夏号の二十選は、2013年開催の第9回全国読書マラソン・コメント大賞でナイスランナー賞に選ばれた作品とそのコメントをご紹介します。長~い夏休みのあなたのお供に……。
「あたしと吐季が恋人になったら、現代のロミオとジュリエットだね」「俺がお前を好きになるなんて、十回生まれ変わっても有り得ないよ」。“現代のロミオとジュリエット”なんて煽りだけど、ロミオ側には今のところその気なし。片思いでガン押しのジュリエットとか、かなり新しい。自己中で暴走している感のある緑葉にはちょっと引いてしまうが、彼女が語り手となったとき、見えてくるその心の中は純粋で、吐季を好きになってからの変化も可愛く、思わず応援したくなってくる。彼女の想いは真っ直ぐで、心の声はきれいすぎて切なくなってしまうけれど。それでも頑張れと、負けるなと思ってしまう。
(帯広畜産大学/neko吉)
「愛」というのは不思議なもので、不変で永遠で、キレイなもので……という価値観がつねにつきまとう。ふつうヒトは、失敗しつつ試行錯誤のなかで学んでいくものなのに、どうして恋愛に失敗したとき、特に不潔だと思われたり蔑まれたりするのだろう? そんな疑問に、新たな考えを提示してくれた本だった。「絶対は無いこと」を理解するステップもあって良く、そのための恋愛があることを知って初めて、大人になれる。こんな新鮮な語りに、妙に感心してしまった。まだまだ考えが青いな、と自分を叱咤しつつ辿りついた結末はさらに意外で、私にとって二重の「イニシエーション(通過儀礼)」となった読書体験だった。
(愛媛大学/ふう)
遠距離恋愛をしている人に読んでほしい。一時間分だけ時がずれた電話相手との恋、長い時をこえた手紙越しの恋、何万分の一の速度の世界を生きる恋人からの永遠の愛情――ここに収められた短編で描かれるのは、さまざまな事情で時間によって隔てられた恋人たちの姿。いわば、“遠時間恋愛”。それは距離によって隔てられた遠距離恋愛に似て、なおかつ、さらに苦しい恋愛だ。しかし、そんな時間という絶対の壁によって結ばれないことを宿命づけられた彼らでさえ、こんなにも相手を想うことができる。それって、すごいことだと思うんだよね。
(帯広畜産大学/阿部屠龍)
物語は、主人公の由宇にそっくりな少女・由芽が現れることで始まる。「自分は由宇だ」と主張する、由宇とは正反対の性格の由芽に、由宇は反発する。だが次第に、由宇は由芽によって少しずつ変わっていく……。人は誰しも「自分はこういう人間だ」というイメージを持っているが、子どものうちは誰かの期待に添うようにアイデンティティが形成され、知らず知らず「よい子」として生きていくことが多い。だが、必ずしも「よい子」でいなければならないかというと、そんなことはない。そのことを教えてくれる物語だ。
(東京大学/ゆうき)
心の機微に敏感な人は、恋文も上手だ。50年近く前に書かれた、ひとりの女から恋人に宛てた手紙。そのみずみずしさに目を見張る想いだった。メールやLINEの普及した現在では、短いメッセージのやり取りが主流になり、こうした文章のあや、心の機微はそぎ落とされてしまったように思う。それがいけないことだとは思わないけれど、本書の手紙を読むと、恋文の時代に憧れを覚えずにはいられない。ああ、手紙が書きたい。出すあてもないけれど。
(滋賀医科大学/M.H)
ハロー、ハロー、こちらは星空放送局。今日はみんなにオススメしたい本があるんだ。少しの時間、ボクにつきあってほしい。
ボクには進路のことで悩みがあったんだ。大学4年生になると多くの人がこのことで悩むんだ。人生を左右する問題だからね、迷ったり、不安になったりすることもあるだろう? だけど、この本が教えてくれたんだ。簡単に答えを出そうとする必要なんてないということ。そして、悩んだからこそ辿りつける場所があるってことを。ボクは焦らずに、答えが出るまで悩み続けようと思う。
ハロー、ハロー、話を聞いてくれてありがとう。最後にこの本のタイトルを紹介しておくよ。 タイトルは『星に願いを、月に祈りを』だ。
(三重大学/ハレー彗星)
ここちよいリズムだ。彼の名はマックス・デミアン。思わず口ずさみたくなる。魅力的な名前だ。謎めいたものわかりのよさ、魔法のようなふるまい。物語の芯を惑わすように、一貫して絡みつづける。デミアン、と心の中でよんでみる。その、静かで圧倒的な存在は、最後の最後に私に驚きと、さわやかな風をもたらしてくれた。清濁合せて包容する潔さを君は教えてくれた。だけどわからないところもある。君に聞きたいことがあるんだ。あの虚ろでまっすぐな瞳をしている瞬間、君はどこにいたのか。どうして兵隊になんか志望したのか。言葉にしない方が美しいこともあるけれど、君とは面と向かって話してみたいよ。もう一度読み返すには、時間が必要だ。だけど信じてる。デミアン、私の中にも君はいた。
(早稲田大学/二十一世紀旗手)
「良かったね」私が猫なら2人にこう言う。魂の移動とかいう人類未知の領域なんて、理解できるか以前に、まず受け入れられない。しかしこの入れ替わりを通して、自分が今まで見たことのない、見ることもなかっただろう世界に触れることができたはずだ。当事者にとってはとんだ災難だっただろうが、過ぎてしまえば案外楽しいかもしれない。入れ替わり中心だと思っていた話の流れに登場人物の意外な素顔が隠されていて、人物に対し親近感が増していった。猫になって人間としての意思との狭間に悶えるのも悪くないかもしれない。
(山口大学/やしろ)
電車って、人生の一部なんだな、と思った。場所と場所、人と人とをつなぐだけじゃなくて、そこへ至るまでの景色や心情、車内の雰囲気が、思い出として頭や心に刻み込まれている。ガタゴトといつもの眠りを誘う揺れが特別に感じられる日こそ、人生のターニングポイントなのかもしれない。誰しもが乗る電車、制服の短いスカートも、くたびれたサラリーマンも、わすれられた傘も、思い返されるかもしれない人生なのである。今日も線路はつづく。たくさんのモノを乗せて。
(東京農業大学/もやしかめ)
この本を読んだ後、私のスコーレ(学校)はいつだったのだろうかと、自分の歩いてきたこれまでを目を閉じて思い返してみた。嬉しかったこと、悲しかったこと……まだたった21年の私の人生だけれど、一つ一つの出来事が私の糧になっていると確かに感じることができた。生きるって楽しいことばかりじゃない。それでも前を向いて毎日を生きていればきっと沢山の幸せも待っているから。そんな前向きな気持ちを教えてくれた一冊。
(北海学園大学/あーやん)
痛い痛い、いたいっ! 読み終わった瞬間叫びたくなった。哲学して、恋人のことを思って、なんて素敵、私みたい、と思っていた人が、実は太っちょで、いじめられてて、妄想に取りつかれていただなんて、こんな酷い仕打ちがあるだろうか。いや、小説以外ではないであろう。気持ちが良いくらいバッサリ裏切られてしまった。それにしても最後に主人公が関西弁でまくしたてる場面は圧巻である。主人公の容姿を知ってからは、さらに。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」この一文に憧れる彼女は、どれだけ自分を消したかったのだろう。自分のいない、けれど私はどこかにいる世界にどれだけひかれていたのだろう。苦しいなぁ。
(早稲田大学/けしや)
ゆるく、それでも他人と繋がるということ。こんな時代だからこそ、このシェアハウスが素敵だと思うのか。そこに集うのは赤の他人である。しかし、彼らは家族のようになっていく。それは強制的なものではないのだ。他人と繋がるためには「努力」が不可欠だ。私も大学を卒業したら、何人の友人と繋がっていられるかはわからないのである。それでも恐れることはない。人に向き合うことは自分に向き合うことなのだ。久しぶりに会った友人にも「ご飯に行かない?」と声がかけられたらいい。向き合う姿勢さえあれば、きっとゆるく繋がるのだ。
(愛知教育大学/たけのこ)
勉強は自分を光らせてくれる魔法です。この本を読んで痛感しました。今まで勉強は専ら義務で、宿題が出たから、入試があるから、という理由でしていました。しかし、本来勉強は「自分をピカピカに磨くためにするものだ」ということを、この本に教えてもらいました。勉強の究極の目的を知った途端、もう一度小学生からやり直したくなりました。だって、15年以上も、間違った目的で学び続けてきたのですから。でも戻れないものは仕方ない。今からでも遅くないと言い聞かせます! なりたい自分を思い描き、そのために必要な学び方を見つけたら、準備完了。勉強という名の自分磨き、スタートです。
(早稲田大学/りんごぶらんこ)
「お茶」の本だが、全く堅苦しいものではない。反発や戸惑いを覚えながらも気付いた喜びを、素直に噛みしめるように語っている。15章あるなかで特に胸を突いたのは、第10章。就活で自己嫌悪の塊となっていた私に力をくれた。著者と私が似ていたため、余計身に沁みたのだろう。クソ真面目で、機転がきかないのをひどい「欠落」と悩んでいた著者だが、ある日「私は、私のお茶をすればいいのだ」と気づく。この一言に、私もどれほど救われたか。もちろん今でも、自分に自信は全くない。けれどいつか、胸を張って自分を受け入れたい。だから一歩ずつ、行動しようと心がけている。それでも怖くなったら、またこの本を開こう。きっとやさしく、足を踏み出す力をくれるはずだから。
(岡山大学/たけいま はるよし)
あなたは人生を足し算の連続と考えて生きている人かしら? 充実した日常生活、経済環境、家族・友人・恋人など人間関係に満足して生きている人かしら? それも、結構ね。でも、人生はそんな甘っちょろいものじゃないのよ。時に「正」の代償として、「負」を背負わなくてはならないときもあるの。引き算、割り算のできる人になりなさい。え? 「どうやったらそんな人になれるか」ですって? そんなの、この本を読めば良いのよ。
(広島修道大学大学院/Corr.)
「日本」という国は、90年代以降、世界から取り残されている。一番最悪なのは、国民を含め、それを認識しつつも、聞こえの良い言葉で問題をオブラートに包み、見て見ぬ振りをすることが習慣化していることだ。日本経済の背景に潜む日本人の国民性が現代社会に乗り遅れる要因をつくり出している。企業側が日本人よりも海外からの留学生を積極採用する点も納得がいく。日本人は私たち自身が考えている以上に不器用で、平等を心のどこかで希求している。価値観が多様化し、争点も中立化する現代政治において、“対立イデオロギー”を誰よりも忌避しながら“対立イデオロギー”にどこの国よりも依存しやすいのが日本という国かもしれない。
(横浜国立大学/ラン)
「宇宙へ行きたい」その夢を持つ人は数多いだろう。しかし、実際に宇宙に羽ばたけるのはほんの一握り。では、そんな一握りの宇宙飛行士になる人は、一体どんな人間なのか? 見えてきたのは“リーダーシップとフォロワーシップ”。皆をまとめるリーダー性だけでなく、他の人がリーダーとなった場合も、適切にリーダーをサポートする。求められるのはそんな力だった。印象的だったのは、“ユーモア”の必要性だ。宇宙ステーションという閉鎖環境下では、まじめさだけではやっていけない。場を和ませることのできるユーモアも必要だという。今まで知らなかったことに対する興奮と、最終候補者の一人が大学の先輩であることが分かり、ページを捲る手を止められなかった。
(大阪大学大学院/フォーク)
そのタイトルが目に入ってきた瞬間、私は思ってしまった。「おいジョージ見ろよ! 『本を読む本』だとよ! こいつぁ、おったまげのぶったまげだぜ!」本を読むために本を読む?? 私には前代未聞、さらにこの本が教えてくれたこともまた前代未聞だった。それは読書する本来の意義、読書を存分に楽しむための技術(いやはや「技術」とは!)、そして、小さい頃はじめて本を開いたときのワクワクの思い出し方だったのだ。さて、今これを読み終えた私は、また頭の中で独りごつ。「なんとまあすばらしい冒険だったじゃないか相棒。さてと、この本から学んだことを確認してみるかい?」そして私は書店へ行ってみた。不思議と、ワクワクを感じていた。
(山形大学/ドン・ラビット)
統計学はやはり最恐の学問であった。授業でやったことのある範囲でもやっとこさ読んでいるのに、高度な部分に至ってはちんぷんかんぷん。ただ、これができたら格好いいというのはよく分かった。私は文系人間である。統計学のように数式の登場する学問は自分には関係ないと思っていたが、そうではなかった。統計学にはロジックが大事であり、文脈を作り出し、読みとる能力が不可欠なのだと気がついた。これからしばらく、変な汗をかきながら統計学とつき合ってみたいと思う、今日この頃である。
(弘前大学/ゆ?)
生物の世界、情報(コンピュータ)の世界、政治経済の世界、脳の世界など複雑系研究の歴史やその成果、身近な例が豊富で、実際に目の前でモデルを組み立て、実験して見せてくれているような感覚だった。今まで別々のものと思っていたものが、実は密に関係していることなど、学問上の追体験をさせてくれる一冊だと思う。とはいえ、複雑系の「科学」としての課題は非常に多いようで、「なんだ、それくらいのことしか分かってないのか」と思う者もあるいは在るのかもしれないが、還元主義的な見方を乗り越えようとしている私のような社会科学をやる院生には「やってやろうじゃないか」という気になった。
(大阪大学大学院/BILLIKENの兄)