日比野 克彦氏インタビュー 人は人によって育まれる、想像力はアートによって養われる

令和4年4月5日、東京藝術大学奏楽堂で行われた入学式に臨んだ新入生は眼を見張りました。音楽学部の学生が奏でる打楽器の調べに乗せて、黒いTシャツの男性が壇上で大小の段ボールを次々と掲げていったからです。それは就任したばかりの学長が、音楽と美術を融合させ自ら投げかけたパフォーマンスでした。「揺れ動く心の中のアートと出会った、その瞬間の蓄積が自分の表現になっていく」と述べ、4年間さまざまな人と出会って自分を育んでいってほしいと結んだ祝辞は強く新入生の心に残り、これから始まる大学生活への大きな期待につながりました。
今回は東京藝術大学の日比野克彦学長にインタビューを行い、長引くコロナ禍を生きる大学生が充実した生活を送る一歩を踏み出す機会になるようなメッセージを頂きました。

インタビュイー

東京藝術大学長
日比野 克彦氏

プロフィール

聞き手

全国大学生協連
学生委員長(司会/進行)

角田 咲桜

全国大学生協連
学生委員会

齋藤 薫

全国大学生協連
学生委員会

中川 雄貴

(以下、敬称を省かせていただきます)

私たち全国学生委員会は東京を拠点に、全国の大学生協にある学生委員会がより元気に充実した活動ができるように日々サポートをしております。本日は大学生活全般をテーマに、前半は日比野学長の大学時代を含め大学生活に焦点を当て、後半は、SDGsについて絡めながらお話を伺っていきたいと考えております。

大学時代は藝大の美術学部デザイン科に所属し、大学院を卒業しています。1980年代にデザイン科の学生として活動を始めました。例えば、商品開発、店舗デザイン、家具、テキスタイルデザインから、グランドデザイン的な街の設計。そこから社会のデザインというようにどんどん活動が広がっていって、今ではアートプロジェクト、地域との交流、社会における美術館の役割、地域づくりのデザインにまで及んでいます。
学部長、学長という立場では、大学の中での活動もこれまでの自分の延長線上にあると考え、大学の社会における教育・研究・芸術の役割について新たなるデザインを考えていこうと実施しております。

学生時代の思い出

大学生活の魅力とは?

全国大学生協連では今年の夏に大学生に向けて大学生活に関する大規模なアンケートを実施し、5000人を超える声を頂きました。そこからは、「対面授業が増えて顔見知りの人は増えたけれど、友達と呼べる人は少ない」「集団で何かを成し遂げる経験を求める」という声がたくさん寄せられました。日比野学長の過去のインタビュー記事を拝見して、今の大学生に必要なのは心が動く瞬間であり、心の揺らぎではないかと思いました。やはり一歩を踏み出すのには、感動したりワクワクしたりする経験が大事だと思いますが、いかがでしょうか。

大学はオンラインで授業をやっていますが、それで単位がもらえて進級することは大学の一部でしかありません。学生視点で見ると、キャンパスライフでの人間関係や仲間づくりが、大学に進学した目的として授業と同じくらいのウェイトを占めていると思います。授業以外でもオンラインで友達とつながることはできたかもしれないけれど、やはり同じキャンパスという空間の中で時間を過ごすことが十分にできなかったので、友達と呼べる人がなかなかできていないということだと思います。

それは同学年のみならず、先輩後輩やクラブ活動、大学を越えたサークル活動などとどんどん広がっていくべきなのに、「人と会う(集う)」ことに制限が加わり、キャンパスで大学の友達と会うことができても、そこから波紋のように広がっていくということが難しくなっています。友達と旅行に行って、旅先で地域の人に出会う、そこからまた日程を変えてさらに遠くまで行ってみようか、などということがなかなかやりにくい時期なのですね。
考えてみますと、私も授業と同じくらい、授業以外の時間が大切な思い出になっています。サッカー部での仲間づくり、また9月の学園祭で藝大名物の神輿をグループで作ったり模擬店を出したりして縦や横のつながりをつくっていきましたが、それが今はやりにくいというのが現状です。そんな中で今年は、2年間できなかった神輿を作ることになりました。

確かに大学生活の魅力は授業だけではなく、その中で得られる経験で充実感が変わってくると思います。

仮想より現実の経験を

今、新型コロナの心配もあり、クラブ活動や課外活動などで得られる経験のハードルが高くなっているのを感じます。一歩踏み出してしまえば簡単なことだと思うのですが、そのようなときに学生が何か意識すべきことがあればお聞かせください。

人間って危険察知能力がありますよね。日本の教育では、リスクに対して保険をかけるなどのリスク管理をさせます。極端な例では、自分の実力に合った大学を受ける物差しとして偏差値を使います。今は自分の偏差値を大学の偏差値と照らし合わせて、合格しそうな大学に決めていくわけですが、一発勝負ができた時代もあったのですよ。一か八かで受けてみる、だめだったらあきらめよう、そういう考え方が今は教育全般に無い。リスク管理でけがしないようにという管理社会になっています。「ちゃんと自己管理をしなさい」と言われると、自分の知らないところに行くことの価値が分からなくなるでしょう。
でも、人間には自分の知らないところに行きたいという欲望があります。進化の過程で誰が海を渡ろうなんて思ったのでしょう。怖いから渡らないでいたら、人類は世界中に広がらなかったですよね。誰が海を渡ってきたのか、野山を越えようと思ったのか。それは、食料がなくなったから背に腹は代えられず、という状況も当然あったと思いますが、やはり野望も必ずあったと思うのです。

例えばゲームやデジタルメタバースの中では、「どこかに行けちゃった」みたいにそれが仮想的に達成できる瞬間がありますよね。それがどんどんリアルになっているので、物理的な空間の中であえてそのリスクを負わなくても、メタバースの中で知らないところに行って冒険ができる。自分がコントロールしうる世界でチャレンジができるというところで、人間の欲求的なバランスをそこで取っているということがあるのかと思っています。
メタバースがリアルになってくると、現実との境がどんどんなくなってきます。NFTなどデジタルの経済が確立されてくるので、ほとんど現実世界と同じように、あるいはそれ以上に価値を持つ仮想社会ができてくるのも時間の問題だと思います。その中で、若い世代が本当に重力のある、四季折々のある、宇宙的な空間の中に存在する価値観をどこに求めていくのか。人と人が対面した時の空気感、距離感に対してどう反応するのか。この20~30年、あるいは私が学生だった40年前とはいろいろなルールや生活様式も変わってきているので、私たちの成功例を強いるのはなかなか難しい。そのギャップのある時代に、若い世代に即した新しい冒険の仕方を見つけていくというのが正解だと思います。

「一歩踏み出す勇気がない」というのは正直なところですので、そこをあえて誰かが背中を押す必要はないと私は思います。自分で行く時は行く、行かない時は行かない。行く時は自分で知らないうちに足が前に出ます。人に言われている限りは自分の意思ではないので、自ら行く時は来るのだと思います。

人と同じことをやっても進歩はない

日比野学長ご自身はどのような大学時代を過ごされたのでしょうか。大学生活の中で挑戦した経験、何か心が動いた経験をお伺いしたいのですが。

3年生の時に、大学の自分たちの教室の中にバーカウンターみたいなものを作りました。人が気軽に立ち寄れるサロンのような雰囲気にして、先輩たち、デザイナー・アーティストの方々に授業の講評をしてもらった後、たむろえるような場所にしました。その空間は結構みんなに活用され、先輩たちもそこにやって来るなど、教室というよりは人が集まるプラットホームのような場所でした。今でもそういう空間は大事だと思っています。藝大の特徴として講義室よりもアトリエの方が多いので、自分たちの絵を広げて制作し続けられる部屋があります。そこを同級生たちと、自分たちだけでなくみんなが入れる部屋にしたことが、今でも記憶に残っています。

素敵ですね。そのお部屋作りはどういうきっかけで行われたのですか。

先輩や後輩や、いろいろな人たちとより広く出会いたいという発想からです。またデザイン科では、第一線で活躍しているデザイナーやディレクターが頻繁に来校していました。そういう人たちと会食などをしながら一緒に過ごしたいなという気持ちがありました。藝大は上野公園の隣にあり、20~30分歩かないとお店がないので、学内にそういう場所を作っちゃおうという思いもありました。

大学内に人の集まるプラットホームを作ったということに関しては、不安なこと、懸念材料などもあったのではないかと思います。その不安を乗り越えられるきっかけとなる原動力はあったのでしょうか。

人と違うことをやるということに対する不安はなかったですね。逆に人と同じことをやっているほうが不安だった。「これヤバいよね、何の進歩もない。違うことやらなきゃ」って、そっちの方が自分の中でのアドバンテージというかモチベーションがありました。

人と同じことをやるという不安があり、自分が新しいこと、他人と違うことをやってみようという気持ちが原動力となって人が集う場を作られたというところは、なかなか今の学生が踏み切るのが難しいところかと思います。でもそこで一緒にやる仲間がいて、チャレンジできる環境があったからこそできたのですね。

学生も教師も同じ表現者

藝大生に限らず今の学生にも行動力を持ってほしいとか、自分の思いを形にするようなことを学長も期待されていますか。

私は学生の時に先輩から説教臭く「オレの時はこうだったんだ」と言われるのが嫌いだったんですよ。先生の自慢話を聞くのも嫌いだった。だから、そういうことは自分ではあまり言わないですね。まねしたい人はまねするだろうし。
大学以外では私のアートプロジェクトの現場が日本各地にあり、そこに参加する学生は自分の専攻以外からも来ていますし、他大生との出会いもあります。そこでは教育というよりも、一学生といえども同じアーティスト、表現者としての感覚の方が強いかな。だから彼らは、長い目で見ると同じ時代に生きたアーティストたち。例えば歴史を見ても1950年代の作家と80年代の作家を100年単位で考えるとしたら、今の20代も70~80代も同時代の作家という言い方ができるわけです。教える・教えられるというよりも、同じ表現者としてお互いに影響し合うという感覚のほうが強い。それは昔自分が学生だった時も同じで、先生を先生というよりは、同じ時代の表現者だと思っていました。10人の先生からの自分に対する講評もどれが正解だとも思わないし、それは単にその先生から見た私の作品に対する講評なんだな、という受け止め方をしていました。現在、教員や大学の運営に関わる立場におりますが、今でも同じ感覚はあります。

仲間作りには同じビジョンを掲げて

日比野学長がたくさんのプロジェクトや活動に関わる際に、仲間づくりのコツがあったら教えてください。

仲間づくりをする時に、大きな声の人が一人いて、指示系統で下に20~30人がいるという組織では、その20~30人は指示待ちになり、指示があるまで動かなくなってしまいます。統率しやすいけれど、広がりがない。でもその指示系統が並列になると、互いの意見を「じゃあ、それやってみなよ」「それいいね、私も手伝うよ」「それは2人でやった方がいいから参加するわ、後で私のも手伝ってね」と言うようになる。それって一見バラバラになりそうだけれども、みんなが頭の中に同じビジョンを持っていれば、自分の得意なことをそれに向かって生かすことができます。そういうまとめ方と個性の出し方、それがチーム作り、プラットホーム作りで私がいつも気をつけていることです。同じ世代の学生同士だけでなく、年配者、外国人、障がい者、それぞれが同じビジョンを持って、それぞれ何ができるのかを考えるのが大切だと思います。

大学生協でもビジョンを大切にしているということをあらためて考えさせられました。サッカー日本代表JFAのサイトにもちゃんとビジョンが明記してありますし、やはりビジョンって大切だと思いました。