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#04 朝日新聞社「戦後70年企画」取材クルーとの座談会

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参加者
三浦 俊章
政治・外交の取材専門
戦後70年企画のキャップ

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参加者
守 真弓
文化くらし報道部、出版業界担当
戦後70年チーム所属

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参加者
西本 秀
社会部
戦後70年チーム所属

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参加者
渡邊 花
桜美林大学4年リベラルアーツ学群国際協力専攻

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参加者
加藤 有貴
山梨大学教育学部数学学科 卒業済み

自分の学生時代と今の大学生
〜わかりやすく、短く伝えるということが非常にもてはやされている〜

まず始めに、皆さんの大学時代、主に20歳の頃のお話をお聞かせください。

学生のときは国際政治専攻で、朝鮮半島についての勉強や、語学留学で中国に留学していました。

僕の頃は米ソ冷戦まっただなかだったので、核が使われるかもしれないという危機を感じて国際政治について勉強し始めました。

ベルリンの壁崩壊や天安門事件の頃、大学に入りました。国際政治の学科も増えてきて注目が集まっていた頃でした。でも自分はあまり勉強していませんでしたね…むしろ僕は社会人になって、米軍基地問題や広島の原爆について取材していって、徐々に関心が高まりました。

今の大学生とご自身の大学生時代に何か変わったところは感じられますか?

非常勤講師で大学の教壇に立っているんですけど、一番感じるのは2つあって、1つは先生が学生にとてもサービスしているなぁと。パワーポイント、リアクションペーパー、レジュメを配ったり…。私の頃は先生が参考文献の本の名前が大量に書かれた紙を最初に配って、後は先生がずっと話して、それをノートに写すという授業でした。今の学生さんはうらやましいなぁと思う反面、教えててすごく疲れるなぁと思います。自分で資料など探して調べるという意識が減っているんじゃないかと感じます。
2つ目には、学生の反応聞いていて、自分が細かく順々に話していたことを「要するにこういうことでしょ」という風に短く要約したがる。私が話していた内容で一つ心に響いたことがあるとすぐにわかった気になり、物事を深く理解できないかなと…。マスメディアもそうで、わかりやすく、短く伝えるということが非常にもてはやされている。つまり、解説というのがもてはやされているという現状は、現代の人に食べやすくしないと食べてもらえない。だからこちら側も食べやすくしようとしているんです。本当はもっとごつごつしたものを投げて、それから自分で調べたり、自主的に追求していってほしいと感じます。
とても便利だし、いいこともあるけどそういう荒々しいような素朴な好奇心やがむしゃらに勉強するっていう姿勢がなくて寂しいなぁと思います。

今年のお正月に早稲田大学の日中関係に関心のある大学生に取材をして記事を書いたのですが、皆さん素直でした。僕らの頃と違って、インターネット普及が進んでますし、情報も多いし発信もできる環境にいるため、可能性もチャンスもあってうらやましいなと思います。最近では若者が右傾化していると言われていましたが、僕が取材した学生さんたちはそんな印象は受けませんでした。好奇心も旺盛だし。

すごいメディア不信があるな、と感じます。既存のものを信じないという点ではいいと思うんですが、ネットの情報の方は信頼をしているように感じて、情報の受け取り方が私の世代とは全然違うと思います。

戦後70年企画中のエピソード
〜「日本はイラク戦争に参戦したじゃないか」〜

朝日新聞の戦後70年企画は昨年のいつごろ発足したのでしょうか?

準備は一年以上前から始めていたのですが、組織としては昨年の7月からで、8月から紙面での連載が始まりました。

企画を通して記憶に残っていること、印象的だったことなどありましたら教えてください。

東京外国語大学に通っているシリアの女性に取材をしたのですが、授業で先生が「日本は70年間戦争をしていない」という話をしたときに彼女が「日本はイラク戦争に参戦したじゃないか」と反論したというんですね。日本が戦争をしているという意識がなかったので、外から見るとそういう風に見えるのかと驚きました。イメージしていた戦争ではないけれど、知らない内に参戦してたんだと、衝撃でした。

どのようにその方は日本が戦争に参戦したことを知ったのでしょうか?

シリアの実家にいた頃、リビングで家族とニュースを見て知ったそうです。知った時にはショックで家族全員で大声を出して悲しんだそうです。

日本は70年戦争してないねって思われているけど本当にそうなのか、と。朝鮮戦争もベトナム戦争の時も日本は様々な形で戦争に加担していた。でもその現状が僕たちからは見えてないんですね。それがシリアの人から見るとそうではないように見える。

ロンドンに戦後70年の取材をしにいったときにも、現地の人に「戦後70年って何の戦争から?」と言われてしまいました。私たちだったら「戦争」と言うと「第二次世界大戦」だと思うけれど、やっぱり考え方や捉え方が違うなと思いました。

皆さんと同世代となる二十歳前後の若者が戦時中に特攻で亡くなっていったこと、現在の防衛大生が卒業する数か月前に靖国神社に通って、「私たちを見守ってください」とお祈りしたことなどを書いてきました。防衛大の学生さんたちはちょうど3.11の時に入った子たちなんですね。その後に入ってきた人はやっぱり防災のためという意識が強い。今他国を守るために憲法解釈が変えられようとしていますが、そうなったときこの子たちはどう思うのだろうかと思いました。怖くても使命感で戦う人もいると思うし、違う人もいるだろうと思う。自分が思っていた以上に役割が広がりそうな今、どんなことを考えているのかなぁと気になりました。

日本の将来をどう思うか
〜戦後は戦争が始まった途端に戦後ではなくなる。ひょっとしたら戦前じゃないかなという人もいる〜

戦後という時代について考える必要がある。戦後は戦争が始まった途端に戦後ではなくなる。ひょっとしたら戦前じゃないかなという人もいる。今の学生さんは今の日本がどこに向かっているか、日本の将来についてどう感じていますか?

今は戦争に加わる方向に日本は進んでいるとは思う。けれど、今の若者は昔みたいに声を張り上げてやめろやめろと言わないけれど、心の中では戦ってはだめだと思っている人は多いと思う。それは、いざとなったときの抑止力に繋がると思う。そう考えると、今とそう大きく変わらない社会が続いていくのではないかと思う。

政権に違和感を感じたときに、昔のような規模で大衆運動が起こったり労働組合が集ったりすることは少なくなりました。 個人的な考えだが、第2次世界大戦のときのような戦争は起きないと思う。もっと違う形の紛争や緊張が続くのではないだろうか。平和への想いが抑止力になると思うが、新たな危機の歯止めとなっているかはわからないよね。

今のままの平和を維持できるのかと疑問に思っている人も少なくないと思う。戦後70年までの間はアメリカが守ってくれる中で平和が維持できていたのではないだろうか。でもアメリカも民主主義の国。日本のために若者を殺したくないという民意になった瞬間、日本は止められない。そうなったときに日本は本当に平和のままでいられるのか、今の形を維持しようとするべきなのかで悩んでいる人がいるのだと思う。

そうだと思う。だから、今の流れを積極的に止める動きは目に見える形に表れにくいのかもしれない。

学生さん同士でこのような話をよくされるのですか?

私たちはPeace Now!などの平和活動を行なう中で参加者にどういうことを伝えるのかという中で、自分はどう考えるのかということを議論する機会はたくさんあります。

私たちの頃は改憲と護憲でくっきり意見が分かれていた。今は両方の意見がぼやけて見える。何が変わったのだろうか。

「このままじゃいけないんじゃないか」という情報が、ネットやテレビを通じて私たちの耳に入ってくるようになったからじゃないだろうか。

実家に帰り、両親と社会の動きについて話したときに両親で意見が分かれていて、混乱した経験がある。しかしその意見を聞く中で、自分の意見を強く持つことができた。

読者に、組合員に伝えたいこと
〜戦争は人間が人間を殺すということ。〜

戦後70年に際しそれぞれが取り組まれているなかで、記者の皆さんなら読者に、大学生協だったら組合員に、これだけは伝えたいと思っていることをお聞かせください。

かつての日本では、ひとりひとりの国民は悪いことをしようとは考えていないけれども、「国を守る」という名目でしたことが結果として悪い方向に進んでしまった。単純に平和を望んでいるだけでは必ずしも平和がこないときに、それをどうすればいいんだろうかという視点を持てるものが書けたら良いなと思っている。

戦争って何なのか、ということを取材を始めてから考えるようになりました。「これからくる戦争ってどういう形の戦争になるだろう、どうしたら防げるだろうか」と、今の時代に合わせてみんなで考える必要があると思いました。アメリカの援助という形でも戦争に加担していた日本の今の状況を振り返って改めて「平和って何だろう」ということについてもぜひ若い人たちに考えてみてほしいなと思います。

学生に戦争の授業をしているんですが、その中で学生が一番反応する、ぼくも伝えたいことは「戦争は人を殺すということ」なんです。人間は凶器を持たされて「相手の人を殺せ」と言われても普通はできないんです。殺すためには人間としてのスイッチをきるということが必要なんです。例えば、1人でピストルを持って殺すことはできないけれど、機関銃部隊を組織して集団の中に組み込めばみんな撃てるようになる。つまり、人間というものは人間という本能を断ち切って殺すということができるようになる。今、戦争に行って帰ってきた人はトラウマに苦しんでいる。戦争は人間が人間を殺すということ。日本の自衛隊の若者がスイッチを切ることができるのか、ということが問題にあると思います。こういう問題について日本の政治家は考えてないし、日本の国民も考えていない気がする。けれど僕はこれが一番基本になるのだと思います。

安全保障関連法案のニュースなどを見ていても、人が殺し殺されるというイメージを持って話がされないなと思っていた。親と話しているときに、「人が死ぬから戦争はだめ!」って言われたときに、はっとなったことを覚えています。

8月9日の式典にあわせてプロジェクトをやっているのですが、毎年参加してくれた学生は「戦争やだな、平和がいいな」と再確認して帰ってもらっているのですが今年はそれだけではなくて「じゃあ、そういう状態にならないために学生には何ができるのか」ということについても話し合い理解を深める機会を設けていこうと考えています。この先について考えるのは難しいけれどだからこそ色んな学生を集めて話し合いたいです。その一つとして、学生には学問を深めてほしいなと思っていて、いろんな学問は何らかの形で大きく社会に繋がっていると思う。工学部だって、教育学部だって、なんだってそうだと思う。そういう視点でも自分の学問を深めていって、その中でたくさんの人と繋がって、見に行って、という経験をしてもらいたい。そういうことをPeace Now!の企画で伝えたいです。

私はWebを通しての発信を主に行なっているのですが、学生であるということは強みになると考えています。学生同士で社会のことについて考えてみようと呼びかけるのはちょっと恥ずかしかったり、かっこわるいと思われそうなんですが、でも、私はそういうことをどんどんやるべきだと思っています。学生である私が平和や社会や戦争について考え、それを発信することで、自分の中でいろいろ考えていても外に発信ができない人に、発信することに対して自信を持ってもらえたらと考えています。

戦後70年の取り組みをする中で
〜昔と比べて色んな問題が伝わりにくくなっている〜

すごく単純な質問なんですけれど戦後70年の取り組みをしていて楽しいですか?どうお感じでしょうか?

苦しいですね。昔と比べて色んな問題が伝わりにくくなっている。前提としているものとか世の中の人の関心などが変わってきているので、前よりも打てば響くではなくて、まず響かせる土壌から考えて構成しなくてはならなくなった。発信したら受け手がわかるという仕組みではなくなってきているので、まずその土壌作りからしなきゃいけないのが大変。

Peace Now!は平和について考えるきっかけづくりしかできない。参加者は平和について考えたいって思っている人が多いが、学校で習ったような前提となる知識から話していき、最終日になってようやく平和について考えることができる。土壌を作る難しさや大変さはわかります。

守さん自身は伝わりにくいなぁという感覚をお持ちですか?

すごくはっきり書いたものはツイッターとかでバーッと広まるんですが、読んでほしくてもっと丁寧に細かく書いたものは意外に広まらないことがすごくあります。単純なものは読まれるんですが、ちょっと深みのあるものはなかなか伝わらない。やっぱりネットの反響が全然違いますね。

今の人ってすごく短いスパンで情報を得ているということもありますよね。本とかも長編じゃなくて短編集の方が読まれる。簡潔にこのメッセージ!って伝わるものには飛びつくけど、よく考えないと反論とかできないものは時間かかるから触れないみたいな。そういう時代なのかなと思います。楽しようとすればどこまでも楽ができるという環境も要因としてあると思います。

スマホで検索すれば何でも出てくるっていうのも恐ろしいことだよね。便利だけど、なんとなくわかった気になっちゃう。多くのネットは必ずしも正確な情報を伝えていない。本当に知られたくない情報とか、ごく少数の人しか知らない真相は載っていない。だからやっぱり人と人の間で交わされる情報には敵わないのかなと感じる。

◎戦後70年、学生に期待すること
〜70年前と今とこれから、それぞれがすごく繋がっている時期だと思います。〜

戦後70年のこの年に学生の行動として何を期待していますか?今の学生にどんな風に戦後70年に向き合ってほしいですか?

この企画は70年前の昔話を書くのではないと三浦さんから最初に話があった。今を書くのだと。安保法制がまさにあり、70年談話があり、70年前と今とこれから、それぞれがすごく繋がっている時期だと思います。そういう時期に、学生としてPeace Now!などの取り組みはチャンスだと思う。夏を大切にしていただけたらなと思う。

私が学生だったら何をしたいかなと思うと、忙しいとは思うんですけど学生は社会人に比べて時間もあると思います。戦後80年にはもういらっしゃらない方も多いと思います。戦争経験のある人にお話を伺ったり、色んな人に会ったらいいと思います。

僕は何も期待しません。自分で考えて自分で行動してほしいから。逆に僕自身がやんなきゃいけないことをやらなきゃいけない。
新聞って歴史の秒針だと言う人もいて、僕は歴史の最初のドラフトだと思っている。後々歴史になる出来事を最初にその事実に触れた人間として記録することが記者の仕事。それで後世の歴史家が見て読んで考えたりする。今の世の中が記事で変えられなくても記事を書き続けなきゃいけないなと思っている。今のことを記録するということが自分の仕事なので、学生さん達は学生さん達で考え、がんばってください。

今の意見に対して、加藤君に学生代表として答えていただきます。

社会を作っているのは自分自身なので、自分自信がどういう生活を送りたいのか、どういう社会にしたいのかについて考えることは、自分たち学生が一番のプロだと思います。そういう意味でも自分がどうしたいのか、自分で考えられる学生が増えていってほしいと思います。

本日は貴重な時間をありがとうございました。

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