志望校と文理の選択について

司会:
では、仁科さんは文理で迷っていると、あと松川さんが志望校を決めた目的みたいなのをお聞きしたいというとことだったので、大学生の皆さんが今通っている、もしくはもし落ちてしまったけど第1志望だった大学というのは、いつ、どういう理由で決めたかをぜひお伺いしたいです。

沼田くん:
僕は洛北高校という京都の北の方にある高校なんですけれども、京都大学から結構近くて、割と大学と提携したような取り組みを行っていることが多くあるんです。僕が高2のときに、日英サイエンスワークショップという、京都の高校5校ぐらいから5、6人ずつ選抜されたメンバーと、イギリスから30人ほど高校生がやって来まして、一緒に1週間ほど研究合宿みたいなのを京都大学内でやるようなプログラムがあって、僕はそれに運よく行くことができて、そのときの僕の担当だった教授に気に入っていただいて、元々僕がいた転学部する前の工学部の地球工学科の国際コースというところの先生だったので、そこに行こうと決めて受験勉強をしました。それを決めたのは高2なんですけど、それまでは僕は成績があまりよくなかったので、行くのは私立の文系かな、早慶とか行けたらいいなみたいなことぐらいしか考えてなかったです。そのときの出会いがなかったら京都大学に行こうとは思っていなかったかもしれないですね。もう一つあるとしたら、毎年80人の中高一貫コースから、多いと30人とか京都大学を受けたりするような学校だったので、僕の年も20人受けて16人受かっているので、周りの仲がいい友達がみんな志望するとなると、自分もちょっと火が付くというか、負けず嫌いなところに火が付きましたね。
文理の話なんですけど、さっき石井さんかな、理系なんだけれども数学が駄目みたいな話をしていましたよね。大丈夫です。僕も理系受験しましたけど。配点が、数学が250点満点のうち僕は60点しかないんです。理科が化学だけできたんで、化学が8割取って、物理が3割しかないです。英語と現代文が8割で、古典がゼロでした。そういう本当にむらのある取り方でも、最低点からは余裕のある点数で受かったので。別に数学が駄目だから理系が駄目というわけではないとは思います。ただ僕は数学ができないにもかかわらず工学部に入ったので、入ってから違うなって思って転学部したんで、結局数学できた方がいいかもしれないですね。僕が今行っている総合人間学部は、文理どっちから受けても行けるシステムになっているんで、入った後は全然文系のことを勉強してもいいし、理系の勉強を続けてもいいような学部なんで、そういった学部はたぶん、他にもありますよね。そういうところを考えてもいいんじゃないかなと思います。

司会:
沼田さんは、工学部は数学が大変で転学部されたということだったんですけど、総合人間学部に惹かれたのは、どういった理由だったんですか。

沼田くん:
もともと都市計画がしたくて工学部に入ったんです。工学部地球工学科というところで、そこは都市計画ができるということだったんですけど、思った通りじゃなかったんですね。都市計画はできるんですけど、思ってたような都市計画じゃなくて、どちらかというと、よく考えたら当たり前なんですけど、工学部なんで計算式を使って渋滞学を解くとか、整理学を解くとかみたいな話だったんです。僕は、もうちょっとハードウエアじゃなくてソフトウエアの面での都市計画がしたかったなと思って転学部しました。総合人間学部にはそういった研究室もあったので。

宮村くん:
まず、文理の話をすると、自分はもともと理系に行こうと思っていました。高校に入学する前とかは、本当に理系だなあ自分みたいな感じで思っていたんですけど、高校1年のときに、化学と物理を絶対に勉強しないといけないって段階になったときに、とんでもなく点数が取れなかったんです。これ続くとどこにも受からないなあと思って、社会だったら暗記すればいけなくはないだろうなと思って文系に行きました。高2から文系、理系と分かれて勉強するんですけど、文系に決めたときから東大ありじゃないかみたいなことは漠然とは思って、それを目標に勉強していました。学校の方針として過去問演習とか授業中にやるときは東大の問題しかやらないんですよね。京大受験者も東大の問題もやらないといけないし、みんな東大に行こうみたいな感じでやってたんで、自分もその波に乗れるかなと思っていました。自分は東大以外は受けていないんですが、一番上が東大だから、そこ行こうみたいな、他はもうどうでもいいみたいな感じの志望理由だったんですよね。上がないからそこ行きますっていう感じでした。


東京学芸大学2年 榎本 康太くん

榎本くん:
まず、学芸大学にいつ決めたかなんですけども、それはセンターの後です。それまで一切考えたことすらありませんでした。高校1年生の頃から芸術に興味があって、東京芸大を目指していたんですよ。その2次試験に主要科目、主要5教科がなかったんですね。でも、1年生のときからずっとその芸大の方を目指していたので、目指したっていっても、なんか特に勉強してないっていう、だらだら過ごしていて、どうせ受かるだろうってセンター受けたらひどい点数取って、センター失敗して、ああどうしようかなって思っていたら、今までずっと芸術のことしか見えてなかったんですけど、高校時代から、その教員になんか興味があったんです。そのセンターに行き詰まった瞬間に、俺、教育の方に少しでも興味あったのかなって思いまして、このセンターの点数でもいけることころはないかな、2次試験の主要5教科まったく勉強していないけど、いけるとこないかなって探していたら、センターリサーチでしたっけ、あれで、学芸が出てきて、芸大に学が付いただけでいいじゃないのと思って、そういう理由で選んで入りました。

小谷さん:
私は志望校は、中2のときに某受験漫画を読んでいけると思い込んで、いろんな人に、私は東大行くんだよと言っちゃったんで、ちょっと目指さなきゃいけなくなったんですよ。他に理由として、私は幼稚園から一貫で10年、全然受験をしないできたんで、最初で最後の受験は、一番いいところに行こうと思ったからです。そういうのもあって東大行こうって中2ぐらいに決めました。文理は高1ぐらいまで実は理系を志望していました。たぶんそのとき、風潮的に理系の方がいいみたいな風潮があったので、流されて理系って言ったんです。けどある日、親に「あんた理系行って何するの」って言われて、そのとき何も答えられなくて。親が言うには、私は物をつくるというよりは企画したりとかそういう方が向いてると思うよと言われて、そのときに、親が一番自分のことを見てるのかなと思って文転をしました。そうしたら数学とかよりも現代文とか英語とかも好きだったので、よかったなという感じですね。だから文理選択は割と、人に言われてちょっと取り入れてみたって感じです。割と何か自分で理系とか文系って思い込んでいても、例えば適正があるかどうかってちょっと分かんないと思うんです。そういうときにたぶん親が一番見ているので、人の意見を取り入れるというのも結構大事だな思います。

笈田さん:
私の場合は、もう昔からずっとかな。中高一貫の学校だったので、中3ぐらいから、志望校は何となく決まってますかみたいな雰囲気が学校で出てきて、少なくとも文理は決めておいてねみたいなときに、もう中学の最初の方の数学から苦手でした。X+Yとか文字式あるじゃないですか。みんなテストで80点とか、70点とかなのに、私だけ60点台という暗雲が立ち込めていまして。よく考えれば、小学校のときから算数だけ破壊的にできなかったので、まあ文系だろうなと。それで、何がやりたいかと考えると、昔から日本史とか歴史が好きだったので、歴史系をやろうと思って、数学ができない、歴史は好き、あ、文系だなと決めました。さらに、大学はどこに行きたいか考えたら、数学ができないので国公立は全部諦めて、日本史ができる学部ってなんだろうと思って調べたら、学部名はいろいろ大学によってあると思うんですけど。包括的にはだいだい文学部だと。じゃあ、文学部はどこだろうと思ったら、私は神奈川だったので京都とか関西とかよりは最初に東京の方を考えていて、たぶんこれは駅伝の影響だと思うんですけど、文学部と言えば早稲田だろうと思ったので決めました。早稲田と言われたら、基本的にお隣に慶応があるじゃないですか、でも、完全に駅伝の影響で私は早稲田のことしか考えてなかったので、結構志望校だけが決まるのは早かったですね。中3とか、高1ぐらいから、ずっと早稲田の文学部で日本史をやりたいんだぐらいは言っていました。学力は全然追いついていないのに、ただただ言うだけ言っていました。

司会:
ありがとうございます。先ほど、小谷さんが少し触れてくださったんですけども、進路の選択をする際に保護者の方のご意見はどういうふうに取り入れましたか。

沼田くん:
うちは「好きなようにしろ」と言われていました。僕は、中高一貫だったにもかかわらず、中学を半分ほど行っていなくて。精神的にも身体的にも病気にかかってしまい、1年半ほど学校を休学していました。そのときに、もう高校に上がらないでこのままイタリアに修行に出すから、何か、演劇なら演劇でもいいし、料理でもいいし、なんか職人になりたいなら、それでもいいしと言ってもらってからはずっと好き勝手やってきて、大学もほとんど何も相談することなく決めましたね。受験期も、たぶん気を使っていたんだと思うんですけど、受験に関することは一切触れてこなかったですね。それは本当にありがたかったです。僕としては自分のペースでやりたいので、その辺は母に感謝しています。

宮村くん:
自分は高校がラ・サールって言ったんですけど、ラ・サールは寮なんですね。自分は福岡出身なので自宅から通えないということで高1から寮に入って、3年間ずっと親元を離れて学校に通っていました。ラ・サールは携帯持つのが駄目なので、連絡手段は公衆電話なんですね。高校1年のときはまだホームシックな感じがあって、二日に1回は別に用事がなくても連絡していました。高3とか高2になってからは本当に業務連絡、週に1回掛けて終わりみたいな感じでした。でも、親は成績が下がったときだけ文句を言いに来る。それ以外は割と自由に、自分で全部志望校も決めたし、全部自分で勉強したし、管理もしたし、単純に参考書を買うときは好きなように買いなさいっていう、という感じでした。

榎本くん:
親に志望校を言うとき、反対されるんじゃないかなって思ってたんですよ。言ってしまえば芸術っていうのは結構特殊じゃないですか。でも、意外と反対されなくて。情報もいろいろ調べてくれたんですよ。そのサポートはありがたかったなと思います。成績とかに関しては特に何も言われませんでしたね。好きなようにやれっていう親でした。センターで失敗して芸大行けないなっていうときに、親も察してはいたんだとは思うんですけど何も言ってこなくて。やっぱり、子ども側からしたら放っておいてくれた方が楽だとは思うんですけども、先ほど小谷さんが言ってたような助言によって、自分の方向性が変わるっていう人も、もちろんいると思うので、親と子の相性がすごく一番の問題なのかなって思いますね。


東京大学2年 小谷 美乃里さん

小谷さん:
私の家も基本的に成績は見ない親だったので、自由に勉強して、自由に漫画読んで、勝手に東大行くと言って普通に目指してしていた感じです。唯一その助言してもらったのが文理選択でした。親からすると私は家帰ってすぐに英語やって、次国語やって、最後にちょっと数学をやるぐらいだったので、たぶん文系科目好きなんじゃないかっていうことがうすうす分かっていたようでした。自分で決めることが面倒くさいという人は、親の意見を聞くのもいいと思うんですけど、自分のやりたいなという意志があったら、最終的にその道に進んで、その後の人生を生きていくのは自分なんでやりぬいたらいいかなと思いました。

笈田さん:
うちも基本的には、あんまり成績については言ってこなかったです。一番関わりを持つのって皆さまお母さんの方が多いのかなって思うんですけど、私も母親との関りが、一番家では多くて、母親も数学できなかったので数学の点数を見せても、こんなんだよね、血は争えないよね、みたいな感じで終わり。高1のときの理科が本当に、さらにできなくなっていて。そのときにも赤点を取らなきゃいいよ、くらいでしたね。大学受験ってなったら、ほとんど言われなかったですね。早稲田の文学部に行きたいんだよ、みたいなことを言ったら、それこそ母親が世界史系をやっていたので、これも血は争えないよね、で終わりました。東京に出てきたときに、あんた来年から一人で東京行くんだから、こういう駅とか東京の電車とかちゃんと覚えておきなさいよ、ともう第1志望に既に受かっているように言ってくれた。もうあんた来年から早稲田行くんだから、こういう道もちゃんと覚えておかないといけないのよ、と受かっているような状態で話してくれたことも結構多かったので、そのときにありがたいなと思っていましたね。私は志望校とか、やりたいことも全部決まっていたっていうのはあると思うんですけど、親からそんな理転しろとか、文系だと一般的に経済とか、政治の方が就職率は文学部と比べたらいいから、そっちの方も考えてみたらいいんじゃないの、とかそういうのは一切言われなかったので、就職というよりは、やりたいことっていうのを親は見てくれて、その点はありがたかったなと思っています。

司会:
ありがとうございます。


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