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2025年05月22日(木) | 新着情報

日本原水爆被害者団体協議会 代表委員 田中熙巳氏講演会
「核兵器のない平和な未来へ ~次世代へのメッセージ~」

 
5月17日(土)東京大学本郷キャンパス小柴ホールにて、東京大学消費生活協同組合及び東大生協OB・OGの会の主催により、日本原水爆被害者団体協議会 代表委員 田中熙巳氏講演会「核兵器のない平和な未来へ ~次世代へのメッセージ~」が開催されました。
 

石田 淳教授(東京大学総合文化研究科)
石田 淳 教授
(東京大学総合文化研究科)

冒頭、石田 淳教授(東京大学総合文化研究科)より、「原爆神話と核のタブー」と題し解説がありました。石田先生によると、被爆者の運動には二つの側面があり、第一に、要求の当事者たる被爆者自身の犠牲の補償につながる側面、そして第二に、非戦闘員の犠牲を考慮せずに戦争を開始・継続・拡大する政府の行動を抑制して非当事者たる市民一般の安全も確かにする(政府の行為によって再び戦争の惨禍が起らないようにする)側面があるとのことでした。被爆者の運動により「核のタブー」が広がり、ナガサキを最後とした核の不使用の慣行が継続しているとの認識を示しました。さらに、日本政府による原爆被害「受忍論」への対抗運動が「非戦闘員の犠牲を受忍させない体制」につながり、「武力による現状変更自制の対外約束に説得力を与える平和の道筋」につながると訴えました。
 

田中 熙巳 氏(日本原水爆被害者団体協議会 代表委員)
田中 熙巳 氏
(日本原水爆被害者団体協議会 代表委員)

続いて、日本原水爆被害者団体協議会 代表委員 田中熙巳氏による講演が行われました。田中熙巳氏は13歳の時、長崎爆心地から3.2キロの地点で被爆しました。より爆心地に近いところにいた家族・親族を5名失い、自分は助かったという経験から、核兵器のない平和な世界のために運動を続けてきました。父親がいなく苦労したそうですが、若い日に大学生協に出会い、資本主義に代わる体制をつくる運動としての生協に可能性を感じたとのことでした。東大生協で働きながら勉強し、東京理科大に進学して東京理科大生協設立運動に参加し、初代専務理事にもなりました。
 
日本の敗戦後7年間はGHQによる占領下であり、いわゆる「プレス・コード」によって厳しい言論統制が行われました。そのため、被爆の状況や被爆者の苦しみを話すことも文章にして発表することもできませんでした。占領が終わり、報道が自由化された後も、被爆者たちは世間の差別の視線をおそれ沈黙をしなければなりませんでした。
GHQ・・・連合国軍総司令部

1954年、ビキニ環礁においてアメリカによる水爆実験が行われ、日本のマグロ漁船第五福竜丸が被ばくしました。この事件をきっかけに日本において原水爆禁止運動がおこり、第二回原水爆禁止世界大会において日本原水爆禁止被害者団体協議会(日本被団協)が結成されました。田中氏はこの第二回原水爆禁止世界大会に参加しており、以後、日本被団協の一員として核兵器のない平和な未来構築のための運動に一身を投じてきました。
 

戦後80年、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下から80年が経過し、被爆の実相を証言する被爆者も高齢化をしています。会場の学生からの質問に対して、田中氏が「若い人たちが語り継ぎ、対話を続けてほしい」とのメッセージを伝えておりました。核兵器のない平和な世界を作るため、被爆者の体験や思いを語り継ぐ運動を続けなければいけない、と強く思いました。

(全国大学生活協同組合連合会 広報調査部 大築匡)

 
 

田中熙巳さん講演会 感想

全国大学生協連 藤島凜香
「若い人、ともに頑張りましょう」――田中さんが講演会で、私たちに向けて送られたこの言葉は、私の心に強く響きました。

被爆・終戦80年経った今の日本では、平和な日常が当たり前のように営まれています。しかし、その「80年」という重みを、私たちは、どれほど意識できているのでしょうか。ただ「80年経ったんだ」と思うだけで終わってしまっている人も少なくないかもしれません。

今回の講演を通じて、私は改めて「平和を託されているのは私たちなのだ」と実感し、その使命の重さを深く受け止めています。過去の歴史的・客観的事実を、つらい記憶も含めて語り続けてこられた方々のおかげで、今日の平和が守られていることに気づかされました。だからこそ、先人たちが語り、守ってきたことを、今度は私たちが受け継ぎ、次の世代へと語り継いでいかなければならないと思います。90年、100年と平和が続くためには、私たち自身が「語りなおす番」だと思います。

そのために必要になるのが、田中さんも話していたように「対話」することであり、出発点だと考えます。講演会の中で、「私たちができることは何か」という質問に対して田中さんは「若い人たちで対話してほしい。信頼をしていない若者が多い。」とおっしゃっていました。このように発言した背景としては、今の若者に対しての不安やある種の警鐘が込められていたのではないかと私は感じます。

今、社会では自分の興味関心がない情報は排除し、目の前で起きている事実を見ようとしていない、他人事として受け流しているように感じています。その背景には若者の選挙離れがあり、日本の未来を左右する重要な場面に参加しないことへの懸念もあるのではないでしょうか。

80年間最前線となって守り続けてきた田中さんが「若い人、ともに頑張りましょう」「対話をしてほしい」と私たちに未来へのバトンを託していることを自覚し、私たちが語りなおしていきたいと思います。
 
 

参加者の感想(抜粋)

東京大学生協常務理事(学生)より花束贈呈
東京大学生協常務理事(学生)より
花束贈呈

  • 私は2001年生まれで、戦争を直接は知りません。そのため、戦争や原爆の惨禍を訴え、反戦や核兵器廃絶を唱導する正当性がないのではないのかと思っていました。しかし、お話を聞き、一市民として人類の理想のために自分にできることをやっていこうと思いました。
  • 普段から世界情勢に目を向けていますが、戦争のこと、原爆のことなどについて発信したり誰かと話したりすることに遠慮がありました。わたしは戦争も原爆の使用も嫌なので、きちんとそうした気持ちを隠さず、大切にしようと思えました。田中熙巳さんの言葉のなかで今の時代の人々の間の信頼の薄さ(特に若い世代が)について触れられている箇所がありましたが、まさにその自覚がありました。核武装のやまない現状は、人々の不信のあらわれのように思いますし、他者への信頼の薄さは自分自身反省する点だと感じています。
  • 今まで核が使用されなかった世界を何となく享受していましたが、それは先人たちのたゆまぬ努力のおかげであり、直接被曝された方がいなくなった世代に差し掛かろうとしている、当たり前のことに気付かされました。核がない平和な世界を次は自分たちのような若い世代で作っていかなければならないという当事者意識が芽生えました。
  • 本日は貴重なご講演ありがとうございました。日本被団協の方々の、今後も核兵器廃絶への活動を若い世代に続けていってほしいという強い思いを受け取ることができました。現在の国際情勢からして、私自身もこれを他人事とは思わずに日本人の1人として核兵器廃絶を訴えていかなければならないと感じました。
 

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