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#04 佐藤 曉 さん

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参加者
佐藤 曉
(岡山大学学術研究院教育学域)

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参加者
石原 由加里
(Peace Now! Hiroshima 2021 実行委員/岡山大学教育学部)

インタビュー日:2021年8月18日

自己紹介

私は岡山大学教育学部特別支援教育コース2回生の石原由加里です。岡山大学生協学生委員会に所属していて、Peace Now! Hiroshimaの実行委員もさせていただいています。
よろしくお願いします。

障がい児教育の佐藤です。よろしくお願いします。

障害を抱えている方々への「実践」

それでは早速質問に入ります。佐藤先生が現在研究されているテーマとその内容、また実際に行ってきた活動について教えてください。

はい。私の場合は「実践」つまり実際に現場に出て行って仕事をすることがメインです。専門の言葉で言うと心理臨床の分野です。対象となるのは障害のある子どもとその家族が中心で、今時だと不登校だとか近年問題視されているゲーム依存症、そのような問題に対して解決するための「実践」をしています。障害のある子どもとその家族の年齢層はとても幅広く、彼らの自宅に出向いて支援をすることもしばしばあります。研究と言えばこれらの「実践」をまとめる仕事です。そのまとめる作業をするときに学術的な考え方が必要となるため、そのベースとして哲学、その中でもフランスの現代思想を勉強して 1 つの枠組みとして拠り所にし、整理しています。

昨年は肢体不自由者心理・生理・病理学概論の講義でいろいろお話いただいて…

そうですね。昨年の講義で哲学のお話もしましたが、それらをベースとしながらいろいろなクライエント(相談者)さんを対象として「実践」をしていると考えてもらえたらと思います。

幼少期の経験が今に

ありがとうございます。それではご自身が教鞭をとり、その研究を行うようになったきっかけについて教えてください。

実は明確にきっかけがあったわけではないんです。ただ、今になって思い起こすと幼い頃の経験が今の仕事につながっていると推測しています。どんなことがあったかというと…私は1959年埼玉県生まれですが、この頃は戦争が終わって10年と少し経った頃ですよね。だからまだ戦争の跡が残っていた時代なんですね。母親に手をつながれながら東京の池袋駅の古くて長い地下道を通って買い物に行っていましたが、そこには戦争で手足に傷を負ってしまった傷痍軍人の方がいたんですね。脚を失って手しか使うことのできない人は座ってアコーディオンを弾き、当時の言葉で言う「物乞い」をしていたわけです。アコーディオンを弾きながら目の前に缶詰の缶を置いて、通る人はそこにお金を入れていきます。そんな傷痍軍人の方々が地下道に多いときだと20人くらい並んでいたんです。その記憶は小学生に上がるかくらいの頃でちょうど東京オリンピックの始まる前後だったと思うのですが、戦争が終わって20年くらい経つときでもまだそのような方々がいました。その姿が子どもの頃目に焼き付いていたんですね。私は誰かと誰かにお金を入れるぐらいで、全員にお金を入れることはできませんでした。そして、もらえる人ともらえない人がいることに対して子どもながらにどうするんだろうと思っていました。同じ「人」でありながらこれでいいのだろうかと幼いながらに感じていたんですね。
もう1つあるのですが、自分の住んでいる地域に知的障害だと思われる方がいたんですね。その方は家に草取りに来て帰りにビールを1本もらって帰る、そんな生活をしていました。お風呂もない、防空壕の跡だと思われる穴倉みたいな場所で、近くの蕎麦屋さんで残ったものをもらって食べることで暮らしていたんです。そんな方が家に来ていたので子どもながらに怖かったのですが、自分の住んでいる地域で普通に、いるのが当たり前のこととして生活していました。誰にも差別されることなく、ごく自然に街の中にいて普通に暮らしていたんです。昔ながらの究極のインクルージョンですね。
はっきりとは言えませんが、このような経験が「困っている人を放っておいてはいけない」、そんな考え方につながって、今の仕事に影響を及ぼしていることは間違いないと思います。

大学生と考えたい社会問題・課題

そうだったんですね!ありがとうございます。今年開催される Peace Now!では、現在の社会と結びつけて私たちの生活の中にある「平和」や「課題」について考えるワークがあります。そこで現代の社会における大学生と一緒に考えたい社会問題・課題について教えていただけたらと思います。

そうですね。挙げるとキリがないのですが、困っている人を放っておいてはいけない、同じ人間に生まれて扱いが違う「不公平」は駄目だという考え方がずっとベースにあります。
公平感を失わせ、人々が苦しい思いをしてしまった「戦争」は絶対に忘れないでほしいと思っています。日本と世界の両方に目を向けて考えたとき、まずは日本が直接関係した戦争についてですが、やはり太平洋戦争のことは絶対に忘れてはいけないと思います。広島、長崎のこともそうですが、どんどん風化しているので日本特有の戦争体験を誰もがきちんと認識しないといけないと思います。そして日本が平和の実現に向けて果たすべき役割は何なのかということをもっと考えなければなりません。日本だからできる平和への貢献があるはずです。私自身、どのようにしたら若い人に伝承できるのか、何とかしないといけないと思っています。幸いなことに最近の小説では戦争について取り上げているものもあります。宇佐美まことさんの「羊は安らかに草を食み」は、サスペンスもののようですが読んでみると満州から引き上げてきたときの様子が克明に描かれています。こんなことが日本で本当にあったんだと事実をきちんと知ることが大切です。日本としてできることがあるのにできていない、だからみなさんの世代ではきちんと取り組んでほしいという思いがあります。世界に視野を向けると、戦争、平和の問題はもちろんですが貧困問題について考えなければならないと思っています。世界の経済格差の問題ですね。私たちが知らないところで貧困が広がっているということはニュースで聞きますが、その時に聞いて大変だと思ってもすぐに忘れてしまいますよね。忘れるのではなく、自分事として捉えて具体的に何ができるかを本気で考えていかなければならないと思っています。例えば、みなさんが日本でおいしいと言って食べているチョコレートはどのようにして作られているか考えたことはありますか。
原料を生産している発展途上国では、子どもたちは学校に行くこともできずに労働を強いられ、その時に彼らは自分たちが収穫しているものが先進国でおいしいチョコレートに加工されて食べられていることを知らないという現実があります。何が何だかわからないまま働かされ、先進国の一部が享受しているというわけです。これはあり得ないことですよね。
ですが先進国が途上国の労働力を搾取して自分たちだけいい思いをしている、このことを多くの人が知らなかったりします。公平な貿易を意味する「フェアトレード」に焦点を当てて考えると、消費をする側にも責任があり、私たちはもう少し考えて消費しないといけないと思っています。これらに関心を向けてもらって世界の貧困問題を何らかの形で少しずつ改善していかなければなりません。

そんな社会問題・課題を別の角度から

確かにそうですね。それでは、今おっしゃった貧困問題などの社会問題・課題に対してご自身の研究分野の視点でどのように解決していくべきかについて少しお話しいただけたらと思います。

そうですね。自分の研究と平和、貧困問題が直接かかわっているかというと別のものではないのですが、難しいですね。先程とは少し異なる視点でお話しすると、自分が仕事をしているモチベーション、コンセプトとなるものは2つあります。1つは「子どもを粗末にするな」ということです。もう1つは「子どもを育てる母ちゃんを泣かすな」ということです。これは象徴的な表現ですが、つまり親や養育者を泣かすなということです。1つ目の「子どもを粗末にするな」ということですが、気付かないところで子どもが粗末に扱われていることがあります。特に障害のある子どもですね。石原さんも薄々感じているとは思いますが、発達障害のある子どもは学校で必ずしも大切にされているわけではありませんし…。

そうですね…。

特別支援学級についても、もう少し何とかならないかと思うことはたくさんあるんです。2つ目の「母ちゃんを泣かすな」ということについてですが、例えば小さな子どもが障害をもっていることが原因で保育園への入園を断られることがあります。普通は子どもを保育園に入れるのにも学校を選ぶのにも苦労しませんよね。障害があるだけでうちの学校では預かれないと言われてしまい、親が涙を流しているんです。こんなこともあって「母ちゃんを泣かすな」と常々思っています。結局このモチベーションを現在の仕事から日本、世界と広げていくと、子どもだけではなく粗末にされている人がたくさんいることに気付くんですね。このような人たちを何とかしたくてもどうにもならない、家族が悲しい思いをしている、こんなことはあってはならないと思っています。これまでお話しした2つのことに根を同じにしている問題として、貧困問題などの世界の問題があります。これら2つをもっと広くみなさんに知ってもらい、人々が幸せになってくれたらと思っています。

大学生へ伝えたいこと

ありがとうございます。それでは最後に現在の大学生に向けたメッセージをお願いします。

はい。少し広く言うと、「本当の意味でのエリートになってください」というメッセージです。本当の意味でのエリートというのは地位や権力、お金があるという意味ではなく、自分のためではなく人が幸せになっていくための仕事をするということです。このことに関連して、私は大学生のみなさんに対して自分がやりたいことを見つけなきゃという一種の呪縛があるのではないかと思っています。自分がやりたいことを見つけられないことはよくないことだと考えがちですが、そのようなものに縛られてしまうから自分中心の考え方になってしまいます。むしろ自分のやりたいことに縛られず、人々の求めに応答すること、人が何を求めているのか、期待しているのかということに敏感になってほしいと思っています。自分のやりたいことを見つけようと一生懸命になるよりも、人が求めることに敏感になる方が呪縛から解放されて自分らしい生き方ができるはずです。
そして最後に…みなさんもっと選挙に行きましょう!

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