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#03 益川先生インタビュー

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今と昔で、学生の「忙しさ」が変わった。

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中村
今年は戦後70年という年ですが、今の学生にとっては、やはり目の前のバイトが忙しかったり、サークルなど所属している団体の活動があったりで、なかなか平和について考える機会がないのではと思っているのですが、益川先生から見て、今の学生はどう映っていますか?やっぱり忙しそうでしょうか。

益川
忙しいというのがね、我々のときと質が違う。京大でも経験があるのだけれども、京大で院生協議会というのがあって、それで新歓のなんとかやるから来いというので、行って話したのだけれども、そのときに学生は「忙しい、忙しい」って言うわけ。僕なんか学生時代は週に4本は映画観ていたの。2回ね、当時は1回行くと2本立てでしょ? だから、2回も行っていた。で、アートシアターギルトに入っていて格安で見れたので、2年間毎回観ていたということで表彰されてね。それでも十分勉強する時間はあった。
で、なぜそんなに「忙しい。忙しい」って言うんだと言ったら、我々のときと質が違うことが分かった。今年の夏にヨーロッパを一月旅行するつもりでいる。そのためにお金がいるから、バイトをしていると。朝はレジ打ち、夕方は何とかと言ってね。だからそんなに勉強している時間はないとか言われて、ああ、俺たちと生活が違うんだと。

中村
確かに生活費のためにということもありますが、今はやろうと思えば何でもできるので、そのためにお金を稼ぐとか、そういう学生は確かに多いと思います。

益川
だから、「忙しい、忙しい」と言ってもあんまり文句を言わなかった。俺たちのときとは時代が違うと。

今の学生には「行動するきっかけ」が昔と比べるの少ないのかもしれない。

中村
安保闘争など、当時の大学生が積極的に行動されていた頃は、社会が変わることが身近に感じていたり、平和についてすごく関心を持っていたのですか。

益川
簡単にいうと、今は外へ出かけていくような温度がなくなった。昔だったら、よくデモがあったからね、「お前もたまには来いや」というと、来たわけね。最近はほとんどそういうことはない。なぜかというと総評(日本労働組合総評議会)が潰れた。潰されたね。学生運動もない。そういう意味で大衆運動というか、そういうのを提起する人たちがいなくなったね。最近では原発反対のデモとかも国会で行われているけどね。

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中村
では、昔と今で学生の質が違うというよりは、昔は引っ張っていく人がいたというようなイメージですか?

益川
そうそう、そういうなんというか、コアなところがあったのね、学生運動のね。

中村
では、60年や70年の頃の学生も、大半は今と変わらない…。

益川
変わらないと思うんだけれども、問題を提起する人がいたからね。

中村
考えるきっかけができたというか。

益川
できたと思う。

中村
そういう意味では、「最近の学生は関心がない」というのではなく、考えるきっかけが与えられていないということなのでしょうか。

益川
考えるきっかけというよりも、行動するきっかけね。

中村
行動するきっかけですか。

益川
だから、総評は潰されたあとは、学生運動もほとんどないみたいなもので。でも、後から見てみると、そういう全共闘(全学共闘会議)とか、革マル(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義)なんとかかんとかいうのが非常に政治的にやられているわけね。そういう大衆運動を潰すためにね。
で、総評を潰すときでも、あれ、実に巧妙な仕掛けがあって。70年の前半くらいにかなり労働運動が盛り上がるわけ。それに危機を感じた資本側が手を打ち出すわけね。何をやるかというと、組合潰しね。だから、国鉄労働組合、まず一番行動力があったからね、影響力とか。だから、ああいうところを新聞で扱って、勤務時間中に風呂屋へ行って風呂に入っているとかね、売上金をくすねたとかね、そういうのを毎日のように新聞で流すわけ。

中村
ネガティブキャンペーンですね。

益川
それでなんだか、総評なんていうのはダサいというのでなくなってしまったのね。

中村
今生きている若者からすると、過激すぎてなくなったとかそういう短絡的なイメージになりがちなのですが…。

益川
そうじゃない。少々はしゃぎすぎたモラトリアムというかね。だけどそこから広がっていくと、本当に資本の中枢が本腰を入れて潰しはじめたわけね。あとから振り返ってみると、実に巧妙に潰していった。

ロジカルではないなにかの拍子に、行動の火はつく。

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中村
今の大学生は、熱狂的なのはちょっとダサいとか、自分はいいとか、そういうのがあるかもしれません。大学生協でも、平和についてもっと学ぼうとか、もっと話し合っていきましょうとか、そういった行動を促しているのですが、なかなか広がらないのが現状です。学生には響かないテーマなのでしょうか。

益川
だけどね、何かの拍子にそういう運動というのは爆発するのね。60年安保でもね、何も初めから運動が盛り上がったわけじゃない。第何次統一行動とかなんとかがあってもしょぼしょぼとあつまっているわけ。なんで火がついたかというと、国会で安保条約検討していたときに、何日までにあげなければいけない、そうでなければ自然成立になるという話になった。そのとき、事務局がね、会場の時計を止めたの。で、時間内に審議が終わったということにした。それでみんな怒ったの。ロジカルにこういうことで反対しましょうというようなことでは、あんまりみんな頭や精神は賛同しても自分は参加しようということにはならないのだけれども、形式論理だから分かりやすいわけ。それはないだろうと。それでいっぺんに火がついた。

中村
今で例えると、単純に比較できないとは思うのですが、例えば集団的自衛権の行使容認の閣議決定がなされたりだとか、そういったときに、タイミングとしては火がついたりするということなのでしょうか。でも、今の学生からすると、その火がつくというきっかけも分からないというか。

益川
ロジカルに運動を広めても、ちょっと俺今忙しいからねなんて感じで行かないわけね。それが、ロジカルではない何かの拍子で広がるのかと。

中村
そうですね、確かに大学生も、頭では理解できるという人はたくさんいて。戦争の悲惨さも分かるし、被爆者の証言も実際に聞いて、すごく自分の中には心に残ったと。だけど行動するまで至らない、というところですよね。

益川
ちょっと忙しいから、ってね。

中村
では、何かのきっかけが生まれる可能性があるかもしれないということですね。

益川
それを待っているのも変な話なのだけれどね。

昔と比べて平和について「考える」学生は多い印象。

中村
何かのきっかけというのもあるかもしれないのですが、昔と今と違うかはわからないですが、今の学生は、物事を俯瞰するよう努めるというか、市民の一人としての意見を意識していないのでは、と思っていて。それも昔とあまり変わらないですか。

益川
だから、話し合えば分かるのだけれど、なかなかそういうのに乗ってこないとかね。だから自分のところの研究室も、院生なんか見ていても実にいい子なんだ、素直で。話し合っているところを見るとね、そんな変じゃない。だけれども、ちょっと政治の話になると「ちょっと待て」と。

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中村
そうなんですね。

益川
顕在化した声にならないのね。今の世の中では。それぞれ、一人ひとりに相対してみるとね、昔に比べたらそれなりに、むしろ積極的に考えているなあという子が多いのだけれどね、それが昔みたいに固まって運動にならない。

中村
考える学生は多いという印象ですか。

益川
昔よりはむしろ、よく考えているなという気はします。

中村
すごく意外です。

益川
だって、我々学生のときに、何も考えてなかったもの。だから、自治会の幹部かなんか、学生ストライキを提起すると、「じゃあ授業がなくなるから賛成しとくか」みたいな。で、ストライキ決議あったのだから、学生自治会が提起している署名活動の運動にも「参加するか」ぐらいの感じで、自分が積極的にやるのではなくて。

中村
じゃ、誰かに引っ張られてついていくような形で、ということですね。当時の映像を見るととてもそんな風には思えないですね。

益川
今は「羹に懲りて膾を吹く」みたいに、あの頃の活発だったころを踏まえて、「今はあんまり深入りはしてはいけない」と、そういうこともあると思う。ただ、もうあれから40年経っているから、もうそろそろ抜けている頃かもわからんけど。

国家が出てきたころから、戦争は外交の延長になった。

中村
憲法のこと、特に9条に関する話題もすごく学生にとって難しくて。益川先生は戦争反対というよりかは戦争が嫌いなんだというふうにおっしゃっているそうですが。

益川
だってね、戦争でもね、あんまり語り合わないけれども、引き金を引いて死んでいくというものを、ありありと見てきた人のほうが傷は大きいと思うよ。あんまりそんな話は自分からしないけれどね。

中村
そうですね。アメリカの兵士も第二次世界大戦での敵に向けての銃の発砲率が15%ぐらいだったらしいのですが、ベトナム戦争までいくと90%を超えてきたというような話もあって、それは訓練というか教育ですよね、慣れてきてしまうということなのでしょうか。実際にPTSDで精神的に病んでしまう兵士の人もいるそうで、そういう意味では本当に誰が得するんだというようなこともありますよね。

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益川
イラクから帰ってきた女性の兵士が、捕虜を虐待するんだよね。それはね、分かるような気がする。毎日、生死をもし破壊するような生活をしていたら、神経がどうかなる。だから、そういうやっちゃいけないことをやって、むしろ自分の精神を落ち着かせるためなんだろうなと。

中村
そうですね、普段生活している感覚じゃないということを理解しておかないといけないですね。

益川
基本的には戦争というのはプロイセンの外相かな? 首相の『戦争論』というのを書いている。それは基本的には「戦争とは外交の延長である」と言っているのね。それは僕もそうだと思う。子どもの喧嘩でもそうでしょ。

中村
なるほど。

益川
で、「お前の足が出てるじゃないか」なんとかかんとかやっているうちに、誰かがポンとやっちゃうわけね。それで大喧嘩になると。今の戦争はもう少し政治的・宗教的なことはあったりするから、それほど単純じゃないんだけどね。
帝国主義になってからは国家が戦争するものになってね、なんていうんだろう、政治の延長になっちゃったね。昔は王様が「あそこの領土、何代目かの王様のときにうちの領土だった。返してもらいに行こうかとね。」ということが多かった。チンギス・ハンなんて酷いもので、あんなところまで自分のところの土地だと、東ヨーロッパのところまで攻め入っちゃうわけね。それは、もっと大きな土地がほしいと。

中村
それはその当時の野望があったと。

益川
野望。王様のね。

中村
今の政治の延長というと、もうちょっと具体的にいうとどういうイメージなのですか。

益川
多分19世紀の終わりから〝国家〟というものが出てきた。だから、国家がやる戦争になったのね。それはね、概ね子どものけんかでも誰のけんかでもそうなのだけれども、初めは外交なのね。「ちょっとお前の方が出ているんじゃないか」とかね、「昔は俺のところの土地だった」とかね。で、そういうところから始めるのだけれど、相手が言うことを聞かないものだからコツンとやるわけね。そして大事になっていく。基本的には戦争ってそういうものだと思う。どんな戦争もね。第1次世界大戦も第2次世界大戦もね。

青年らしく、友達とざっくばらんに話す。そしてたまにはデモにでかけて熱く語り合っている人に触れることが大事。

中村
益川先生が慕っていらっしゃる坂田先生(元名古屋大学教授で日本の素粒子物理学を研究)は、「科学者として大成するだけじゃだめで、研究も平和運動も同じレベルで大事だ」とおっしゃっていたそうですが。

益川
いや、我々のときは集団で運動することが始まっていたものだから、友達同士で「これ、反対しなきゃいかんよね」「そうだよね」「じゃ、一緒にやるか」って話し合ってね。でも、ここまで一人で言い切るってなかなかない。坂田先生は頭で考えて実行できる人だった。

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中村
この文章は〝科学者〟と書いてありますが、科学者以外にもこれから働いていく人にとってすごく大事なことだと思っていて。今の学生は就活の時期が今年から変わって、インターンシップに行く人も増えていますし、卒業できる範囲で学業を犠牲にしてでも内定を取るんだという人もいると思います。その点では、坂田先生がおっしゃっていることは今の学生にも知ってほしいと思います。
今の学生に伝えたいこと、意識してほしいということ、学んでほしいことはありますか。

益川
基本的には、友達同士で話し合うことですよね。戦争のことでも何でもいいんですけれどね。そういうことをね、青年らしくざっくばらんに話し合う。で、たまにはデモに出かけてもいいと。
実際に有名な話だけれど、非常に強い鋼を作った先生がいてね。実は大きな戦艦大和とかはその鋼で造られているということを、その先生は知らなかった。

中村
ビルに塗る電波吸収の塗料がステルス戦闘機に使われているという話も聞いたことがあります。

益川
だから、それはね、研究者を蛸壺の中から1回出してあげるとね、「今日は天気もいいし、どこか散歩がてらにデモに行かない?」と連れ出す。そうしたら、熱く語り合っている人に触れると変わるのね。そういう動きがあんまりなくなっちゃったんじゃないのかな、今。

中村
デモという言葉に対するアレルギーというか、私の身の回りにいる学生はあまり良いイメージを持っていません。「いい天気だからデモに行こう」とはなかなか言えないですけれど、友達と話してみるという視点はすごく大事ですよね。科学者の発明したものじゃなくても、普通に働いていても、「もしかしたら何かに加担しているのではないか」といった視点で考えることも大事だと思いました。

益川先生おすすめの本。

中村
大学生の読書の時間が減っていて、「学生の消費生活に関する実態調査」は今年で50回目になるのですが、今回、読書時間が0分と答えた人が40%ぐらいいて、実際私も大学生の頃はあまり本を読んでなかったなあと思ったりしていて。

益川
読めば面白いんだけどね。

中村
そうです。今はわたしも時間を作って読書するようにしていて、読みはじめたら面白いのです。益川先生がお薦めしたい本はありますか。

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益川
エンゲルスのね、『自然弁証法』。あれはおかしな本で、弁証法的な思考方法で随筆が書いてあるのね。マルクスの『資本論』みたいにがっちりした文章じゃなくてね。前からきちんと筋道を作って書いているんじゃなくて、随筆みたいな感じで書いている。だから、面白い。ぜひ。
だけど、ああいうもののいけないところは何かというと、マルクスの『資本論』でもそうなのだけれど、第一版に対する序、とかなんとかで誰々に対する反論とか、それがずーっと書いてあって、80ページくらい進んだところで初めて章に入る。息切れしちゃう。だから、そんなところを飛ばしてね、本来のところから読んで、面白いなと思ったら前のところを読む。そうすると、ヘーゲルの『小論理学』までくらいは読む気が起こってくると思う。

中村
『小論理学』。難しそうですけれども、一度手に取ってみたいと思います。

益川
でも、ヘーゲルは読みにくい。相手にね、「俺の書いたものは絶対に分からせてやるものか」と思っているんじゃないかという気すらする。だから、〝自由〟という問題に興味を持って、ヘーゲルの『法哲学』を読んだんだけど、6ページくらい読み通すのに2週間くらいかかった。何かというと、読んでいって、こういう解釈で正しいのかしら? 違った解釈でやっていくと、途中で違和感を感じるようになるわけね。だから、前に戻って、こういう具合に理解してこうやって、って何回もやって読み通せるような理解の仕方をしたときに初めて正しかったというわけね。そういう読み方をしていくとね、本当に6ページ読むのに2週間くらいかかった。

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中村
難しい。でも、すごく興味がわきました。
吉永小百合さんなど著名人から、長崎大学、福島大学、広島大学の学生もメッセージを綴っている『No Nukes(ノーニュークス)』という本に益川先生のメッセージも載っています。

益川
たくさんの人が書いてある、高くない本だから、ぜひ手にとってみてほしい。

中村
本日はお忙しい中、ありがとうございました。

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