★2016年6月1日〜10月10日まで開催されたコメント大賞の応募数は4,571通。
今年も個性豊かなコメントが多数寄せられました。今回の読書マラソン二十選!
は11月1日の選考会で選ばれた金賞・銀賞・銅賞・アカデミック賞と奨励賞、そしてナイスランナー賞から一部のコメントをご紹介します。
主催:全国大学生活協同組合連合会
協力:朝日新聞社・出版文化産業振興財団(JPIC)
謝る時、正直になれなくなる。食べたいものはあるかと母に聞かれ、正直になれなくなる。講義の感想、正直になれなくなる。就活の面接、正直になれなくなる。困ったものである。正直に言おうものなら怒られたり、母に不機嫌になられたり、先生には嫌われ、面接は落とされそうである。正直者はバカをみる。坊っちゃんもバカをみた。教師という職を追われるのである。しかしながら、この作品はバカをみないように生きよと言っているようにはどうも思われない。心地よい文の軽さがあって、バカをみれるぐらいにはなってみなさいと言われているようだ。ちょっとバカをみてみようか。正直になってみようか、と少し思った。
(立命館大学/もりあんぬ)
「あの閃光が忘れえようか」。「八月六日」と名付けられた詩はこの一行から始まる。峠三吉は、言葉の力を使って、私を 1945 年8月6日の午前8時15分に連れて行った。ページをめくるごとに泣き叫ぶ人々の声が聞こえてくるようであり、火の風が渦を巻きながら眼前に迫りくるようであり、あたりに立ち込める血の腐乱した臭いが鼻をついてくるようであった。私達は戦争を知らない。実際に見たことも経験したこともない。だが、本を開いて追体験することはできる。詩は、短い。短いからこそ、行間にある言葉の重さをずっしりと感じることができる。詩の力を、感じた。
(早稲田大学/内村佳保)
少年少女の、きらきらとして、つかめなくて、どこか危うく、ずっと奥まで澄んでいるものを、詩という形に表現した作品たち。夢見ているような詩から、死などを連想させる詩まで、多岐にわたる作品たちの、一見バラバラに見える部分には、じっとよく見ると、若い人間の心が共通してあるのだと感じた。永遠には続かない少年少女の時代。いずれ失われていく時だから、その時にもっている感覚を言葉にしたようだった。だから誰にもわからなくても良いのかもしれないとも思ってしまう。そんな詩が書ける寺山修司はすごい人だと思った。
(弘前大学/もももも)
土と水の香りがする。紀州の、少し湿ったような。それでいて、澄んでいる。ページをめくるたびに、情景が眼前に浮かび上がる。有吉佐和子の言葉は、まるで和歌山の語り部のように、生々しく鮮やかな色彩の物語を伝えてくれる。物語は、明治時代、祖母である花の嫁入りから始まる。伝統の教育をその身に受け、花は自分の子どもや夫、〈家〉に尽くす。しかし娘の文緒は大正の女で、伝統に縛られることを嫌った。そのまた娘、華子は戦後世代の女だ。〈家〉を知らない彼女は、花に導かれるようにして、伝統に惹かれていく。それはきっと、かつての<家>に、たおやかでありながら力強い紀ノ川のような生命力を見出したからであろう。
(津田塾大学/ Cotton)
これこそ、私が探していた物語だった。物語を読んで、私はいつも思うことがあった。それは、省略されている、ということ。例えば昔話。めでたしめでたし、その後は? 桃太郎は成長した。その間は? 今、私が生きている日々はそういった物語の “ 省略 " された部分。けれどそこを語ってくれる物語は無い??、そう思っていた。見つけていないだけだった。“ 普通 " の女の子が日々を生きて、成長していく。その過程のどこかに、読者である私たちは自らの日々を投影することができる。投影することで、自分は間違っていないんだ、と思えた。
(横浜国立大学/ゆー)
高山なおみさんのステキなところは “ 明日は何を作ってあげようか " と思うところ。私なら “ 明日は何を食べようか " と思うのに。それに今は誰かのためにではなくて自分が食べたいものをとにかく作りたい。だから高山さんのように誰かに対してごちそうしたい、という気持ちに大きな愛を感じる。いつか私も “ あなた " に食べてもらいたい料理を作るんだ。
(愛媛大学/ hana)
自分って無知だなあと思う場面は至るところである。その最たる例は奇想天外な動物の生態を知った時ではないかと思う。理科や生物の授業で、生き物が環境に適応するために遂げてきた進化に、よくできているなあ、と感心してきた。なのに地球上には、どうしてそんな厳しい茨の道を突き進むのだろうかと不思議に思わずにはいられない生物だっている。これが当たり前だろうと信じきっていた常識が、たった1つの生き物の存在を知るだけで、全く別の色に塗り変えられてしまう。この瞬間、無知を恥じるよりもワクワクした好奇心が出てくるから楽しくてたまらない。
(お茶の水女子大学/もっか)
2008 年ノーベル物理学賞受賞者である益川先生と、2012 年ノーベル医学生理学賞受賞者である山中先生の対談本です。「大発見」がどのように生まれるのかを考えるとてもいい参考になります。特に面白かったのは世界的2人の研究者の人生フラフラ歴です。益川先生は自ら意識して、山中先生はいろいろな壁にぶつかりながら何度も方向転換をして、フラフラと寄り道をしながらキャリアを積んできたのです。人生を直線でただまっすぐ歩んできたわけではありません。興味があること、本当にやりたいことを考えながら歩んできたんだなと励まされます。
(慶應義塾大学/メガネ)
生態系は共進化の果てに築き上げられたひどく繊細なものという考えが日本国内で支配的であるが、本書はこの通念を否定する。本書によれば生態系というものはむしろ変化するものであるという。アマゾンの熱帯雨林やアフリカのジャングルも、“ 手つかずの自然 "ではなく、人の手が入った末に生まれたものであるというのだ。本書は外来種や人の手の入った自然に対する観念を粉砕し、これまでの常識を一転させる記述に満ちている。このように新たな常識を打ち立てる一冊である。
(早稲田大学/ C.E.S)
習慣を変える必要があると、真剣に感じていた。どうして朝、起きられないのだろう? 1日9時間も眠った挙句、昼寝をすることすらある。そして、研究が少しも進まない。起きている時間のほとんどを、やらなければならないが重要ではないことに取られた上に、つまらない娯楽やメールを返すことにも使ってしまう。ほんとうに自分を変える必要がある。この本を読んで習慣について知っても、行動を変えるには努力が必要だ。省みて分析し、意志の力も使わなければならない。でももう習慣について理解したから、私はそれを変える。
(お茶の水女子大学大学院/壁紙の花)
高校生の頃、大好きだった国語の先生にすすめられて読んだ。あの頃よりも、この本は今の私たちに必要なことを提示しようとしている。食べ物、食べ方、食べる量を見れば、その人やその社会がわかる。政治や社会情勢に関して苦手意識があったが、この視点ならなじみやすかった。自分の食べ方はどうだろうか。もう一度、見直したい。
(愛媛大学/せいこー)
ナイスランナー賞は、総数200点が選ばれました。今回はその中から9点をご紹介します。
思わず息を止めて読んでしまうような恐怖を感じながらも、ページをめくるのをやめられない。本書は私の苦手とする「ミステリー」である。舞台は誰もが馴染みのある学校。担任の娘が殺された。犯人はそのクラスの生徒。最初は、ホームルーム中に犯人探しをするのかと思ったが、違う。担任は最後まで教師としてあり続け、穏やかな口調で予め分かっていた犯人への制裁を行うのだ。登場人物たちは、皆普通の人である。どこにでもありそうな普通の学級。普通の家庭。そこから生まれた少しの歪みは、あからさまな狂気よりも現実味を帯びる。怖い。
(東京学芸大学/クドー)
「10年」というテーマで描かれる5つの短編集。私にとっての 10 年と、誰かにとっての10年は本当に同じ長さで、同じ速さで流れているのだろうか。例えば、1週間前に生まれた赤ちゃんにとっての10年はとてつもなく長い。たくさん泣いて首がすわって、喋って歩いて走り回って、友達と喧嘩して仲直りする。私のこれからの10年。新しくなにを学べるだろう。自分の言動にもっと責任が生じる。世界がこれまでの比でないくらいに広がってゆく。これまでに積み重ねてきたものと、これから積み重ねてゆくもの。どちらも大切にしたいと感じる一冊。
(北見工業大学/ BP ゆう奈)
「エロ」という言葉は言い換えるだけで一変する。「エロス」では高貴に、「エロティック」でオシャレになる。しかし、この本はそんな高貴でもオシャレでもない。本当に腹を抱えてバカ笑いをするような男子学生ノリのバカバカしい「エロ」である(褒め言葉)。著者の学生時代から繰り広げられるエロ話はドン引きでも生々しくもなくフフっと読んでいて笑えてしまう。今や「マイブーム」「ゆるキャラ」の立て役者だからこそ書ける大爆笑必至の長編映画のような一冊だ。「エロ」以外の懐かしい知識も老若問わず面白い。
(東京農業大学短期大学部/こじょぴー)
大人になった今だからこそもう一度、同世代に読んでほしい。小さい頃は信じることは簡単であり、メロスが最後まで走り切るのは当然だと思っていた。しかし成長するにつれ、社会から取り残されていくような不安や苦しみを知り、自分さえ信じられなくなることもあった。そして今、メロスは再び私に呼びかける。「歩ける。行こう。」と。世の中の矛盾や孤独を知った今、その言葉はより強く、美しく、私の胸に響いてきた。これまでの道のり、これから進んでいく将来を信じようと思えた。あなたも社会、そして自分に落胆したとき『走れメロス』を読んでほしい。苦しみや葛藤を越え、メロスが走りきった先に「信じる」ことの核心を見るだろう。
(慶應義塾大学/ちあき)
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」誰もが一度は聞いたことがあるであろうこの一文を、最近しみじみと感じるようになった。毎日勉強、課題、アルバイト、部活に追われ、もう一ヵ月過ぎてしまった、ということがよくある。そんなときはこの本を開くのだ。この本には、芭蕉の目を通して見た風景の数々が描かれている。大胆に、かつ繊細に描かれた風景は、目を閉じるとすぐ目の前に広がり、花のやわらかな香り、雨の強さも感じられる。しかし、松島を見た芭蕉は、あまりの景色に言葉をなくすのだ。私も言葉を失うような景色をゆっくり見てみたいものだと思いながら、またページをめくるのである。
(大阪市立大学/ Me → you)
人はいつか死ぬ。その事実は古来からずっと普遍的なものだし、これからも変わることはないかもしれない。それでは、人は死んだら何になるのか? 哲学や宗教、科学ではさまざまな解答を模索してきたが、ふつうの人達の間では、それぞれに異なった受け入れ方をしてきた。この小説は、(まだ)死んでいない者と死んで(ここに)いない者の声で語られる。通夜の席という舞台で、いろんな人の語りを読者として体感できる。ゆらいでいく語りの中で、ふと、なつかしい気持ちにさせられるのはどうしてだろう。人の死に対して、肯定でも否定でもなく、底に秘めたあたたかい目線で描いた小説だと思う。
(佐賀大学/無名)
そっと心の琴線に触れるような美しい物語だと思った。だれしもが日々感じている多くの「すれ違い」。「(伝えたいのに)届かない」「(会いたいのに)会えない」そんな「すれ違い」からくる「〜ない」、心の喪失感と未熟であることの無力感に直面した少年・少女。彼らの心の葛藤、あきらめを美しく繊細につむぎだす。緻密でリアルな情景描写が作品に奥行きと現実味を与え、絶妙な距離感とバランス感覚で描かれた世界観にただただ美しく、澄んでいる。
(白梅学園大学/ ruru)
「世界の終わりから出発した僕達は、一体、何処に向かおうとしていたのでしょうね。」“僕"はこんな切なげな独白から、“君"との思い出を語り始めます。わずか半年と少しの日々に詰まった慕情、迷い、確信と決断。せわしない学生生活にうずもれそうになるあたたかな気持ち、そしてちょっと立ち止まってみる心のゆとりの大切さを呼び覚ましてくれる物語です。
(名古屋大学/柴戸あまね)
正直、こんなにおもしろいと思っていなかった。ひどい社会状況を革命によって打破し、平等になったはずの社会で独裁がしかれ、また社会に不満がたまっていくという一連の過程が動物たちを使って見事に描かれていた。理想を掲げて革命は行われたのに、時が経つとその社会は革命前と同じくらい(もしくはそれよりもひどく)なってしまうという、人間社会の悲しい性をひしひしと感じた。いい社会を作るということは本当に難しいんだなと思う。勉強にもなるし、読み物としても面白いし、ジョージ・オーウェルはすごい。
(大阪大学/さおり)
※お詫びと訂正
本誌149号の59ページ『おくのほそ道』のコメント本文13行目に誤りがありました。
「松島を見た場所は」は正しくは「松島を見た芭蕉は」となります。以上お詫びして訂正いたします。