みんなの体験談 ~東日本大震災、そのとき大学生協は~

このページでは、2011年の東日本大震災のときに、東北地区の大学生協がどのような対応をしたのかを載せています。震災のときに限ったことではなく、日頃から大学生協は組合員のために様々なサービスを展開しています。何か困ったことがあったらぜひ大学生協に頼ってみてください。

岩手大学生協専務理事(当時)峰田 優一さん

 震災翌日の土曜日から停電による暗闇の中、購買中央店の営業を行いました。私は、正直、朝まで購買店を営業すべきかどうか悩んでいました。「今後の食料難が予想される中、パニックがおこらないだろうか」「自分たちの今後の生活の見通しも立たない中、職員が仕事に従事できる状況なのか」。当時の購買店店長から「停電でも、価格の統一と点数制限を行えば営業できそうです。ぜひ営業しましょう。」という申し出がありました。この申し出があったとき、私に迷いがなくなりました。こんな時だからこそ、購買店と食堂の事業継続を行い組合員に貢献することが使命だと決意できた瞬間でした。

 食堂は震災3日後の月曜日から、ガス取引先によるガス設備の安全を確認した上で営業を再開しました。「ガス点検をしてから食堂は営業する」これは阪神大震災時に火災による二次災害の映像が、頭から離れなかったからです。他地域からの物流が途絶え、食材・燃料確保が極めて困難な中、食堂の店長とは毎日食材燃料確保の打ち合わせを行いました。幸いにも、お米は地元の取引先だったため、無洗米でなければ納品できることになり、岩手大・岩手県立大・盛岡大の3つの大学生協のお米を確保することができました。以後、食材・燃料も食堂店長が確保の段取りをすすめ、地元の取引先様の多大なご配慮もあり、営業を継続することができました。

 多くの大学教職員から「大学に来れば、必ず食事が出来るのは大変ありがたかった」という感謝の言葉をいただきました。4月余震による停電時には、ろうそくの灯りの中、営業を続けました。学生たちから「停電の中、食堂のおばちゃんたちがヘッドライトを頭につけて出食していたのを見て、元気づけられた」と感謝されました。

宮城学院大学生協専務理事(当時)佐藤 洋志さん

 店舗内はほぼ全ての商品が棚から落下し、転倒予防していなかった棚がいくつか倒れかかっていました。

 余震が続く中、職員と一緒に緊急避難場所である中庭に移動しました。15時半頃、被害の全容が分からなかったので、職員全員を退勤させ、翌日は出勤可能な職員のみ店舗の復旧作業を行うこととしました。16時頃、避難場所が中庭から大学体育館に移ることになったので、何かお手伝いできることはないかと思い、体育館に向かいました。体育館に事務局長と前大学事務部長がいらっしゃったので、状況を確認すると、大学で準備していた非常食の食数よりも学内に残っている学生の人数が多かったらしく、生協から食料や飲料を運んで欲しいと言われました。

 当日は、調理用の熱源がないようだったので、ペットボトル飲料、カロリーメイトなどの栄養補助食品、パン、おにぎり、サンドイッチや使い捨てカイロ、電池、割り箸などを台車に載せ運びました。

 また、中高生は別な場所に避難していたので、そちらにも食料を運びました。

 その後、トイレ用の水汲みの手伝いなどを行った後、帰宅しました。

 翌日午後、事務局長から全ての食品・飲料を拠出するよう依頼されたので、店長と2人で運び出しを行いました。

 閑散期のため、在庫量は十分ではなかったので心苦しかったのですが、出せるものは全て拠出しました。

 13日に停電が復旧し、教職員が自宅にまだ帰れない学生達に炊き出しを開始しました。食堂の熱源は残念ながら都市ガスだったので、まず米やレトルトカレーなどを提供しました。この他、歯ブラシや保湿パックなども拠出しました。

 14日からは、自家用車のガソリンがなくなりそうだったので、片道約1時間半かけて徒歩で出勤することにしました。15日に、事務局長から運び入れた飲料などがあまりそうなので返却したいと言われたので、体育館から店舗へ戻す作業を開始しました。16日には、インターネット回線が復旧したので、講座受講生に安否確認と講座の延期連絡と兼ねて、メールを送付しました。19日には、食堂にあった冷凍食材を炊き出し用に提供しました。商流が徐々に回復し始めていたので、28日から売店のみ営業再開することにしました。28日に被災学生をアルバイトとして雇って欲しいと依頼があり、計4名雇用しました。

 4月27日に理事会を開催し、拠出した食料等について請求しないこと、生協独自の学生支援策(5月中一部商品を除き5%引き、パソコン・電子辞書無償貸与、パソコン購入半額補助など)を実施することにしました。

宮城大学生協専務理事(当時)井上 養明さん

 大和店では閉店後の業務をしていた職員5名が残っていましたが、家族と連絡が取れず心配していたのですぐ帰宅させました。揺れが収まり少し余裕が出てきて、見た目の被害が少なかったことで大した地震ではなさそうだな…と最初は思っていました。

 やがて電気が止まり、外部の情報が少しずつ入ってきましたが「道路の大渋滞」や「地震により建物被害」にかんすることばかりで、後に知ることになる「大津波による甚大な被害」や「石油供給設備の被害」そして「福島原発の被害とその後の影響」については想像もしていませんでした。

 その日の夜、大学は翌日実施予定の「一般後期試験」及び一週間後に迫った「卒業式」の中止を決定しました。私は情報収集と物資供給対応のために店舗に残っていましたが、卒業式中止の決定を聞き「すぐ現金を用意しよう」と考えました。卒業式の当日に晴れ着を着ていただくはずだった百名以上の女子学生の代金を速やかに返金しなければと思ったからです。

 大学へ卒業証書を受け取りに来る4年生に生協店舗にも寄っていただくよう案内文書を作成し、事務部対応窓口に置かせていただきました。来店されてどの学生もまさか卒業式衣裳の返金なんて考えていなかったでしょうが、あの非常事態にお金が入ることで喜んでいただいたようでした。

 一方、太白店には翌日足を運び被害状況を確認しました。専務が不在だった地震当日、教員理事が中心となり近隣に住む店舗職員も自主的に店舗に駆けつけて、学内に避難していた学生や教職員へ食料品・飲料などの提供対応をしていただきました。

 両店舗に共通してですが、自分の家が被害に遭っているのにも関わらず店舗の営業を支えてくれた店舗職員。そして専務不在の日に陣頭指揮にたって物資供給の判断実行をしてくださった教員理事のみなさんに本当に感謝しております。