大学生協のあゆみ

Ⅰ 大学生協の前史

戦前、大学における学生消費組合(学消)は1898年の同志社大学を皮切りに始まり、1926年には賀川豊彦らの援助を受けて東京学生消費組合が発足し、全国に広がりました。学生たちは「学生は学生の店へ」という理念のもと、文房具や書籍などを扱い、文化活動も行っていました。しかし、1930年代後半には日本の軍国主義化のなか、思想・言論・文化・教育の統制が強まり、同時にインフレの進行と資金不足による経済的困難により学生消費組合は相次いで解散し、戦争により活動は完全に途絶えました。1941年に日本は太平洋戦争に突入し、1943年の学徒出陣によって学生たちは戦場に駆り出され、その多くは学園に戻ってくることがかないませんでした。

終戦に伴い学生たちが戦地や動員先から大学に戻ってきましたが、校舎は焼失し、深刻な食糧難のもとでの再出発でした。まさに「学ぶことは食うこと」の状況下で生協が再建され、1947年には全国学校協同組合連合会(全学協)が結成されました。書籍や食堂事業を中心に活動し、1949年にはノートの荷受権を得て購買部門が確立されました。しかし、経済の再編と学制改革の影響で、まだ十分な力を持っていなかった生協は組織的にも経済的にも危機に陥り、わずか1年の間にその多くが休止・解体に追い込まれ、20校足らずの生協だけが残りました。
 

Ⅱ より良き生活と平和のために ~大学生協運動の再建へ~

1953年の全学協大会で「よりよき生活と平和のために」を掲げ再建を確認し、共同仕入や業務改善を進めました。同時に各大学生協は消費生活協同組合法(生協法)に基づいて法人格を取得し地位を高めました。全学協も1959年に法人化し、名称も全国大学生活協同組合連合会(略称:全国大学生協連)となりました。

この時期、大学では書籍再販問題を契機に全国的に消費者の権利を求める運動が広がりました。1957年に比叡山で行われた全学協大会では「教育環境整備運動の推進」「消費者運動」「平和と民主主義を守る運動」の三本柱が打ち出され、全国的な運動と事業の強化が進められました。1960年代には新設生協や施設拡充が進み、地域的な連帯組織も形成されました。1960年代末から70年代にかけて学園紛争によるキャンパスの封鎖など一時的な打撃も受けましたが、組合員の力でその影響を克服してきました。

1970年代に入り、地域的な事業連帯は東京・京都・札幌で「事業連合」というかたちで、法人格を取得し、大学生協の経営強化に大きな役割を果たしました。
 

Ⅲ 「学園に広く深く根差した生協」をめざして

1973年の石油ショック以降、大学生協は組合員の生活を守ることを重視し、事業を組合員の要望に沿って改善し、「生協ならでは」の活動を強化しました。大学生協の果たす役割は広く社会的に認められ、1975年には国会で大学生協育成の請願が全会一致で採択されました。

全国大学生協連は1977年の通常総会において「学園に広く深く根ざした生協」をめざすことを確認しました。1980年の通常総代会では、1977年以降の「学園に広く深く根差した生協」というスローガンのもとに展開された実践を踏まえ、1980年代前半の大学生協運動の指針として「大学生協の役割と当面の課題」が打ち出され、「学生生協から大学生協へ」の方針のもと教職員組合員の拡大や学生総合共済の創設が進みました。

1985年以降は生協の発展の中で中小小売業者との軋轢が高まっていることを理由に「生協規制」が強まってきました。大学生協も全国的な消費者運動と連帯し、生協規制に対抗する運動を展開しました。1986年にはこれまでの大学生協運動の経験を踏まえ、将来を展望した「新しい協同をめざして」が採択されました。以後、大学生協は「魅力ある大学づくりに貢献する大学生協」というスローガンのもと、組合員の参加を広げつつ事業を革新・発展させていきました。
 

Ⅳ 21世紀へ向けたビジョンとアクションプランの策定

1990年代以降、大学は設置基準の大綱化やカリキュラム改革など大きく変化し、大学生協にも柔軟な対応が求められました。1992年のICA東京大会を契機に、大学生協は「協同組合の価値」や「大学生協の21世紀へ向けたビジョンとアクションプラン」を策定し、急速に変化する社会の中で協同組合の理念を再確認しながら運動を進めました。

2004年からは国立大学の法人化が始まり、各大学が中期目標に基づいた経営を迫られる中、大学生協は「個性輝く大学を支援する大学生協づくり」「たすけあい、学びあい、コミュニティづくり」「学生の元気が大学の元気」を活動の柱に据え、魅力ある大学づくりを大学と一体となって進めました。さらに民間企業のキャンパス参入が進む中で、学生や教職員に必要なサービスを提供し続ける存在としての意義を高める努力が続けられました。
 

Ⅴ 「協同・協力・自立・参加」で豊かなコミュニティづくりを

2007年、59年ぶりに抜本的改正が行われた生協法の成立を受け、大学生協は共済事業の分離や組織の再編に取り組みました。これにより、2010年には共済事業を担う新たな組織「全国大学生協共済生活協同組合連合会(大学生協共済連)」が設立されました。

大学生協は、学生の生活支援を中心に活動を続ける中で、大学推薦の保険や一般のコンビニチェーンなどとの競争にも直面するようになりました。特に大学キャンパスへのコンビニの進出や、福利厚生事業の公募化といった動きが国公私立大学の設置者の別を問わず広がってきました。こうした中で、大学生協は大学との協同・協力関係を深め、店舗運営や共済事業などの分野で、学生の学びと生活を支える独自の役割を果たしてきました。
 

Ⅵ 事業連帯組織の再編と新型コロナウイルス感染拡大の影響

2018年に中国・四国事業連合を除く6つの事業連合が合併し、大学生協事業連合が結成されました。以後、全国大学生協連、大学生協共済連と二つの事業連合(大学生協事業連合と中国・四国事業連合)が大学生協における事業連帯活動を担うこととなりました。

2020年から2022年は新型コロナウイルスが猛威をふるい、WHOがパンデミックを宣言するに至りました。感染拡大防止のため大学のキャンパスも閉鎖され、急速にオンライン・オンデマンド形態の授業が広がりました。食堂や購買事業など、主としてキャンパスに通学する学生の福利厚生を支えてきた大学生協は大きな打撃を受けました。

大学生協共済連は、学生総合共済事業を継続・発展させるとともに、コロナ禍における大学生協「再生」に寄与するため、2022年9月30日をもって解散し、共済事業をコープ共済連に譲渡しました。