未来と向き合い平和について考える -大学生協の平和活動特設サイト-

#05 元ちとせさんインタビュー

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参加者
元 ちとせ
アリオラジャパン/オフィスオーガスタ所属の日本を代表する女性シンガーの一人。奄美大島に生活の拠点を置きながら、精力的な活動を行っている。

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参加者
荒木 翔太
全国大学生協連学生委員。
愛知教育大学を卒業。大学生協震災復興ボランティアやPeace Now!2015などの運営に関わる。

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参加者
岡田 志穂
全国大学生協連学生委員。
同志社大学を卒業。環境セミナー2015企画局長を務める。Peace Now!2015などの運営に関わる。

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参加者
渡邊 花
全国大学生協連学生委員。
桜美林大学4年生。環境セミナー2015、Peace Now!2015などの運営に関わる。

★元ちとせ ニューアルバム『平和元年』7月22日リリース

戦後60年が経った2005年、過去に戦争があった事を風化させない為にと思い、坂本龍一氏とのコラボレーション曲『死んだ女の子』を発表しました。
戦後70年を迎える今年、『平和を祈る思い』『忘れない、繰り返さないという願い』をシンガーとして歌い継ぎ、母として残して行ければと思い、レコーディングに臨みました。
このアルバム『平和元年』が、平和を思うきっかけになってくれればと思っています。

元ちとせ

元ちとせ Official Web Site

「平和元年」に込められた想い
〜「自分の国をそんな風にしたくない」と思うきっかけに〜

現在大学生協では戦後70年特別企画としてサイトを立ち上げ、さまざまな方にインタビューを行い、読む人に平和を考えるきっかけづくりを行なっています。

よろしくお願いします。

まず、先日行なわれた元さんのライブに行かれた岡田から感想をお願いします。

先日はありがとうございました。アルバムも聴かせていただいたのですが、「腰まで泥まみれ」が印象に残っています。戦争をイメージさせる歌って、バラードのような、涙を誘うようなものだと思っていたのですが、とてもリズミカルで、明るさも入ったような曲を聴かせていただき、歌詞をちゃんと聞いてみたいと思う曲に初めて出会わせていただきました。

この曲はなぜ歌われたのですか?

「平和元年」というアルバムは、戦争をテーマにしていると思われがちですけれど、「戦争というものを単純に経験したくない」「娘や息子に遭わせたくない」という想いがきっかけで歌っています。戦後60年のときに「死んだ女の子」という曲を歌わせていただきました。この曲は実はデビュー前にいただいていたのですが、当時は「なんでそんな怖いタイトルで、その曲を私が歌わなければならないのだろう」と思ってましたし、「死んだ女の子」という曲が何故できたのかも知らず、調べようともしませんでした。2002年にデビューして、その夏に広島へイベントで行ったときに、そのときのプロデューサーに原爆資料館へ誘われて、ピクニック感覚で向かったのですが、あまりにもそこに残されたものが衝撃的すぎたこと、「60年前だったということが、遠い遠い昔ではなかった」ということにも驚かされたし、何より自分の母国がそういうことに遭っていた事実も知らないで23年間過ごして大人になっていたということが恥ずかしくなりました。遊ぶことや華々しいこと、派手なことばかり考えていたんだということが恥ずかしかった。歌が歌えるのならもう少し自分の役割というものを果たせるんじゃないかというところからプロジェクトが始まりました。世界の人たちが広島の資料館や原爆ドームを見てくれたら、「自分の国をそんな風にしたくない」と思うきっかけになってくれれば良いなと思っていました。「腰まで泥まみれ」は隊長を皮肉っている曲ではないかと言われますが、この曲をみなさんに届けたときに、戦争を考えるきっかけになると思っています。

私も「これを聞いて何を思うかはあなたの自由」というフレーズがとても気になりました。みなさんははどのように感じたのでしょうか。

これってなんなんだろうと考えました。答えはわからないですが、この一行だけで、前までの歌詞を想像できました。多くの人がもっとこのことを考えられたら良いなと思いました。

やんわり伝えるものではないと思うんですね、その、平和って言うことに対しての願いや祈りは。ぼんやりしているうちに進んでしまいます。娘が、「死んだ女の子」を聞いたときに、「死んだ」とか「女の子」というストレートな言葉を聞いてすぐに覚えました。それって、ストレートに心に届いて歌のお守りを手渡す感覚を感じたんです。今はすぐ答えが出なくても、いつの間にかこの曲が心に染みているときに、心の引き出しになる。困ったり、立ち止まったときに「あ、こういうことだったのか」と感じるときがくると思います。

「だが馬鹿は言う 進め」
〜自分の意志を持てというメッセージだと思っています。〜

この曲は絵本のページをめくりながら読み進められる印象を受ける曲だと思いました。最後に「だが馬鹿は言う 進め」というフレーズがありますが、どのようなイメージで歌われていますか?

その一人が馬鹿だと言っているのではなく、自分の意志を持てというメッセージだと思っています。自分が行きたくないなら行きたくないと、自分の気持ちをちゃんと持っている人間でいたいということを指して言うのだと思っています。

僕も今日、新幹線の中で「自分がもしもこの立場だったらどう思うだろう」と思いながら聞いていました。「危ない引き返そうと軍曹は言ったけど歩き続けろ」って、行きたくないけれども、戦わなければいけないって。僕は嫌だ、そんな環境に居続けなければいけないのは嫌だし、もしも自分に子どもがいたら、その子どもたちにそういう環境に行けなんて言えないなと感じていました。

そういう意志がアルバムをきっかけに生まれて、考えてくれたら良いなと思っています。でも、きっかけがないと、考えることすらないかもしれないじゃないですか。何か自分の考えをもつきっかけに触れて平和っていうものを考えたときに、いつものコーヒーが美味しく感じるかもしれない。私は今回のアルバムの全曲を知らなかったのですが、プロデューサーが選んできてくれた曲からいくつか選びました。平和や戦争というテーマがあり、目を背けちゃいけないものを見つめられるようになったり、資料館にも足を運ぶようになりました。悲しい歌ほど明るく、力強く前向きな歌になるのだと感じながらレコーディングに挑みました。なので、暗く歌うのではなく、凄く明るい声を使ってみました。

「60年前って遠い遠い昔ではない」
〜その60年前を生きていた人がいるって、見えているでしょ、感じるでしょ〜

先ほど広島の原爆資料館にも行かれたということで、学生のみなさんは行かれたことがありますか?

岡田・荒木
行ったことがあります。

先ほどの話の中で、60年前って遠い昔ではなかったとはなされていましたが、それはどういうことですか?

それまで本当に、戦争って遠い遠い空の下で起こっていることなんじゃないかとか、他人事のように思っていました。むしろ、考えてすらいなかったかもしれません。60年って、その60年前を生きていた人がいるって、見えているでしょ、感じるでしょ。それすらも感じようとせず、目を背けてました。「死んだ女の子」を歌ったときに上の女の子が生まれて、その子が小学校3年生の夏の今頃に、テレビで祖国が違うカップルの国同士が戦争になったため2人で国境を越えて一緒になろうとしたけれど、国境を越える寸前で2人とも打たれて死んでしまう有名な話がドキュメンタリーになっていました。それを娘が見たときに、「ママ、どうして2人は悪いことをしていないのに撃たれちゃったの?」「なんで急に撃ち合いが始まるの?」って聞いてきたので、「戦争っていうのがね」という話をしました。「ママの『死んだ女の子』も戦争で死んだの?」と聞いてきて、「そうだよ、あの子は普通にあの日学校に行っているのに、突然上から爆弾が落ちてきたんだよ。」と伝えました。そしたら娘が「戦争は嫌だ」という作文を夏休みの宿題で書いていて、それで余計、歌のお守りってこんなに伝わるものなんだなと思って、自信を持ちました。

学生の2人は原爆の資料館で記憶に残っていることはありますか。

小学生の頃に見たときに、あまりにも怖くてちょっとだけ見てすぐに出てしまいました。ちょっと前に起きたことということを受け止められなかった記憶があります。

僕も高校の修学旅行で資料館と公園内の碑を見ました。正直、戦争は自分たちの国で起こったことではないかのように思っていました。小学校の頃に、夏休みの終業式が終わり、テレビをつけたらちょうどイラク戦争が始まっていました。その印象がとてもあり、友だちとそんなこともあったよねと話しながら資料館に向かったときに、もしも自分たちの真上に原爆が落ちてきたとしたら、真っ先に逃げるけれど、絶対に助からないよねと話したり、そんなときに石碑を回って「ここにはどんな意味が込められているのか」と考えたときに、僕は絶対に戦争は嫌だなと思いました。今度は長崎にも行くのですが、そこではまた違う感じ方をするのだろうなと思います。

レコーディングの裏側
〜「花がある」ということも、当たり前だけれど、すごく幸せな風景でしょ?〜

最後のサトウキビ畑は19歳のときに歌われたものだったと聞きましたが、当時と今で歌うときの心情に変化はありましたか?

変わりましたね。当時は「ある日鉄の雨に打たれて父は死んでいた」という歌詞を思い浮かべて歌っていたかと言われたらそうではなく。「ざわわ ざわわ サトウキビ畑が」という歌詞から自分のふるさとののどかな風景を想像していたけれど、この曲が何を伝えたかったかは当時は考えられませんでした。今回のアルバムを作るにあたり、音源を聞き直して、この曲を残したいなと強く思いました。

社会に出る前の人、学生に向けて
〜そこで生まれる意志や願いが声に変わって伝えることができる〜

最後になりますが、社会に出る前の人、学生に、終戦の日に向けて8月をどのように過ごしてほしいと思いますか。

私は先生や立派な人間ではないのですが、私も常に答えは出ません。毎日問題が出てきて、親としても答えがでないこともあります。でも、何かのため、誰かのためにってしすぎようとすると、いっぱいいっぱいになって自分を愛することすら忘れてしまいます。そうすると怒りたくもないのに子どもを怒ってしまうこともあります。そんな時に、なんで自分はこんなことをしてしまったのだろうかということをいつも探しています。自分のことは自分が一番わかるはず。わかろうとしなければいけないと思う。戦争も同じで、どうしてなのかと見つめ直し、そこで生まれる意志や願いが声に変わって伝えることができると思います。それが大きな力に変わって、70年間戦争をしなかった日本が歩き出してくれるんじゃないかと思います。

最後に力強いメッセージをありがとうございました。

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