読んだ小説をベッドに寝っ転がり熱が下がったときにちょっと読む。そのくらいがちょうどいい感じです。調子の悪い午後には本を開くことすらできなかったが、それすらも貴重な経験だったと思います。本を読めるというのは元気な証拠。本も読めないくらい調子がよくないときは、何もしていないようでも、体が回復に集中していたのかもしれません。療養中はあまり家族とも話さず、一人の時間が多かった。そんなとき読書だけが人との接点だった。病気の時に孤独を埋めてくれるのは、静かに語りかけてくれる本だけだった。
読書とは情報を得るための手段や、教養を深めるためだけものではない。ただ、誰かの言葉にそっと寄り添いたいときに開くものでもあるのだ。弱った体と心に効く読書。孤独に寄り添う読書。そんな読書があっていい。