気になる!「ばけばけ」
熊本八雲旅 文学修行に生きた時代を見る
〜後編〜

いずみ委員や読者スタッフがいま気になるテーマを取り上げていきます。
 

熊本八雲旅 文学修行に生きた時代を見る 後編


5.熊本から八雲が得たものを感じて―小峰墓地

 
 昼と夜の境目の、少しだけ肌寒くなってきた時間に、坂を歩く。

 坂を登ったところには、八雲がよく来ていたお墓の小峰墓地、そして随筆に記録している石仏がある。

 慌ただしく行き交う車の音と、秋を知らせる虫の声を聞きながら、歩いていると、不思議な気持ちになる。コンクリートで舗装されていた道が、雑草と石でできた道へと変化していくにつれて、小峰墓地が見えてきた。

 高台にあるからか、少し涼しい墓地。草をかき分けて、進んでいった先に、石仏はあった。鼻の一部が欠けているため、鼻欠け地蔵とも呼ばれている。

「その思索的な凝視は、半眼の目蓋の間から官立の五高とそこでの喧噪な生活とを見下ろしている。石仏は、危害を蒙っても復讐しない穏やかな人たちの微笑みを表わして完爾としておられる。この表情は仏師が彫ったものではなく、幾星霜も経た苔や埃のためにできたものである。また、その両手も欠けていることに気がついた。私は気の毒に思って、頭部にある小さなシンボリックな突起である螺髪の苔を取り除いてやろうとした。」

 『石仏』の一節にこう語られた石仏。穏やかな表情を浮かべて、街を見ているこの石仏は、長い月日の中で一体、どんなことを考えていたのだろうか。近代に向かっていった熊本県、石仏のように変化から取り残されたものもあれば、あっという間に元も分からないくらいに変わっていったものもあったはずだ。苔が生えて尚、にこやかに街を見守っている石仏を見て、八雲も様々なことに思いを馳せたのだろう。

 ここから八雲は熊本の街を眺めることもあったそうだ。八雲の真似をして、丘の上から熊本の街並みを見渡してみる。


 

「しかし、丘の上からの眺めは良かった。肥後平野の広大な緑野が広がり、その向こうには青い峰々がぐるりと輪になって取り囲んで、地平線の光をバックにして光り輝いている。これらの峰々の上にひときわ聳え立つ、阿蘇山の頂が悠久の噴煙を上げている。」

 ふと、『石仏』の一節を思い出す。激動の時代に、変わっていくもの、変わらないものの対比が細かに描かれたこの作品。熊本で暮らす中で、見てきたものの集大成に近い作品の一つではないかと、勝手に思う。

 西南戦争が終わりたての頃に熊本に来た八雲は、松江とは全然違った街並みにがっかりしてしまった八雲。しかし彼は、残念な思いをしたからこその大きな収穫を得た。旧居で館長さんと話した際、こう話していた。

「ただ、がっかりしたからこそ、八雲は収穫を得たんです。彼は熊本で過ごしていく中で、人の心を見るようになります。熊本時代に心の内を見たからこそ八雲の文学には厚みが生まれました。八雲にとって熊本で過ごした時間は、いい文学修行の期間だったとも言えます」

 そう言って小泉八雲熊本旧居の館長さんは少し誇らしげな顔をして、畳に並んだ、八雲の作品のパネルを指さした。熊本に縁のある作品を示すパネル。『夏の日の夢』に『停車場で』『生と死の断片』……。掲載されているのはどれも名の知られた作品ばかりだ。


 

6.散歩するような ―八雲とセツの熊本時代に想いを馳せる帰り道
 

 帰る頃にはすっかり日は落ちて、夕焼け空の終わりが見えてきそうだった。

 風は来たときよりも生ぬるさを帯びていて、夜の気配が近くなったことを思わせる。

 虫の声だけが聞こえる静かな帰り道を歩いていると、セツが八雲との日々を残した伝記『思い出の記』の一節を思い出した。

「熊本で始めて夜、二人で散歩致しました時の事を今に思い出します。ある晩ヘルンは散歩から帰りまして『大層面白いところを見つけました、明晩散歩致しましょう』との事です。月のない夜でした。宅を二人で出まして、淋しい路を歩きまして、山の麓に参りますと、この上だと云うのです。草の茫々生えた小笹などの足にさわる小径を上りますと、墓場でした。薄暗い星光りに沢山の墓がまばらに立って居るのが見えます、淋しいところだと思いました。するとヘルンは『あなた、あの蛙の声聞いて下さい』と云うのです。

 又熊本に居る頃でした。夜散歩から帰った時の事です。『今夜、私淋しい田舎道を歩いていました。暗いやみの中から、小さい優しい声で、あなたが呼びました。私あっと云って進みますとただやみです。誰もいませんでした』など申した事もございます。」

 「ばけばけ」のオープニングにも「今日も散歩しましょうか」という歌詞がある。

 「散歩」って二人の人生を表す言葉みたいだな、ふと思う。

 この世にうらめしいことも多く、けれども同じくらいに素晴らしいことも多かった二人。明治という、慌ただしく変化の迫られる時代に、二人はゆっくりと、大事なものを見失わないように、人生を歩いてみようとしたのだろう。それこそ、散歩をするときみたいなペースで。ままならない毎日を、二人で一緒に歩いて、時には寄り道してきたからこそ、八雲の作品の深みは増していったように思える。

 そして、近代化の進む街 熊本に来たからこそ八雲は、日本の根底にあるものを見つけることが出来たのだと思う。

 変わることは恨めしい、けれども変わっていく時代でなければ気づけなかった変わらないものの良さがある。そうした良さを、セツと共に歩き、一つひとつ丁寧に拾い集めていく中で、日本を見つけ出したのだと思う。近代化の波を受け止めきれず零れ落ちそうになっていたもの、一つひとつを丁寧に見てきた八雲。ささやかな日々の発見は、今の日本にも通じる何かを訴えている。

 
 

<参考文献>

小泉セツ「思い出の記」(『小泉八雲』収録 恒文社, 1976)

小泉凡『小泉八雲と妖怪』(玉川大学出版部, 2023)

小泉八雲 林田清明(訳)『九州の学生とともにWITH KYUSHU STUDENTS』"WITH KYUSHU STUDENTS", in OUT OF THE EAST AND KOKORO, by Lafcadio Hearn (The Writings of Lafcadio Hearn, Large-paper ed., in sixteen volumes vol. 7), Rinsen Book, 1973. Reprint. Originally published. Boston: Houghton Mifflin, 1922.

林田清明(訳)『石仏THE STONE BUDDHA』底本: "THE STONE BUDDHA", in OUT OF THE EAST AND KOKORO, by Lafcadio Hearn (The Writings of Lafcadio Hearn, Large-paper ed., in sixteen volumes vol. 7), Rinsen Book, 1973.
Reprint. Originally published. Boston: Houghton Mifflin, 1922.

島根大学附属図書館小泉八雲出版編集委員会, 島根大学ラフカディオ・ハーン研究会(共著)『教育者 ラフカディオ・ハーンの世界 小泉八雲の西田千太郎宛書簡を中心に』(ワン・ ライン, 2006)

平川祐弘(監)『小泉八雲事典』(恒文社, 2000)

丸山学『小泉八雲新考』(北星堂書店, 1936)

ラフカディオ・ハーン著作集 第14巻』(恒文社, 1983)

ラフカディオ・ハーン著作集 第15巻』(恒文社, 1983)

 


 

【八雲とセツの関係を知る本】

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小泉節子・小泉一雄

『小泉八雲』

恒文社 / 定価 3,418円(本体3,107円+税)

ISBN:9784770401991


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小泉セツ「思い出の記」や、長男・小泉一雄による「父 八雲を憶う」を収録。

妻セツ自身の語りや一雄が見た“父としての八雲”を通じて、八雲とセツの関係を知ることができます。
 

 

セツについての豊富な情報はこの研究書!】

八雲の妻



 

  




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ISBN:9784267024740

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※原著はなかなか入手できませんが、国会図書館デジタルコレクションで公開されていますので、オンラインで読むことが出来ます(送信サービスで閲覧可能)
 

 
【熊本時代の八雲とセツの話については、こちら】
 

小泉八雲新考 




 

 

  



丸山学 

『小泉八雲新考』 

講談社学術文庫 / 定価 833円(本体757円+税) 

ISBN:9784061592551

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◎丸山学・・・熊本出身の英文学者・民俗学者で、熊本学園大学の前身校では理事長などを務めました。また、教え子である劇作家・木下順二(『夕鶴』で知られる)が調査に協力したことでも知られています。なお、国立国会図書館デジタルコレクションでは、『丸山学選集 文学篇』(古川書房・1976年)に収録された作品を読むことができます。
 

 



<熊本八雲散歩>
熊本の、小泉八雲ゆかりのスポットの一部をまとめました。
 

■筆者P r o f i l e



伊瀬知美央(いせち・みお)

熊本大学3年生。いずみ委員。

ぬいぐるみと一緒に文学散歩をよくする。最近、ようやくGoogleマップを使いこなせるようになった気がする。夜、紅茶を飲みながら、お気に入りの言葉を集めつつ、本を読むのが好き。
 

 


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