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入協して11ヶ月で3店舗の店長をすることになりました。
まだ24歳の若輩でしたので、「店舗の数字をみて、店舗を観察し、スタッフと話をすれば現状の課題がわかって優先順位をつけて手を打っていく」なんてことはできません。
3店舗を順番にまわっているつもりでも「店長はいつもうちの店舗にはいない」と言われていました。
やる気だけはありましたが、職員としての実務経験も大してありませんので、作業を店舗スタッフに教えるということもそもそもできません。
当時の店舗スタッフは「これは正規職員の仕事」と店長・正規職員に頼りすぎるところがあって、専務はそこを変えたかったのだと思います。
なので店長1年目の失敗は多々あるのですが、一番しんどかったのはサポートセンターで新入生に提案しているパソコンの利用が大きく落ちたことです。(前年362台→当年287台 ▲75台)
上司の鶴の一声でこれまで提案していた●社から◯社へ機種変更し価格も5万円ほど上がりました。高くてもモノ自体は良いからいけるだろうと思ったのですが、推薦時期を過ぎても利用が伸びませんでした。
これはWindows VistaへOS変更があったからじゃないかと、提案する学生スタッフに学習させたりしましたが、後になってみればまったく的外れなことでした。
このときの正解は「見た目」だったのです。翌年は元の機種に戻し、台数も回復しました。(287台→364台 +77台)
1台25万円のパソコン在庫を、校費で提案したり生協職員向けに販売するようチラシを作ったりしたような気がしますが、最終的にどうやって捌き切ったのか記憶がありません。
こういった失敗がいくつかあり、その年は大きな挫折を経験しました。サポセン学生スタッフとの最後の打ち上げでは、あまりの申し訳なさに顔もあげられませんでしたが「まぁいろいろあったけど、よかったよね」という学生の言葉に少し救われました。
「もう二度とセンター長はやりたくないな…」と思った3年後、再びセンター長をすることになるのですが、その話はまた別の機会に。
さて、それから十数年後に知ったこと。実は上司がメーカーとの懇親の席で◯社の部長と大喧嘩になり、それがもとで鶴の一声、機種変更があったらしいと聞きました。
真偽のほどは定かではないし、なにはともあれ、選んだものを正解にしきる力が当時の自分には無かったのだから仕方ありません。
PROFILE
笹尾 圭吾 専務理事
秋田大学生協
[職歴]
2006年 秋田大学生協入協 手形店 日用品担当
2006年 同 手形店店長・アルバイトセンター店長・サポートセンター店長 兼任
2009年 さいたまコープ草加店
2009年 秋田大学生協 サポートセンター店長
2012年 東北事業連合 店舗支援部 購買書籍支援課
2014年 同 店舗支援部 ソリューション課・経理総務部 総務課 兼任
2015年 同 店舗支援部 ソリューション課・経理総務部 総務課課長・事務センター課課長 兼任
2020年 山形大学生協 専務補佐・住まい事業部部長・サポートセンター店長 兼任
2022年 大学生協事業連合 情報システム部副部長
2024年 秋田大学生協 常務理事・総務室長・キャリアステーション店長・パンココ店長・本道店長兼任
2024年 同 専務理事・総務室長・キャリアステーション店長・パンココ店長・本道店店長 兼任
2025年 同 専務理事・総務室長・サポートセンター店長・パンココ店長・本道店店長 兼任 現在に至る