大学生協のたすけあい保障制度

自立とは「依存先を増やすこと」

東京大学先端科学技術研究センター准教授 熊谷 晋一郎先生

東京大学先端科学技術研究センター准教授
熊谷 晋一郎先生

子どもが将来の進路を考えるこの時期、保護者はどのように子どもをサポートしていけばよいのでしょうか。脳性麻痺という障害を持ちながら小児科医として活躍し、現在は東京大学先端科学技術研究センターで障害と社会の関係について研究する熊谷晋一郎先生から、保護者に向けたメッセージをいただきました。

くまがや・しんいちろう 1977年山口県生まれ。生後間もなく脳性麻痺により手足が不自由となる。小学校から高校まで普通学校へ通い、東京大学に進学。医学部卒業後、小児科医として10年間病院に勤務。現在は障害と社会の関係について研究するとともに、月2回ほど診療現場に出ている。

障害を抱えながら自立を目指す

 私は、生後すぐに高熱が出たことなどが原因で脳性麻痺となりました。手足が不自由なため、中学生の頃から車椅子を使っていて、日常生活を送る上では他者の介助が欠かせません。
 私が生まれた1970年代には、脳性麻痺は早期にリハビリをすれば9割は治ると言われていました。このため、私の親は私が物心つく前から、膝立ちの仕方、寝返りの打ち方、茶碗の持ち方など、毎日5、6時間にも及ぶ厳しいリハビリをさせました。すべては、私をできるだけ健常者に近づけ、独り立ちできるようにしようという、愛情ゆえにしたことです。
 ところが1980年代に入ると、脳性麻痺は治らないという医学論文が発表されたのです。そして、それに呼応するかのように障害そのものに対する考え方が180度変わり、「障害は身体の中ではなく外にある」という考え方がスタンダードになりました。例えば、私が2階に行けないのは私の足に障害があるからではなく、エレベーターがないからだ。だから、社会や環境の側を改善していこう、と考えるわけです。
こうした考え方が広がると、街中で障害を持つ人に出会う機会が格段に増えました。それまで私は常に親と二人三脚の生活をしてきたため、「親が死んでしまったら自分も生きていかれなくなるのではないか」という不安を幼い頃から抱えていました。ところが、街で見かける人の中には自分より重そうな障害を持った人もいる。その人達がありのままの姿で自由に暮らしているのを見て、「リハビリをしても治らないけれど、健常者にならなくても社会に出られるんだ」という確信が芽生えたのです。
 それ以来、親が生きている間に親亡き後をシミュレーションしておきたい、そのために一人暮らしをしようと、強く思うようになりました。当然のことながら親は大反対し、母がついてくると言いました。それならば、親が容易には来られない場所に行くしかない。それで、山口県から東京の大学に進学したのです。

自立とは「依存先を増やすこと」

 親は、「社会というのは障害者に厳しい。障害を持ったままの状態で一人で社会に出したら、息子はのたれ死んでしまうのではないか」と心配していたようです。でも、実際に一人暮らしを始めて私が感じたのは、「社会は案外やさしい場所なんだ」ということでした。
 大学の近くに下宿していたのですが、部屋に戻ると必ず友達が2〜3人いて、「お帰り」と迎えてくれました。いつの間にか合い鍵が8個も作られていて、みんなが代わる代わるやってきては好き勝手にご飯を作って食べていく。その代わり、私をお風呂に入れてくれたり、失禁した時は介助してくれたりしました。
 また、外出時に見ず知らずの人にトイレの介助を頼んだこともあります。たくさんの人が助けてくれました。こうした経験から次第に人や社会に関心を持つようになり、入学当初目指していた数学者ではなく、医学の道を志すことを決めたのです。
 それまで私が依存できる先は親だけでした。だから、親を失えば生きていけないのでは、という不安がぬぐえなかった。でも、一人暮らしをしたことで、友達や社会など、依存できる先を増やしていけば、自分は生きていける、自立できるんだということがわかったのです。
 「自立」とは、依存しなくなることだと思われがちです。でも、そうではありません。「依存先を増やしていくこと」こそが、自立なのです。これは障害の有無にかかわらず、すべての人に通じる普遍的なことだと、私は思います。

正解を教えるのではなく「1つの案」を提示する

 子どもにとって他者や社会というものは、自分の前に立ちはだかるものかもしれません。でも、子ども自身がそれに立ち向かい、その中に依存先を開拓していくことで、やがて子どもを支えてくれるものへと変わっていくのです。
 では、子どもが他者や社会に立ち向かう時、保護者はどうサポートしていけばよいのでしょうか。私自身、日常生活の中で高校生と接する機会があるのですが、人生の少し先を歩く先輩として保護者ができるのは、子どもが学校の中で見聞きしてきたことや、子どもの身に起きている出来事を、「解説」してあげることではないかと思っています。つまり、「自分の経験からすると、それはこうかもしれないね。あるいは、こうかもしれないね」というように、「解釈の1つの案」を提示していくんです。正解を教えるのではなく。
 そうすることで、子どもは「いや、そうじゃない。自分はこう思う」といったように、自分の考えをより深めていくことができるのではないでしょうか。こうしたやりとりを通して、困った時は自分1人で解決するのではなく、誰かに話したり、頼ったりしていいんだということを、子どもに気づかせてあげてほしいと思います。

 あれこれ詮索して無理に話を聞き出す必要はありません。子どものほうから「聞いてほしい」と言ってきた時に、きちんと応じればいい。もしも何も言ってこなければ、それはそれでいいんです。保護者以外に依存できる相手をすでに開拓しているのかもしれませんから、子育てとしてはむしろ成功です。
 他者や社会に頼っていいことを子どもに伝えるためには、保護者自身もいろんな人やものに頼ることができていなければなりません。保護者が頼る姿を見て、子どもは「自分1人で抱え込まなくていいんだ」ということをあらためて学ぶでしょう。それはきっと、子どもにとって大きな財産になると思います。

写真提供/医学書院WEBサイト「かんかん!」(2012年1月12日記事)

写真提供/医学書院WEBサイト「かんかん!」(2012年1月12日記事)

熊谷准教授の研究テーマ

「当事者研究」とは?

 「当事者研究とは、障害や病気を持った本人が、仲間の力を借りながら、症状や日常生活上の苦労など、自らの『困りごと』について研究することです」と話す熊谷准教授。彼自身は、自閉スペクトラム症やADHD(注意欠陥多動性障害)といった発達障害について、実際に障害を抱える人達と一緒に研究している。
 研究は専門家がするもの、とつい考えてしまいがちだが、「障害に関する研究も、これまで多くの専門家によって行われてきました。しかし、専門家は障害の当事者ではないため、どうしても見逃してしまう部分が出てくるのです」と熊谷准教授。
 例えば、専門家の研究では、自閉スペクトラム症の人=パニックを起こす人、コミュニケーションが苦手な人、といった表層的な捉え方をされるが、一方の当事者研究では、なぜ彼らがパニックを起こすのか、そもそもどのような「ものの見え方」や「音の聞こえ方」をしているのかといった、障害を持つ人の言動の背景にあるものが具体的に見えてくるのだ。 
 「当事者研究によってわかったことを、障害を持つ人も持たない人も理解していくことが、よりよい共生社会の実現につながると考えています」。
 また、「当事者研究における当事者とは、障害や病気を持つ人に限定されません。最近では、ホームレスやビジネスマンの当事者研究というのもあります。広くさまざまな困りごとを抱えた人たちが、いろいろなやり方で当事者研究をやっているんです」と話す熊谷准教授。こうした当事者研究の考え方は、多感な時期を過ごし、悩みを抱えやすい高校生や大学生も応用できるのではないだろうか。


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