Vol.20 自由に語ることは、本当にできているだろうか

全国大学生協連 大築 匡

「自分が燃やした本のうち、どれか読んだことがある?」
 彼は笑った。「それは法律違反だ!」
「そうよ、もちろん」

『華氏451度』レイ・ブラッドベリ著、伊藤典夫訳、早川書房


「それは法律違反だ!」昇火士が笑いながら放つこの言葉は、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』に登場する世界のルールだ。燃やされる本、奪われる言葉。私たちが今、自由に本を手に取れることは、果たしてどれほど貴重なことなのだろうか。現代では、書店の棚に並ぶ本の数は膨大で、ネットを通じて誰もが自由に発言できる。しかし、ほんの数十年、あるいは数百年前の日本では、言論の自由は決して当たり前ではなかった。

この原稿を書いているとき、ちょうどNHKの大河ドラマ「べらぼう」では、松平定信による出版統制とそれに対峙する江戸の出版人、蔦屋重三郎と彼のもとに集ったクリエイターたちの闘いが描かれている。江戸時代の寛政の改革から、近代以降、総力戦体制期におこなわれた徹底した思想統制、戦後の進駐軍による検閲まで、日本の歴史は言論と出版の自由をめぐる戦いの連続だった。ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』は、自由で民主的な戦後日本でさえ進駐軍による徹底した検閲などの思想統制によって作り出されたことを描いている。現代の私たちは、自由に本を読み、書き、表現できる。しかし、本当に自由は保障されているのだろうか。

街の書店が減っている。一般社団法人出版インフラセンターの書店マスタ管理センターが集計しているデータによると、2014年から2024年にかけて総店舗数は14,658 店から10,417 店まで減少したそうだ。書店の店舗数は10年間で約3割減少したことになる。また、一般財団法人出版文化産業振興財団による2024年11月時点の調査では、全国の無書店自治体は493自治体にのぼり、全国のおよそ28%の自治体には書店が存在しないことがわかった。本は誰かに焼かれるまでもなく、そもそも本を手に取る機会自体が着実に失われている。

もちろん、紙の出版物にこだわる必要はない。ネット上には無料のものも含めて星の数ほどのサイトがあふれている。

言葉で何かを表現することが好きで小説を書いてみたい人もいるかもしれない。印刷・製本された本を出版する人は稀かもしれないが、ネットでは意見を自由に表明できるし、作家になりたければさまざまな投稿サイトがあり、その中からプロの作家になる人もいる。WEB小説はテンプレばかりでつまらないと感じる人もいるだろう。確かにそうだろう。しかし膨大なWEB小説の中から日々新たな表現が生まれ、誰かに感動を届けているのもまた事実だろう。中にはネットの言葉に救われた人もいるのかもしれない。

ネットは誰でも発信できる自由の場のはずだが、実際には「炎上」や「批判」の恐怖から、多くの人が自分の言葉を制限してしまっている。表現の自由はあるが、社会的制裁やバッシングを恐れて自己検閲が広がっている。炎上や誹謗中傷は、実質的な言論の自由の制限となっているといえるのではないか。確かに中央で人々を監視しているビッグブラザーはいない。しかし、ネットで言葉を発信しようとするとき、悪意を持ったリトルピープルがあちこちに潜んでいることを私たちは意識せざるを得ないのではないか。

ネット上の情報量は膨大だが、アルゴリズムやSNSの仕組みによって、自分に合った意見ばかりが目に入りやすくなっていないか。多様な考えに触れられず、自分の意見を言いにくい雰囲気ができあがっているのではないか。自由な発言の場があるはずなのに、多くの人は似た意見の中でしか語れないのだとしたら、これも一種の言論の息苦しさ、自由の限界ではないか。

匿名性は自由にものがいえる条件の一つだろう。実際、江戸の文化人たちは、匿名の狂歌で幕府の統制にあらがった。しかし匿名の言論空間には匿名であるがゆえの負の側面もある。匿名の場では自由に発言できる反面、責任感の欠如が、暴言や攻撃的な言動を増幅させてもいる。これが、言葉を発すること自体のハードルを上げ、結果的に自己表現を難しくしているのではないか。匿名性によって、少数の弱者を攻撃する言葉が氾濫してしまうのであれば、それはあまりに悲しい。

レイ・ブラッドベリの描いた世界が現実になることを防ぐには、一人ひとりが言葉の価値を知り、自由に表現することを諦めないことだ。そして同時に、他者の自由、自分と異なる意見の表明の自由も守ることだ。そのためにも、1日にほんの短い時間でもいい。ネットから切り離されて、本の世界にひたってみる。アルゴリズムやSNSの仕組みから逃れてみる。非日常の物語世界に耽溺するのもよいし、哲学書を読み、著者との対話を通じて自らの思考を鍛えるのでもいい。会ったことのない人を想像し、世界のどこかでおこっている悲劇に思いをはせる。こうした経験を失わないようにしていきたい。

さて、20回にわたってつたないエッセイを書かせていただきました。最後までお読みいただきありがとうございました。学生の皆さんが少しでも本を読むきっかけになったらいいなと毎回苦労してネタをひねり出して来ましたが、いかがでしたでしょうか。また機会があればお会いしたく、しばしのお別れです。お元気で。