大阪大学名誉教授・関西学院 産業医
杉田 義郎
生活リズムを乱すと脳にある「主時計」と全身にある「末梢時計」の調和が崩れてしまい、「時差ぼけ」が生じます。前回は自分自身だけでなく、同時に人間や動物に共生している多様な腸内細菌の日内リズムを乱してしまい、結果的に肥満や糖尿病を起こしやすい状態になるというお話をしました。
動物の腸に共生している腸内細菌は、宿主である動物の生活リズムに一方的に翻弄されるような“やわ”な存在なのでしょうか。いいえ、決してそのような“やわ”な存在ではなく、非常にしたたかな存在であることが分かってきています。なにしろ地球が46億年前に誕生してから、8億年後の38億年前には最初の生命体である細菌の祖先が誕生したと考えられています。そこから進化を続け、多様な生命体が誕生しています。細菌類は単細胞であり続けている一方、地球上のあらゆるところに存在しているといって過言ではありません。一方、別の進化を遂げた多細胞生物、たとえば動物は、多様な細菌類と共生せずにはストレスに適切に対処できない上に脳の発達にも障害が生じることが明らかになっています。
ちょっと脱線をしてしまいましたので、本筋に戻しましょう。
昨年に発表された研究で腸内細菌叢が体内時計のリズムを調整する影響力をもつことが明らかにされました。研究者はまず、2種類のマウスを用意しました。一つは無菌状態で育てられた、腸内細菌叢をもたない無菌マウスです。もう一方は普通のマウスで腸内細菌叢をもち、無菌マウスとの比較検討するために使われました。
研究者は食餌が腸内細菌叢と体内時計に与える影響をみるためにマウスに低脂肪食あるいは高脂肪食のどちらかを与えました。そうすると、無菌マウスは低脂肪食と高脂肪食のどちらの食餌を摂っても、肝臓および脳の視床下部の時計遺伝子の発現パターンが変化し、24時間の概日リズムが乱れてしまいました。つまり、食餌の種類とは関係なく、腸内細菌叢がないと概日リズムの調節がきちんとできないことが明らかになりました。
前回に紹介したように腸内細菌叢を構成する特定の細菌の数は増えたり、減ったりと日内変動していることを思い出してください。研究者はつぎに普通のマウスに低脂肪食を与えたところ、腸内細菌叢の日内変動も時計遺伝子の発現も乱れは生じることなく、マウスは肥満にはなりませんでした。一方、普通のマウスに高脂肪食を与えますと、時計遺伝子の発現パターンが変化し、概日リズムが乱れました。その結果、このマウスは明期(ネズミにとっては休息して摂食をしない時間帯。ヒトでは夜に当たる時間帯)にえさを食べるようになり、肥満になりました。さらにこの高脂肪食を摂り続けた普通のマウスは、腸内細菌叢が低脂肪食のマウスと大幅に異なったパターンになっていました。ちなみに無菌マウスは高脂肪食を与えても肥満にはなりませんでした。
食餌の質は普通のマウスの腸内細菌叢のバランスを大きく変化させます。さらに腸内細菌類の日内変動パターンを変え、時計遺伝子がコントロールしている概日リズムにまでも影響を与えることが明らかとなりました。ただし、細菌類の日内変動パターンと時計遺伝子発現のリズムがどのような機序で関連するのかは今後の研究課題となっています。
現代生活が陥りやすい不規則な生活リズムになることなく、十分な睡眠をとり、そして健全な腸内細菌叢を育む食事を摂ることを心がけましょう。
日本睡眠学会、日本スポーツ精神医学会(評議員)、日本時間生物学会、日本臨床神経生理学会、日本精神神経学会、日本脂質栄養学会、全国大学メンタルヘルス学会