読書のいずみ

読書マラソン二十選!

この夏はどのようにすごされますか? アルバイト、旅行、研究、ダブルスクール、サークル、そして就活。時間がとれたときには、エアコンの効いたお部屋でのんびり本を読んで過ごすのもいいですね。そんなときのための、このコーナー。『読書のいずみ』編集部がピックアップした20点を、第10回読書マラソン・コメント大賞の応募コメントとともにご紹介します

『あなたはそこに』
谷川俊太郎+田中渉 /マガジンハウス

『コルシア書店の仲間たち』

あなたはそこに……とても短い恋愛小説に一瞬のぬくもりを感じた。そして、永遠があった。淡い色使いの絵と一編の詩が一体となったこの一冊。数分で読めてしまうこの一冊。彼に私は時折救われる。周囲の言葉から、考えから、視線から自らを守りきれずどうしようもなくなったとき、彼は優しく語りかけてくれる。多くを語らないからこそ、胸に響くものがあるように思う。24歳の大人が救われるのだ。性別、年齢、様々な人がそれぞれの感性で詩と絵を味わってほしい。

(立命館大学/色ざんげ)

『ヘッセ詩集』
ヘルマン・ヘッセ(高橋健二=訳) /新潮文庫

『クローバー・レイン』

ロラン・バルトは「良い文学も悪い文学も存在しない」と論じ、読者の「読み」こそが「文学」を作るのであって、文学そのものに良し悪しはないのだ——それは「作者の死」の宣告であると同時に、読者が矢面に立って文学を守る必要性の確立でもあった。1968年のその論考から遡ること40年余り、1929年にヘッセが発表した“夜の慰め”に「書物」という詩が収められている。ヘッセはここで既に、「おまえ」に歌い上げている。幸福は書物の中ではなく、「おまえ自身の中に宿っている」のだと。つまり、私達の中に。

(早稲田大学/高村 暦)

『春琴抄』
谷崎潤一郎/新潮文庫

『楽園のカンヴァス』

愛を求めて、今日も僕たちは生きていく。些細なことで言葉を尖らせては、他愛もなく涙を流して。愛を求めて、今日も僕たちは生きていく。混濁とした夜空を見上げては、偽りの絆に思いを馳せて。現代に飽和する愛の数々を俯瞰して、きっと春琴は嘲笑う。真の愛を知る者から見れば現世の営みなど、一笑に付すのだ。「ならば、見てやろうじゃないか。我々現代人の目から、アイツらの愛ってやつを」そう言って、僕にその後の顛末を告げた者はいない。誰の愛も、春琴たちが奏でる物語には遠く及ばないのだから。

(法政大学/ワタ)

『エンキョリレンアイ』
小手鞠るい/新潮文庫

『背表紙は歌う』

「遠距離恋愛は長続きしない」僕の周囲の大学生はみんな口を揃えて断言する。たしかに何組もの破局した“エンキョリ”を見てきた。さらに付け加えると僕自身が“エンキョリ”挫折者なのだ。当初タイトルに魅せられて手に取ったはいいが、「どうせただのお伽話でしょ?」と高を括っていたが、見事に後悔させられた。反省。主人公の男女・花音と海晴の出会いと別れ、次々と迫る過酷な運命。そして東京−NY間の10000㎞というエンキョリ。なぜだろう読み進めていくうちに花音の背中を押そうとする自分がいた。海晴に声を掛けたくてうずうずしている自分がいた。奇跡って信じてもいいんじゃん? 13年目の結末を知ったとき、透き通ったコンソメのような涙が一筋流れた。

(埼玉大学/跳び王まんじろう)

『きみはポラリス』
三浦しをん/新潮文庫

『煙突の上にハイヒール』

恋ってなんだろう。幸せってなんなのだろう。僕が抱いているこの気持ちは、「恋愛」と呼ぶにはあまりに歪で、格好悪い。私はこんなにも思っているのに、どうして彼は振り向いてくれないのだろう。そう。美しいとはいえないかもしれない。周りに笑われるかもしれない。もしかして、あなたはそれによって苦しむかもしれないし、あるいは思いがけず、相手を傷つけてしまうかもしれない。でもね、どんなかたちであっても、「あの人を大切にしたい」、そんな気持ちがちょっぴり芽生えたなら、それはまぎれもなく、ひとつのかけがえのない恋。夜空に浮かんだお星さまのように、あなただけの輝きを、きらりと放っているに違いない。だから大丈夫。自信を持って。あなたは、ただあなたらしくあればいい。

(慶應義塾大学/ Nanalie)

『さがしものが見つかりません!』
秋山浩司/ポプラ文庫ピュアフル

『夜の国のクーパー』

「さがしものが見つかりません!」そのフレーズが自分の今の環境とピッタリで、私はこの本を手に取った。この本を読めば、何か自分が将来やりたいことが見つかるんじゃないか、そんな期待を胸に読み進めた。結論、そんなものは見つからなかったのだが、そんなことを忘れるくらい、この本は面白かった。ここに出てくる物部氏は、私が人間的に好きな性格だ。基本何を考えているのか分からないが、いざという時にはちゃんと助けてくれるような人だ。山月もきっとそんな所に惹かれたのだろう。私もくだらないことを思いっきり本気でやれる人間になりたいと思った。

(愛媛大学/じゅりー)

『チーズと塩と豆と』
角田光代ほか/集英社文庫

『名のないシシャ』

ヨーロッパを舞台とした物語。その土地の風習が描かれており、伝統や地域が見えるようだった。各話の主人公が食を通じて自分と向き合い、一歩前進していた。私も今、自分の中に悩みを抱えていてどう乗り越えようかと立ちすくんでいたので、少し勇気が湧いた。心に残った言葉……「憂うなら未来ではなく、今日、今なのだ」先のことばかり考えてしまう私へのアドバイスに聞こえた。

(愛媛大学/ hana)

『偉大なる、しゅららぼん』
万城目学/集英社文庫

『何もかも憂鬱な夜に』

「しゅららぼん」って何? たぶん、この本を手にとった人全員が口にする言葉だろう。もちろん私もそのうちの一人だった。「しゅららぼん」が気になって読み始めたわけだけど、「琵琶湖に住む一族の不思議な力って?」「なんで赤色の制服を着ているの?」と頭の中ははてなマークでいっぱいに。ヘンテコな話だなぁと思いながらも、失恋や友情、作品の中で描かれる家族の関係にじーんと来てしまった。私は特別な力なんて持っていないけど、登場人物の葛藤に痛いくらい共感してしまって、ページを進めるうちに彼らを応援する自分がいた。「しゅららぼん」は何なのかーー? ぜひ手にとってページをめくってください!

(信州大学/たな)

『スタープレイヤー』
恒川光太郎/ KADOKAWA

『燃えつきた地図』

ある日突然異世界に飛ばされ、10の願い事を叶えることができると言われたら。一体何を願うだろうか。よくある問いではあるが、本書を読むと改めて考える。願いというものは、叶えば幸せになるのか。宝石を敷き詰めた広い庭。綺麗な容姿。過去の復讐。叶えば本当に幸せになるのだろうか。人間とは、果てしなく欲張りな生き物だ。そして争いを避けることのできない生き物だ。きっとそれは、現実世界でも異世界でも、どこでもいつでも変わらない。すべての人間が100%善人の世界なんて、どこにもない。だからこそ一人一人が、せめて自分と、大切な周りの人の幸せを願うくらいでちょうど良いのかもしれない。そこには特別な力はきっと、必要ない。

(横浜国立大学/ヘキサン)

『何者』
朝井リョウ/新潮社

『アルケミスト』

「大きくなったら何になりたいの?」子どもの頃、一度は言われた台詞かもしれない。しかし、時は流れて就職活動、いわゆる「就活」の場面になると、私たちはこの問いなんてすっかり忘れている。どこかで気づいてしまったのだ。自分には何者にもなれない、と。主人公たちをつなぐツイッターというメディアが、作品中で大きな役割を果たしていることは、現代の雰囲気を感じさせる。試しにそこで「何者」と検索してみると、「何者にもなれない」といった言葉が検索結果に並ぶ。そう。私たちは何者にもなれない。「あるもの」以外には。私たちは一人ひとり、その「あるもの」以外にはなれないのだ。でもそのことは、ネガティブな意味だけをもつものではない。「あるもの」が何なのかは、物語の中で確かめてほしい。

(大阪大学/高崎 渉)

『本屋さんのダイアナ』
柚木麻子/新潮社

『人間失格』

訳わかんない、ありえない話。でも心が温まる。物語の中で、主人公はたいていカッコイイ。主人公が嫌いなのにお気に入りの作品だというものはあまりないだろう。しかし、主人公の周りの登場人物はどうだろうか。どんな存在? この本は「赤毛のアン」の主人公アンの「親友のダイアナ」が主人公である。ダイアナは「赤毛のアン」の中でとびきり輝く存在ではないのかもしれないが、アンが輝けるのはダイアナの存在があるから。光るのは影があるから。誰もが輝ける存在であり、影にもなるのだ。そうやって世界は輝いているのだ。

(京都府立大学/ runner)

『プルトニウムと半月』
沙藤一樹/角川ホラー文庫

『ガラスの街』

14年前に書かれた、原発事故で汚染された区域に住む少年少女を描いた物語。「正義/悪」がどれほど形なくすぐ壊れてしまうものであるかを痛感する。言葉の一つ一つが持つ熱は、読む人によっては辛いものだろう。その熱の先にある結末も、受け入れがたいものかもしれない。読むことによって重い何かを抱え込んでしまうような作品だが、救いのない世界で時々見える人の美しさがとにかく映える作品でもある。読む人を選ぶが、間違いなく傑作だと思う。

(東京学芸大学/某服bot)

『シャバはつらいよ』
大野更紗/ポプラ社

『桜の園/三人姉妹』

目を閉じればあの退院の日を思い出す。あの歓喜と不安に震えた日々を思い出す。この本は、忘れかけていたあの辛い日々を振り返らせてくれた。辛いだけではなかった。何人もの人に支えられ、守られていた。しかし、普通の世界で生きる戸惑い、寂しさ、不安でいっぱいだった。戻りたくてたまらず、焦がれていたはずの社会……この本でいう「シャバ」は、今となっては戦いの場所。それでも「シャバが好きだ」と、私も心から思える。どんなに離れても、どんなに以前の自分と違っても、やはりここが好きなのだ。ああ。わかる。わかるなぁ……と、たくさんの想いで胸をいっぱいにして読み終えた。どうか一人でも多くの人の目に触れて欲しい。難病患者の気持ちをこんなにも忠実に、赤裸々に表してくれたこの一冊を。

(東京薬科大学/ぽんで)

『泣くな道真 大宰府の詩』
澤田瞳子/集英社文庫

『ガラスの街』

物語の中でも歴史は変えられない。争いは起こり追い落とされる人間はいる。政略により大宰府に左遷された菅原道真。悲憤のうちに死去したというのが通説である。しかしこの物語で描かれる道真は、そうではない。泣き喚きものに当たり散らす一方、唐物に目がなく、身分を隠してちゃっかり唐物の目利きとして働き始める。さらには、大宰府の窮状を救いつつ、自分を追放した朝廷への意趣がえしにもなる策を企てる。道真が大宰府での生活を楽しみ始める様子は痛快だ。本当に彼が元気に暮らしていたらいいと、願わずにはいられない。

(東京学芸大学/風野薫)

『哲学マップ』
貫成人/ちくま新書

glee THE BEGINNING

表紙にある通り、「自分が知らないうちに鵜呑みにしているのがどんな哲学で、他の哲学とどんな関係にあるのかを整理」できる。哲学のはじまりから、現代の哲学までを追っていくうちに、不思議と哲学の世界に引き込まれてしまう。哲学自体を深く学ぶわけではないから、難しいことを考えずに少しずつ読み進めることができた。哲学って面白そう、でもよく分からない……という人が、次の一冊を見つけるための入門編にぴったりだ。

(東京農業大学/弥代 詩羽)

『本の顔』
坂川栄治+坂川事務所/ 芸術新聞社

glee THE BEGINNING

本の装丁家が書いた装丁の教科書のような本。「本の装丁」から私たちは何を思うだろうか? ただ一言「表紙」といっても、紙の材質やフォントの種類、大きさ、文字の配列の仕方、イラストの有無など、様々な要素があることを、この本を読んで私は知った。本屋さんに行った時、棚に並んだ本の装丁を見て私たちはその内容に胸をおどらせながら、一冊の本を手にとる。装丁家の方は、限られた本のオモテの空間を使って、読者と本の橋渡しをしてくれる存在なのだ。デザインを通したコミュニケーションについて、その極意をのぞいてみたい方にオススメ。

(お茶の水女子大学/ぱせり)

『一九八四年』
ジョージ・オーウェル(高橋和久=訳)/ ハヤカワepi文庫

Forrest Gump

読み終えた瞬間に、肌寒さを感じる一冊でした。それはきっと、この物語が限りなく現実の社会の未来のひとつを予見したものだったからかもしれません。ヒトラーや戦前の日本のような、人々の思考まで統制する社会のことを、私たちは歴史の中でよく見かけています。もしどこかの未来で、人々が知らないうちにそうした社会を作りうるリーダーを私たちが選び、最先端のテクノロジーとともに人々の思考まで抑えつける日が来るとしたら。そんな未来は、私たちが想像している以上に、実現しやすい世界かもしれない、そう思わされる物語でした。

(帯広畜産大学/オリバー)

『思い出のマーニー』
ジョーン・G. ロビンソン(松野正子=訳)
/ 岩波書店

FIVE CHILDREN AND IT

「大好き」と言うことができる、言ってもらえる親友がいる。家族をはじめ、自分の面倒を見てくれ、育ててくれた人がいる。なんて素晴らしく、幸せなことだろう。この本を読み終えた時、私はこう考えずにはいられなくなり、胸が締め付けられる思いだった。心を閉ざした少女アンナがマーニーと出会い、不思議な出来事を経験しながら、愛すること・愛されることを知り、心を開いていく。物語の中で自分もアンナと一緒に成長している気がする。そしてこう思う。人が今を生きているのは、その人を愛してくれる人がいてくれたからではないか……。ありがとう、アンナ、マーニー。あなた達に出会えて本当によかった。

(慶應義塾大学/妖精)

『娘(百年文庫)』
ハイゼ、W・アーヴィング、スタンダール
/ ポプラ社

All BECAUSE OF A CUP OF COFFEE

100年も200年も昔のお話。でもそれは今でも色鮮やかなお話。長い間“名作”として語りつがれている作品や文豪たちが、とあるキーワードによって一冊の本に収められる「百年文庫」シリーズ。その中の『娘』は、十代の“娘”たちのとめられない恋を描いた三篇が取り上げられています。ページをめくる度にヨーロッパの風を感じるでしょう。色褪せることのない恋の場面を、あなたは目撃するでしょう。名作が名作と呼ばれる由縁を、この作品たちが人々を惹きつける理由を。たしかに数百年前の作品ばかりですが、あなたはリアルタイムで笑うでしょう。

(愛知大学/まめい)

『フランケンシュタイン』
メアリー・シェリー(山本政喜=訳)/角川文庫

FIVE CHILDREN AND IT

アイザック・アシモフの『われはロボット』を読んだ後、「人が作ったものに危害を加えても何の罪にもならないのか」という疑問を持ち、手を伸ばした一冊である。私たちは、自分たちが作り上げたものにはどんなに手荒く扱っても胸も痛まない。しかし、もし相手が生命や感情を持つ生物ならどうであろうか。キリスト教の聖書に出てくる人間の創造主たる神にも等しい存在となって、生かすも殺すも自在として良いのだろうか。昨今ではデザインチルドレンというものも存在している。人が人を創造することに、一体何の幸せがあるのだろうか。

(慶應義塾大学/リーファン)