日比野 克彦氏インタビュー 人は人によって育まれる、想像力はアートによって養われる

芸術とSDGs、大学生とSDGs

時間の尺度の変化

SDGsについてお伺いします。大学生協のアンケートでも、社会貢献活動に興味があるという学生、社会問題について関心があるという学生がこの間増えているのが分かっています。社会の一構成員でもある大学生がどのようにSDGsをとらえて活動できればいいか、お考えをお聞かせください。

想像力ですね。イメージする力が必要です。小さい子どもの時って明日何があるか分からなかった。それが小学生になると時間割を与えられて、来週の月曜日の朝1時間目は国語だから、月曜日の朝は学校に行って国語を勉強している、土曜日曜は家にいるんだな、みたいな1週間単位のスケジューリングができるようになります。高学年になると、1年後は6年生になるのかな、その次は中学生になるんだな、と1年単位、中学生くらいになると2年単位、高校生になると将来を考えられるようになってきて、だんだん想像力の幅が広がってくるのですね。時間の尺度が長くなっていって、今我々は来年再来年、何年後かの計画を立てられるようになりました。

時代によっても、社会の中で想像する時間の幅は随分変わってきました。例えば20世紀の1980~90年代は“世紀末”という言い方をしていた時代。いわゆる20世紀末で、100年単位の世紀が替わる。90年代になり、あと10年で21世紀になるという時には“ラストディケイド”という言い方をして、10年で世の中が変わっていくのだと、そう感じる時代がありました。
そしてミレニアムを迎え、21世紀になると同時に環境問題などが大きく謳われるようになってきます。10年で世の中って変わるものもあれば、逆に変えられないものがあるのが分かります。環境問題、オゾン層の話になると、今の我々の行いが積もり積もって後の世代に影響を及ぼすというような100年単位の感覚。もっと環境問題が深くなってくると1000年単位。このままいくと1000年後の地球の温度、海面高度はどうなっているのか、というように具体的な数値を示すことで、SDGsがなおさら理解、想像できるようになってきます。

小学生でも地球環境とか、北極の氷が溶けていって世界中の海水が増えていくと、魚が捕れなくなって、捕れる地域が変化していってということも、何となく実態として分かってくるようになってきます。マイクロプラスチックをなくそうと思っても、自分たちのペットボトルがなくなることはなく、日常と1000年後がつながってくるという意識になってきていると思うのですね。教育とか、いろいろな時代の社会的課題やニュースや情報が入ってくるので、そういうところで実感しているからこそ時間の尺度が変化してきていると思います。

想像力はアートによって養われる

社会の一構成員でもある大学生がSDGsをどのように考えて、どのように行動できるといいかという質問に関してですが、見えないもの、そこにないものを想像する力というのは何より一番大事です。想像力をトレーニングする時にアートが活用できます。物語を読んで自分の中で想像する、音楽を聴いてここじゃないどこかに行ってしまう時間を体験する、絵画の前に立ち止まって一瞬フワッと違う時空間に誘われるというような体験をより多くすると、想像力というのは鍛えられるのですよね。

それはアスリートの場合と似ています。想像する筋肉があるとしたら、一気に100mを何秒でとか、棒高跳びで何mとかは飛べないけれども、日常的に想像する力をトレーニングさせていけば、複合的に人間関係、環境問題、社会の仕組みがこの先どうなっていくのだろうということを、さまざまなビッグデータを使って自分の中で処理して想像していくことができます。アートの力がなかったら想像する力を養えません。単に美術館に行って絵を観る、コンサート会場に行って音楽を聴くという行為だけがアートではありません。アートというのは自分の中にあり、自分の想像力はアートによって養われるし、その想像力が社会的課題を解決します。そういう想像力のある人間の集団が重要な課題を解決する力になっていくのだと思います。

大学生協の平和活動の中で、Peace Now!という平和に関するゼミナールがあります。広島や長崎や沖縄に赴いて現地でその土地を感じたり、手記を読んだりする中で、戦争中のことに思いを馳せるのですが、それもアートを通した平和活動だったのかと、今の日比野学長のお話が頭の中で結びつくような感覚を持ちました。

SDGsは、大学と社会をつなげる一つの指針

東京藝術大学の公式YouTubeでインタビューを拝見した時に、学長は「藝大でSDGsを広げるべきだ」とおっしゃっておられました。そこで、芸術とSDGs、大学とSDGsのつながりに関すること、大学の中でSDGsをしっかりと深めることが今後の未来にどんな可能性があるのかについて、お考えをお聞きしたいと思います。

社会と接続するためのある意味、研究時期、社会のインターンとしての大学生という立ち位置から考えます。職業を選ぶ際に金融関係に行きたいとか、弁護士になりたいとか考えますが、最終的には社会に貢献するのが目的になると思うのですね。その社会貢献には個人的な感覚があって、「自分を大事にするということが社会貢献の第一歩だ」と感じる人もいるだろうし、「自分より他者を大事にすることが社会貢献なのだ」と感じる人もいる。それぞれいろいろな社会貢献があるのです。
地球上に生きているのは一人ではありません。地球上で生きているのが一人だったら大学という組織もあり得ないし、社会もあり得ません。複数の人間がいてそれを伝承していく、継承していく、新たに積み上げていくのが「教育」であり、社会と接続するというのが一番人間らしく生きる、より良く生きる上で大事だと思います。

「社会貢献とは何をすれば良いのだろうか」ということを具体的に考える指針としてSDGsを考えれば、これからどんな仕事に就こうか、どんなことで社会貢献しようか—ジェンダーなのか、環境なのか、地域なのか、教育なのか—そういうことを考えた時に、自分の生き方はこの窓口のこのあたりの引出しに興味あるしやってみたいなとか、この目標にはないものを実感として感じるから新たに作ってみようかなという、自分のこれからの時間をどのように社会と接続していくかという時の目印になるのではないかと思います。
国連に行って世界平和に関係する仕事がしたいとか、医療関係者になって命を救いたいとか、さびれていく地域で村おこしをしたいとか、さまざまなことがあると思いますが、直接的な行動が結局何に貢献できるのか、何につながっていくのかと問われると、SDGsの目標のどれかにつながっているわけです。社会貢献で社会とつながることによって課題解決につながる、目標・指針として考える上では、大学生としてSDGsと関わるのは、活用できる=貢献できることになるのではないかと思います。

社会に出る一歩前までが大学。大学と社会をつなげる一つの指針としても、自分と社会をつなげる指針としてもSDGsがあるという視点を私は今まで考えたことがなかったので、このようなお話を聞くことができて、とても勉強になりました。

SDGsという世界共通のビジョンがある中で、日比野学長が取り組んでおられる社会的課題は何でしょうか。

今ちょうど瀬戸内国際芸術祭をやっていて、私も作家として参加しています。海洋環境の課題を具体的に挙げて、瀬戸内海で実際にマイクロプラスチックの調査をしました。マイクロプラスチックって、知っていても見たことないじゃないですか。作品を見に来た方々に、5mm以下がマイクロプラスチックだと実際に見せると「へぇ~」と驚かれるわけです。それを筑波大学の研究所と組んでやっており、最近は香川大学も一緒にやっています。科学的なきちんとした調査と、それをアート作品化して、瀬戸内国際芸術祭に来た人たちに、きれいな海と同時に海の中の実態と結び付けて知らせていく活動を具体的にはしています。

まさに想像力と自分の経験を結び合わせることで学べるような仕組みになっているのですね。

創造の源は本能から沸き上がる

私は大学生協連で国際貢献についても担当しております。今コロナ禍でなかなか対面の平和ゼミナールができないので、この2年間オンラインでPeace Now!の活動をしてきましたが、現地に行けなかったからこそ現地に思いを馳せるということが貴重な体験だったとあらためてかみしめています。日比野学長がコロナ禍の生活で、五感で味わう際に意識していらっしゃることがあれば、次のセミナーとか学びづくりに生かしていきたいと思います。

人間は本能があって、お腹が減ったり、眠たくなったりします。粘土遊びや泥遊びってやったことありますか? 陶芸って世界中にありますよね。土器が発掘されると、人間が自然の素材である土と水を混ぜて乾かして火で焼いて器を作ってきたのが分かります。人間はそれを使って食物を保存したり焼いたりして食の幅を増やしてきたわけです。粘土はその思わずやってしまう行為の一つなのです。
想像してください。目の前に粘土があって何を作ろうかなと思った時に、じっと見るだけではなく触ってみる。つい手が伸びてしまうじゃないですか。例えば絵を描くのは、何を描こうかなと思って白い紙を前にしても、なかなか実際に描きにくいものです。反対に粘土って元に戻すことができるので、とりあえずペチャペチャやる、とりあえず手に持ってみる。持ちながら、何を作ろうかなと考える。蛇のように伸ばしてみたり、丸くしてみたり、指を突っ込んで穴をあけてみたり、手を動かしながらいろいろと考える。だから、しっかり図面を引いてから粘土遊びをするということはあまりしません。

粘土遊びは、“可塑性”と言って自分が起こしたアクションに従って形が残ります。例えば、水に手を突っ込んでも、水はすぐにその形跡を消してしまいます。反対に、雪は手を突っ込むとその形に穴が開く。それを可塑性といいます。粘土遊びでは爪の跡が残ったり指紋が残ったりして、自分が施した力だけより形が残るという面白さがあります。これはちょっと違うなと思ったら、元に戻してすぐにリセットできるという緊張感のなさ、責任を取らなくていいという気楽さがあります。白い紙に絵の具を塗ってしまったら元に戻せませんが、粘土はドキドキする必要がありません。いじりながら、どうしようか、ああしようかと考えることができます。トライ&エラーとか、スクラップ&ビルドという言葉がありますが、粘土遊びにはそうした面白さがあるのですね。小さな子どもでも蛇を作るとか、ゴロゴロしてみたくなるというのは、本能的に人間がやってしまう行為です。

これをいろいろな思考とか人間関係の中で意図的に取り入れると、本能的に楽しくできるのかなと思います。昔、もっともっとチャレンジしてみようと思って、実験をしました。粘土って、だいたい座って机の上でいじるじゃないですか。それを歩きながら手の上で粘土をいじる、これを20~30人の集団で行列になってやると不思議な集団になるのですが(笑)、それはある意味トレーニングかもしれません。歩きながら内と外をつなげようということで、ギャラリーにスリッパに履き替えてもらって、粘土を持って手を動かしながらそのままスリッパで外を歩く、そういう試みをしたのです。そうするとそれは単なる粘土細工ではなくて、いろいろなものが体の中でつながってくるという実感を得られます。みんながどこかで「自分たちはこういうものでしょう」という常識、例えば「粘土は図工の時間のもの」「机の上で何かを造形するために使うもの」が、でもそうじゃなくて、違うアプローチもあるような感覚になってきます。

本日は貴重なお時間とお話を伺うことができ、ありがとうございました!

2022年8月9日 リモートインタビュー

PROFILE

日比野 克彦(ひびの かつひこ)氏

1958年岐阜市生まれ。1984年、東京藝術大学大学院美術研究科修士課程デザイン専攻修了。同大学美術学部先端芸術表現科教授、美術学部長などを経て、2022年4月学長に就任。在学中より段ボールを素材に、時代を反映した領域横断的な作風で注目される。国内外で個展・グループ展を多数開催し、デビューから現在に至るまでデザイン、絵画、舞台美術、映像、パブリックアートなど、日本のアートの最前線で活躍を続けている。1982年第3回日本グラフィック展大賞、1983年第30回ADC賞最高賞。1986年シドニー・ビエンナーレ、1995年ヴェネチア・ビエンナーレに出品。1999年度毎日デザイン賞グランプリ受賞等。近年は地域性を生かしたアート活動を展開。各地で一般参加者とワークショップも多く行う。アートプロジェクトTURNの監修を始動時より務める。2017年度から「アート×福祉」をテーマにDiversity on the Arts Projectsを監修。日本サッカー協会社会貢献委員会委員長。岐阜県美術館館長。熊本市現代美術館館長。東京都芸術文化評議会評議員。

TURN
障がいの有無、世代、性、国籍、住環境など、多様な背景習慣を持った人たちが、違いを超えて交流することで新たな表現を生み出す。2015年、東京2020オリンピック・パラリンピックの文化プログラムの一つとして始動。2017年度より東京2020公認文化オリンピアードとして展開し、2021年度は東京 2020 NIPPONフェスティバル共催プログラムとして実施。
https://turn-project.com/

Diversity on the Arts Projects(DOOR)
2017年より東京藝術大学が開催している、社会人と藝大生が一緒に学ぶ履修証明プログラム。「多様な人々が共生できる社会」を支える人材を育成するプロジェクト。
https://door.geidai.ac.jp/