2020年の夏は個人的にも「特別な夏」だった。
昨年秋に父が亡くなり、8月に新盆を迎えた。実家のある土地や菩提寺のしきたりに従い法事をしなければならなかったのだが、このコロナ禍の中、簡素化して実施することになりなんとか済ませることができた。
その間に読んでいた本のひとつがこれだ。私は普段からこの著者の作品を愛読しており「村上主義者」と呼ばれることにも別段抵抗はない。とりわけエッセイや旅行記が好きで、事あるごとに読み返し、著者の提唱する「小確幸」を感じられる毎日を過ごしたいと願っているくらいだ。
村上作品に時折出てくる戦争の描写は、自身の父親から聞いた話が影響しているらしいとどこかで読んだ記憶があるが、まさにそのことが書かれていた。もちろん戦争の話以外にも少年時代の日常の何気ない出来事や小説家になってからの思い出など作品の原風景ともいえるエピソードが綴られていて「村上主義者」としてもとても興味深い。
当然のように、私も父親とのことを想起せずにはいられなかった。
実家を出てから30年余り、毎年帰省するようなこともなく、ましてや高齢になり病で要介護になっても母親や妹に任せっきりだった。電話で様子を尋ねると、そのワンマンぶりに振り回される母や妹の様子に辟易して(愚痴られるので)ますます疎遠になってしまった。
いよいよ危ないと聞かされ病院へ行き、痩せてかつて私の記憶の中にある父とは別人のような姿に話かけたとき、その落ち窪んだ眼に見つめ返されたのが最後の「会話」となった。
思い出したのは、小学4年生だったか5年生だったか、2学期の成績が良かったら「東京」へ連れて行ってほしいという約束を果たすために父と二人で出かけたことだ。冬の寒い朝、駅まで父の運転するカブ号の後ろにまたがり、電車に乗って出掛けた「東京」。どこに行ったかはっきりとは覚えていない(東京タワーには行ったような気がする)が、お土産を抱えて帰宅するまでの高揚感はよく覚えている。その後娘は東京の大学へ行き就職後実家を出て戻ってこない、というのがよくできたオチになるのだろうか。(多分、きっと、予感はしていたのではないかと思う。父自身は思うように進学が叶わなかったと漏らしていたので、託したい気持ちもあったのかもしれない。もう確かめる術はないけれど。)
新刊紹介から話が逸れすぎたがどうかお許しを。本書では著者と父親とのエピソードを語る=小さな歴史のかけらを綴ることで、この世界を形作る大きな物語を考察する手掛かりになり得ることの示唆に富んでいる。私自身と父とのたわいもない物語も何かを形作るかけらの一つに違いない。いいこともそうでなかったこともまだまだ掘り下げて思い出すべきことはたくさんある。コロナの禍がいつ終わるとも知れず辛い日々を送っている方も多いでしょう。「特別な年」として記憶されるこの時期もそうした思いを胸に毎日を大事に過ごしていけたらと思う。
あ、「猫を棄てる」の顛末はぜひ本書をお読みください。私の父も猫が好きだったなあ。
埼玉大学生協 書籍購買部
副店長 渡辺由美