Essay 本のある場所 
ー 有島武郎・有島生馬・里見弴旧居跡 泉鏡花旧居跡 ー

2025.12.16 Up

作家がいた場所を歩く 
ー 有島武郎・有島生馬・里見弴旧居跡 泉鏡花旧居跡 ー

 県外に行った際はよく、文学ゆかりの地を訪ねる。グーグルマップを何度も確認し慣れない土地をうろうろしながら、地域の文学スポットを探し歩く。文学スポットは、石碑やプレートがぽつんと立っているだけのことの方が多い。視界を埋め尽くすほどに雑草が覆い茂っている空間の中、なんとか生き延びて建っている文学碑を見たことも何度もある。それでも、自分の生活圏外から離れるときはきまって、文学ゆかりの場所を探している自分がいる。 

 陽射しがうなじを焦がす昼下がり、私はスマートフォンを片手に、千代田区の住宅街を歩いていた。ここは番町文人通り、島崎藤村や与謝野晶子、藤田嗣治など多くの文学者や芸術家が住んでいた通りだ。この辺りについて有島生馬は『大東京繁昌記 山手篇』で、「パリー辺なら取りあえず文人町とでも改名される所だ。」と書いている。 

 高いビルがそびえ立つこの辺りにはもう、彼らが生きていた頃の街の面影はない。いくつもの窓に太陽の光が乱反射して、遠くから電車の音が聞こえてくるこの辺りは、大都会そのものだ。創作の場であり生活の場の、文人達の住まいがこの辺りに密集していた過去がある、そう考えてみただけで不思議な気持ちになる。慣れない街並みにはぐれてしまわぬよう、こまめに地図を確認しながら歩いていく。 

 それにしても暑い。アスファルト越しに伝う熱に足が焼かれてしまいそうだ。彼らが生きていた頃もこんなに暑い日があったのだろうか、ゆだった頭でぼんやりと考える。そうこうしている間にも、文学者の旧居があったことを表すプレートが見えてきた。 
 


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「有島武郎・有島生馬・里見弴旧居跡」父有島武が自邸を設けて、有島兄弟を育てた場所だ。旗本屋敷を買い取った家で、大きな長屋門のある広大な屋敷だったらしい。すぐ隣には「泉鏡花旧居跡」がある。鏡花はこの場所で終焉を迎えた。隣同士並ぶ記念プレートを見ているうち、里見弴が「二人の作家」という随筆の中に、鏡花の最期に関するあるエピソードを残していたことを思い出す。 

 価値観の違いから鏡花には長年不和を抱えていた作家がいた。徳田秋声。鏡花と同じ石川生まれ、そして鏡花と同じく尾崎紅葉を師とした文学者だ。師弟観に明確な違いのあった彼らは晩年には一応の和解はしても、わだかまりが完全に解消されることはなかったそうだ。それでも、共に文学を志した彼らは互いを思うことがあったのだと思う。なかなか埋まらない鏡花と秋声の心の溝を案じたのだろうか、秋声に対して里見は鏡花の臨終が近いことを知らせていなかった。鏡花の最期を見ることの出来なかった秋声は、里見に対して、「だめじゃアないか、そんな時分に知らせてくれたって!」と「鞭つごとき烈しさ」で言ったそうだ。 

 今では立派なマンションが建ち昔の景観は残っていないのに、なぜだろうか、プレートを眺めているうちに、彼らの生きた証が見えてくるようだ。会ったこともないはずの彼らの声や姿が浮かんでくる。価値観の違いからすれ違っていた二人。心の溝を抱えていたといえど、似た境遇で文学を志し築いた絆は、思い入れのある大切な存在だったのだろう。師匠を通じて学びあい、文学を志したからこそ、彼らは己の想いに妥協することなく独特の関係を築き、時には文学の題材にしたのだろう。 

 こうした文学の生きた証を見るために、私は文学ゆかりの地を見て回っているのだと思う。実際に訪問することでしか感じ取ることの出来ない、様々な想いを味わうために文学に関する場所を巡っているような気がする。彼らが生きて文学と向き合った場所に行けば、文字越しでは感じ取ることの出来なかった様々な心の動きに気づくことが出来る。遠い所に住む友人に会いに行くように、彼らが生きて書き記した想いを聴くために、私は歩いている、そんな気がする。 
 

今回 訪れた場所
有島武郎・有島生馬・里見弴旧居跡 
詳しくはこちら東京都千代田区 まちの記憶保存プレートガイド :有島武郎・有島生馬・里見弴旧居跡

泉鏡花旧居跡 
詳しくはこちら東京都千代田区 まちの記憶保存プレートガイド :泉鏡花旧居跡


 
 
 
■筆者P r o f i l e

 
伊瀬知 美央(いせち・みお)
熊本大学3年生。いずみ委員。

ぬいぐるみと一緒に文学散歩をよくする。最近、ようやくGoogleマップを使いこなせるようになった気がする。夜、紅茶を飲みながら、お気に入りの言葉を集めつつ、本を読むのが好き。


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