未来と向き合い平和について考える -大学生協の平和活動特設サイト-

#01 おしどりマコ・ケンさん

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参加者
マコ
吉本興業東京本社所属。
2003年9月コンビ『おしどり』結成。アコーディオンを使った芸を行なう。原発事故後、会見に通い、被災地の取材も重ねる。

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参加者
ケン
吉本興業東京本社所属。
2003年9月コンビ『おしどり』結成。針金を使った芸を行なう。原発事故後、会見に通い、被災地の取材も重ねる。

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参加者
中村
全国大学生協連学生委員長(奈良教育大学出身)教育学部を卒業。2015年NPT再検討会議に大学生協の代表として派遣される。2015年大学生協ボランティアセンター長を務める

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参加者
渡邊
全国大学生協連学生委員(桜美林大学4年)リベラルアーツ学群国際協力専攻。3回生のときにおしどりマコ・ケンさんの講演を聞き刺激を受ける。

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参加者
菊池
全国大学生協連学生委員(大阪教育大学4年)教育学部英語教育専攻。Peace Now!Hiroshima2015実行委員長を務める。

はじめに

今年は戦後70年であることと、大学生協が30年ほど前から掲げる「知り、知らせ、考え、話し合う」といテーマを2015年は強化しようという目標を掲げていることがあり、「未来と向き合い平和について考える~大学生協の戦後70年特別企画~」という特設サイトを設け、多くの人に戦争や平和について考えるきっかけにしてもらおうと活動を行っています。

サイト内では、戦争や平和に関する本のレビューを書いてもらうコンテンツや、著名人の方にインタビューをして、その内容をウェブページに掲載し、それを読んだ人たちが平和について考えるきっかけにしてもらうと考えています。今回は著名人へのインタビューということで、おしどりマコさん、ケンさんにお話をお伺いしたいと思います。

長くなりますよ~

いや、でも、面白いですね~ すごく面白いですね~

学生時代
~「就職のための勉強が、大地震が起こったときにいったい何の役に立つんだろうと思ったんですよ。」~

では最初は軽い話からいきましょう。学生時代、18~22歳くらいの年代のときは、どういうことをされていたのか教えていただけますか。

分かりました。わ~、懐かしい、18のとき。そうですね、全然関係ないような、関係あるような話なのですが、今日、私たち放送大学で学生証取ってきて、今日から学生証がある身分なのですよ。

えっ!?

今日取ってきました!

18、19、20、21、22…。大学生の頃も勉強してたんですけれども、やっぱり勉強は大事だなあと改めて思って。また、「ずっと勉強しないと」とも思って、ちょうど入り直したところだったので、お話を頂いてすごく嬉しいです。

特に学生の頃って、ニュースで見るような世界しか知らなかったり、大人の方も親の見る姿が影響すると思うのですが、今の社会と比べて学生時代だった頃って結構華やかだったんですか。

いや、全然そんなことない。そんな私、バブル世代じゃないですよ。もう、とっくに終わってましたよね。大学の時なんてそんなに考えていなかったので、皆さんすごいなあと思います。私、大学1年の1月に神戸で阪神大震災があったので、そこからすごく社会のことを考えましたね。それで、阪神大震災をきっかけに、大学3年目に辞めたので、大学といえば思い出は地震ぐらいしかありません。

僕たちは大学1年生か入学直前に東日本大震災があったので、そういう意味では同じような経験があります。

私は当時神戸の高校に通っていたのですが、すごい進学校だったのでみんな大学に行くんですけれど、半分くらい浪人で、その人たちは地震の後、センター試験だったんですけど、結構消息不明の友達とかいっぱい出て…。無事にセンターに行った人の中には、家が焼けたから煤だらけの服でセンターを受けに行く人もいました。

その地震の経験が今の記者会見に赴くなどの活動に繋がっているのですか。

それはめちゃめちゃありますね。それで、大学1年で地震があって、高校の同級生がかなり死んだんですよ。地震でも死んだし、その後関係なくも死んだし。だから、「呪われた学年じゃないの」というくらい。それで結局、「地震があろうがなかろうが、人間は死ぬときは死ぬな」と大学2、3年で思ったんです。私、勉強すごい好きだったんで、大学は好きな勉強を好きなだけできるところって夢のように思ってたんですよ。でも、中学って高校入るための勉強で、高校は大学入るための勉強じゃないですか。でも、大学に入ると、社会に出る、就職するための勉強なんだということに気づいて、すごくがっかりしたと思ったことがあって…。結局就職のための勉強が、大地震が起こったときにいったい何の役に立つんだろうと思ったんですよ。点を取るのは得意だったんですけれど、「これはだめだ」と思って、それで地震があったときに「分かった、もう、勉強はいい」と思って、手に職つけようと思って、職人になろうと思ったんですよ。

よく言ってたんですよ。看板描く職人さんとか、そういうのになりたいとかいろいろと。

ご自身の学生の頃と今の学生と比較してどのように感じますか。なかなか比較はできないと思うのですけど、例えば桜美林大学でも講演をされたというお話もありましたが、講演をされたときの学生の様子とか、反応はどうでしたか?

自分が大学生のときは、何か誰かの講演を自主的に聴きに行くということはなかったので、それは素晴らしいなと思いました。東日本大震災の後、動かれている学生の方々とか、本当に自分のことを考えると恥ずかしいくらいすごいなと思いますね。

ほんと、そうやったね。あのときもね、すごい集中して皆さん聞いてくださって、僕やったら考えられへんな。

活動の原動力
~「これは国策漫才だ」~

様々な会見に行かれているという話を伺いました。ネットの記事の中ではお師匠さんが「みんなが聞きたいことを聞くのが芸人なんだ」という言葉がきっかけだったと書かれていました。それ以外に現在の取材や講演活動の原動力になっているものは何ですか。

私たちの大師匠(師匠の師匠)からいろいろ勉強していたときに渡された台本があるんです。それがすごく古くって、第二次世界大戦のときの台本だったんですよ。なんか、すごいネタとかギャグとかは面白いんですけど、でも伝えるメッセージは、「戦争頑張ろう」、「お国のためにみんなで戦おう」というものだったんです。「面白いけれど、これ本当に正しいと思ってやっていたんですか?」「それとも、これやらないと圧力かかるから嫌々やってたんですか?」って聞いたときにその先生が「芸人は国のためにしゃべるな、目の前のお客様の幸せのためにしゃべれ。そこ間違えたらあかん」と言わはったんやね。

入ってすぐのときにそういうお話を聞く機会がありまして。

それ、すごい印象的だったね。2011年の東日本大震災があった当初、すっかりその言葉を忘れてたんですけど、原発事故があって、それに関して舞台で一切言うな、しゃべるなと言われたんです。もう楽屋ではどこの事務所が逃げた、どこのミュージシャンが逃げたという話になってるときに「一切しゃべるな」となったときに、「あ、やばい。これは国策漫才だ」と思ったよね。

そうなんです。それで、そのとき思い出したよね。先生に言われたことを。

そうそう。これ、あの話だと思って。で、そのときに2011年の3月に来てたお客さんはすっごい不安そうだったんですよ。でも、芸人が気にせずにすごい馬鹿なことばかり言って、「大丈夫なんじゃないかな?」というふうに思わしてしまったとしたら、これは国策漫才になると思って、楽屋ではみんな、パパ芸人が子どもたちを非難させて舞台に出ているけど、でも、客席には子どもたちがいて、っていうふうになったときに、なんか違うと思ったよね。

そうだね。みんなやっぱり思ってることを伝えたいというかね。

それが原動力になって今の活動につながっているということですね。

そうです。好きなことをしゃべりたいからその環境をつくるために取材しているという感じだよね。

そうやね、でも、マコちゃん、元々は知りたがりというのがありますね。すごい知りたがり。

そう、めっちゃ知りたがり。

これまで習ってきた「戦争」
~「あ、知ってるつもりだったけど、全然違ったわ」~

今年が戦後70年という節目の年ですが、私たちもそうですし、社会的にも戦争や平和への関心が高まっていると思うのですが、マコさんがこれまでどのように「戦争」というものを習い、捉えてきたのか。また、社会に出てから「戦争」をどのように捉えてきたのかをお聞かせください。

私は、戦争っていうのを全然習ってきませんでした。習ってたつもりなんですけどね。結構学生の頃は本読むのも好きだったんで、戦争のことを勝手に知ってるつもりになってたということが一番残念な感じでしたね。去年初めて沖縄に行って、沖縄の人たちに沖縄戦のことを実際に聞いて、「あ、知ってるつもりだったけど、全然違ったわ」というのとかがたくさんあったので、やっぱり実際に行ったり社会に出てみて、初めて実際に戦争のときどうだったかということをいろいろ知りました。そのときに、大学とかそれまで学んできたことが、意味がないんじゃなくて、一旦学んで、いっぺん社会に出てもういっぺん知って、もう1回学ぶというのが、すごい重要だと思って放送大学に入ったわけです。

原発のことを勉強されるだけでなく、沖縄にも行かれたのでね。

なんかね、不思議と、最初はそうやって東京電力のね、原発のことを取材しはじめたんですけど、やっぱりそれに関連していろいろ広がっていくというか、こっちも知っとかないと、と。

だから誘われるんだよね。「こっち来ませんか?」って。

そういうふうに広がっていくんですね。

戦争と原発の風化、現地に赴くということ
~「本当に今ギリギリだと思いますね。最後だよね、70年って。」~

個人的な質問になってしまうのですが、今、原発事故が起きて何年か経ち、なにか記者会見の会場とか、社会の取り上げられ方って、変わってきたなあという実感はありますか。

ああ、変わってきました。というか、何でしょう、全然もう、終わったことになってるんじゃないですかね。なんとなく。それは思います。取材している方々も、大手の記者さんとかは割と入れ替わるので、もう今すごくビギナーの方も来られているので、多分、本当に2011年から追ってないと、本当に大変だと思うんですよ。ぱっと入社して、じゃ、原発事故の取材してって言われてもなんかよく分からないってなるので、もうそれは、彼らが悪いんでもないし、それは記事の書きようもないと思うので、残念な話です。

きっと、戦争もそういうものなのですね。ずっと経験している方が高齢になってきて風化していくぎりぎりのところですよね。

そう、70年ってそうだと思いますよ。本当にそうだと思います。

沖縄から帰ってきたときに、今のうちにお話をしてくださる方の声を聞きにいこうと行ったものね。じゃないともう…。

そうそう、沖縄に住んでいた、地元の小学校の先生とか中学校の先生が、自分たちで証言を集めて自費出版しているんです。でも出している方々が、今亡くなりつつあって・・・。まだご遺族が生きておられるから連絡取ったりしてるんでけれども、本当に今ギリギリだと思いますね。最後だよね、70年って。

我々も〝最後の世代〟だというふうにずっと呼ばれています。高校、中学のときくらいからずっと「君たちは直接お話が聞ける最後の世代だよ」と教わってきているので、そういう危機感は結構ありますね。 沖縄に行った関連で一つお聞きしたいのは、最近の大学生って全然本を読んでなくて、大学生協で50年間ぐらい、ずっと「学生生活実態調査」を行っているのですが、そのデータによると、今、大学生の40%ぐらいが読書時間0分だそうです。

やばいって。

ほんとですか? 僕も0分だったんですよ。マコちゃんと結婚してから読むようになりました。結婚してから初めて1冊読みました。

学生はもう全然、本も読まなくて知らないことも多く、もし沖縄に行ったとしても、初めて見るものすべてが新鮮だと思うのですが、マコさんはいろいろ勉強されてから沖縄に行って、それでも「知ってたつもりだった」っていうふうに今おっしゃいました。それは具体的にどういうことを知ったときに思ったのですか。

戦争の『証言集』を地元の方々が作っているとお聞きし、日本軍が沖縄の人たちにいかに酷いことをしたかを知ったときですね。集団自決って知っていたつもりだったんですけれど、本当に具体的に、どこそこの誰がこういう状況で殺されたっていう証言集があったんですね。例えば、日本兵が夜、民家の豚を盗んで、それをとがめた村民が殺された。日本軍が悪いだけじゃんみたいな事例がいっぱいあるんですよ。他にも、あまりにも米軍機が沖縄の上を飛んでいて、「日本の高射砲が性能がいい、100%打ち落とす」と言っていたので、村民が「何%ぐらい今、打ち落としているんですか?」って質問した人が殺されたとか、ただただ理不尽な話でした。アメリカ軍に見つかるから集団自決しなさいとか、そういう話じゃなくて、ものすごい機嫌悪いだけで殺されてるんじゃないかみたいな事例が証言集として残っていたの。だから、本州で本を読んだレベルでは、そんな理不尽だったのかというのが全然知らなかったので。あと、びっくりしたのが、本土にも空襲があったじゃないですか。その日本の本土に落ちたすべての焼夷弾の量より、沖縄本島に落ちた焼夷弾の数の方が多いと知って、面積があんなに違うのにそんなに落ちたのか、というのも知らなかったし、それはびっくりしました。

僕たちも若い世代なので、人ごとのつもりで言うわけじゃないですけれど、やっぱり勉強した上で行って、さらに知るという、それがすごく大事だなということを、今すごく思いました。

ドイツの学生
~「日本は選挙権を持ってから支持する政党を考えるんですか?それじゃ、遅くないですか?」~

よく考えたら、私一番真面目だったのは中学生のときで、中学生のときにすごく気に入らない校則があったんですよ。それについて、ぶわ~っとアンケート取って、模造紙に『校長に問う』って書いて、朝早く5時ぐらいに行って公開質問状をばーっと貼って、家に帰って、というのを何回か繰り返してたんです。それで校則いくつかなくしたんです。「これで校則が変わらなければ、メディアに連絡して」、と一人で考えたりもしたんですけれど。だから、意外と中学のときが真面目で、高校・大学は全然考えていなかった。それはすごく悔しいっていうより、残念ですね。すごい残念。
ドイツの国際会議に去年は研究者として、今年はジャーナリストとしていろいろ発表してきたんです。国際会議が終わった後、ドイツの中学校・高校・大学で原発事故の話をしてくれって回らされたんですよ。こんな講演、嫌だろうな、地元の人たちって思ったんですけれども、ドイツの高校生とか大学生とかはみんなめっちゃめっちゃ原発事故のこと興味深くて。

手がすごく上がる、上がる。

「次の学校に行かないといけないから」と言っても「まだ質問がある」って囲まれるんですよ。

で、これ、本当にこんな感じで…。

へえ、若い人ばっかり。

そう、高校生とか。

もう、立ち見なんですよね。先生もすごく質問してくるんですよ。

去年は時期が時期だったので、高校生が日本人が来たら、聞きたいことがあったんだよ。特定秘密保護法のこととか、って、すっごいいろんなこと聞いてきて。そのとき、すごく恥ずかしかったんですよ。自分の高校生とか大学生のときのこと思い出して。で、高校生に囲まれたときに、「なぜみんなこんな政治のこととか興味あるの?」と聞いたら、「えっ、興味ないんですか?」って言われて。それで、彼らに冗談で「ひょっとして、こんなに政治のことに詳しかったら、支持してる政党とかあるんじゃないの?」と聞いたら、みんな真顔で「僕は緑の党」「社民党です」「僕は政党、左です」とか。〝ザ・左翼〟みたいなレフトという党があって、でもみんな支持政党があったんですよ、中学生でも高校生でも。そのときに、「日本は中学高校で支持している政党を持っている学生なんか、いないと思うよ。私自身、なかった」って言ったら、真顔で「じゃあ、日本は選挙権を持ってから支持する政党を考えるんですか?それじゃ、遅くないですか?」って聞かれて。

うわ~っ。

ですよね。「ほんと、しょうもない質問しました」みたいになって恥ずかしくなった。それで、「何のために勉強してるの?」って聞いたら、一人は「第三次世界大戦が自分が生きているときに起こらないとは思えないので、そのために歴史とか政治とかいろんな学問を学んでいる」という感じで、何のために勉強しているかというのがみんなすごくあったの。だから、自分が学生のときというのをすごく突きつけられて、「こりゃ、だめだ」と思っちゃったよね。

圧倒されたね。

今の若い人に伝えたいこと
~「誰よりも振り切れて、とにかく知りたがりになること」~

今の若い人、特に大学生、社会に出る前の人っていう、その人たちにどういう経験とか視点を養ってほしいというのがあったらお聞かせください。

私は生協の「知り、知らせ、考え、話し合う」っていうのは、ものすごく今、一番必要なことだと思っていて、その「知る」っていうことが、私は原発事故まで、ほんと最近まで、自分が知るという体制じゃなかったんですよね。情報は誰かが勝手にベストなものを私に教えてくれるって思っていたんです。でも、教えてくれないじゃない、って。だから、自分で知ることで、それをやっぱり発信して、考えて話し合うということは、多分ものすごく技術がいることだと思うのですが、これからすごく必要なことだと思っています。多分どの学問でもどの勉強でも、実はすごく社会とか世の中のことにつながってると、今、やっと思います。本当に振り切れて何かをするというのが一番私は重要だと思っています。誰よりも振り切れて、とにかく知りたがりになることというのが、一番大学のときにできることだと思っています。

今からもできるよ。

うん。もちろん、やるよ。

本日は貴重なお時間をありがとうございました。

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