有識者インタビュー #06 特定非営利活動法人ANT-Hiroshima さん

有識者インタビュー 
#06 特定非営利活動法人ANT-Hiroshima さん

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参加者
渡部 久仁子
(特定非営利活動法人ANT-Hiroshimaスタッフ)

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参加者
吉本 絢
(広島修道大学4回生/特定非営利活動法人ANT-Hiroshimaインターン生)

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参加者
三宅 崚太郎
(福山市立大学2回生/Peace Now! Hiroshima2021 実行委員)

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参加者
瀧田 那月
(愛媛大学2回生/Peace Now! Hiroshima2021 実行委員)

※インタビュー実施時(2021年)の情報

ANT-Hiroshimaについて

ANT-Hiroshimaについて教えてください。

ANT-Hiroshimaは32年前に広島で生まれました。ヒロシマの経験と思いを生かした「世界の平和づくり」を目標に「考動」「協働」する草の根のNGOです。活動内容は、国際平和事業・国際協力事業・教育事業の主に3つあります。
国際平和事業では、サダコの絵本の多言語化とその活用、被爆者の記録制作、核廃絶のための様々な協働などがあります。国際協力事業では、シャムシャトウ・アフガン難民キャンプやサダコプライマリースクール支援などがあり、教育事業では、動画や平和教育用の教材づくりとその多言語化、ANT被爆体験継承塾など、小さいながらも色々こつこつやっています。
自分達の力は有限で小さいかもしれないけど、それでも行動する、続ける。その積み重ねがANTの活動だと思います。
ANTのホームページをみてもらうとアリの絵があると思います。「一人一人の力はアリのように小さくても、世界の人々と信頼の絆で結んで、一緒に協働することで、大きな平和を実現できると信じて、日々広島を拠点に活動する」ということがANTのコンセプトであり、モットーなんです。
最近、ANTボランティアのイギリス人の子に「私たちは微力だけど無力ではない。」という言葉…

平和大使の言葉ですかね?

そうです。核兵器禁止条約発効記念動画の編集をしていて、(ANTボランティアのイギリス人の子に)長崎平和大使の発言を英訳してもらったんですよ。「ANTのコンセプトと一緒だね。」って笑顔で言ってくれたんです。色んな人が大事なことを言うときに、その同じ大切だと思っていることが似ているとか、重なるということは、私はそれが真実だからだと思っています。
「一人一人の力は小さいかもしれないけれど、みんなでやったら変えられるよ。」とか、「よりよくできるよ。」とか信じていて、諦め悪く、出来うることをする、続ける人でありたいと思っています。

絢ちゃん(吉本)も活動しててそう思わない?

一人一人を大事にするというのは、ANTでインターンやっていてすごく思うことで、平和活動っていうとどうしても広島や長崎のことを伝えていくみたいなものだとインターンの初めはそう思っていたんですけど、ANTでお客さん一人一人と話し、一人一人の名前や顔を覚えたり、エピソードを聞くなかで「誰一人取り残さない。」というSDGsの目標と一致していると感じて。(ANTは)SDGsが始まる前からそんな活動をずっとやってきていて、「こういう活動がやがて目標に繋がっていくんだろうな。」って思うようになりました。

嬉しい。ANTってスタッフとか、理事とか、ボランティアとか、インターンとか、そういう立場は全然関係なく、輪になってみんな一緒に食事や話をします。そこでは誰の意見も反映されるというか、みんなの声を聴くんです。顔を見て話すし、お互いのことを肩書ではなく、ファーストネームで呼び合っていて。
インターン希望者には、まず志望理由を聞き、どんなことを一緒にやるのかを結構考えます。どんなことも「やりたい」で動いてほしいから、何かやる前に本人の意志を聞きます。

個性がすごく大事で、心の奥にあるような想いを大事にされているのが伝わってきますし、(ANTが)貫いてこられたことなんですね。

誰一人として同じ個ではないということ。そして経験してきたものが多様で、それぞれが違った感性、経験から関わるからよりよいものに出来ると思うんですよ。プロジェクトもどんなメンバーでやるかで表現が変わってくるし、みんなが関わってくれることでよくなると思っています。多様な人々と関わるなかで、「いいな」と思った言葉や行い、考え方を自分のものにして互いに成長もできる。みんなの「関わり」がANTの活動にも活きていると思っています。だから絢ちゃん(吉本)もバリバリ大活躍ですよ!

一人一人が違った個性として、違う風となって入ってくるから大事なんですね。

そうです。だから誰も欠かすことはできない大事な存在です。

私たちが活動に関わるようになったきっかけについて

ANTの被爆者の記録製作がご縁で、原子爆弾の爆心地から一番近い小学校である本川小学校で被爆された居森清子さんの車いすを押すお手伝いをすることになりました。それがご縁で居森さんには孫のように仲良くしていただき、横浜にあったご自宅に年に3、4回くらい遊びに行かせていただく仲になって、最終的には清子さんの看取りまでしました。私はその死を受け入れるのに時間がかかりましたが、彼女の死の意味を考える中で何かをしたいと思ったんですよ。それはヒロシマのことを伝えるということだけではなくて、清子さんの経験を通じて、「こうあればよかった」を実現するために働く場所、考えを深める機会が与えられるところがどこかと周りを見渡したら、とても身近な場所にあったみたいな感じです。

そういった身近な人たちの死から感じた義務感のようなものが今の活動に繋がっているということですか?

義務感というよりもっとプライベートな理由かもしれないです。彼女のことが忘れられないからこそ、彼女の経験を、これからと今に生きる私たちに活かしたいと思っているのかもしれません。
もう一つ大事な出会いがあります。「はだしのゲン」を描いた漫画家の中沢啓治さんです。彼にインタビューをし、「はだしのゲンが見たヒロシマ」というドキュメンタリー映画の製作に関わりました。ちょうど2011年3月11日直後が編集締切だったので、10年前(2021年8月に本インタビュー取材)ですね。
自身の被爆体験を基に漫画を通して戦争や原爆のむごさと人間を表現された方だと思いますが、被爆証言者としても、微に入り細に入り記憶され、それをビジュアル的に語れる方でもありました。撮影後もご縁が続いていろんなことを聞きました。大好きな方です。

映画を観る度に、中沢さんを撮り切れてなかったのではないかと不安になるんです。人に伝えることで初めて、人は自分が知らないということに気づくのではないかと思います。そこから「なぜそう思うのか」、「足りないと思う理由」を考え、言葉にするために色々な勉強をし始めるようになりました。
中沢さんの半生や「ヒロシマ」とは何かを知りたいと思って得た知識や言葉、経験が積もっていくと、私自身が変わってきて、こういう活動に導かれていったように感じています。

居森さんと中沢さんのお二人と過ごした経験が今の活動のきっかけとなっているのですね。
吉本さんがNGO団体であるANTにインターン生として活動するきっかけは何でしたか?

私は出身が山口県で、いわゆる平和教育っていうのを受けたのが小学校の5年生の時だったんです。興味がなかったから何をしたのかっていう記憶が濃く残ってなくて、その時は折り鶴を折って、なんで折り鶴を折るのかというのも教えられたかどうか覚えていないくらいで、とりあえず折ってそれを原爆ドームの方に持っていき、飾って、資料館見て帰って、そして感想書いて終わりみたいなことが、私が受けた平和教育でした。当時は原爆ドームみて資料館行って怖いという印象が残り、そこで終わっちゃったのでその後に何かする機会というのが全然ありませんでした。広島の大学に入り、少しずつ平和というものに触れる機会が増えてたけど、特に自分で何か行動を起こすことは思いつかなかったし、腰が上がりませんでした。大学2年生の時に留学に行って、出身を話すときに「山口ってどこ?」と聞かれるので「広島の隣。」と答えました。そしたら「教科書で見たことあるよ、原爆落ちたところよね。」と言われ、「日本人としてあれってどう思ってるの?」とか「第二次世界大戦中に日本が他国にしたこととか、今の人はどう思ってるの?」と聞かれ、当時何も知らない状態で行ったため、何も答えられず、適当にごまかして終わったんです。それがすごい悔しくて、留学から帰って、ぼちぼちちゃんと歴史の勉強をしよう、と腰を上げて。インスタとかでも色々と発信しているアカウントがあるじゃないですか?そういうのを見る中でANTを見つけました。インスタでやっていることを色々見たりしてて、「こういう風に平和活動やってる人いるんだな。」とか「広島はやっぱりこういうこと盛んなんだなぁ。」とか思っていたところで、今年の2月ぐらい(2021年インタビュー)にサーロー節子さんという、広島で被爆されて、今はカナダで主に活動されていらっしゃる方のドキュメンタリー映画の上映があったんですよ。それを勉強の一環として自分のために観に行こうと思って観に行って、シアター出たところで理事長の渡部朋子さん、理事の久仁子さん(渡部 久仁子)が一緒にいらっしゃるのを見て、インスタでも見ていたこともあって「みたことある人だ。」と思って。一回は下に降りたんですよ。劇場が8階にあるんですけどエレベーターの中で「何か惜しいことをしている気がする。これは何かのチャンスなのかもしれない。」と思ったので、下からもう一度上がってきたら、まだいらっしゃったので声をかけて、「何かしたいんですけど。」みたいなざっくりとしたお願いをしたら、「今度事務所にいらっしゃい。」という風に言われて、そこで今に至る感じです。

めっちゃ覚えてるわ、今でも(笑)。エレベーターの前で!

私も心臓が飛び出そうになりながら、単純に下の階から上がってくるのに疲れたのと緊張とで声が震えまくって。

すごい緊張してた(笑)。でも自分でアクションを起こしたので、すごい!大きな一歩だと思う。

インスタでも発信しているみたいに、いわゆる平和活動というものを、先ほどの長崎平和大使の平和宣言みたいな事だと思っていて、「(平和活動に)私が入れる場所ないな。」と思っていたんです。ただANTのホームページとかインスタとか色々見ていると、ANTに対しての興味というか、ここでなら何かできるかもと思えました。ホームページに翻訳の作業とかも書いてあって、私が大学で英語を勉強しているのもあって、ここでもしかしたら何か関われることがあるかもなって思えたのがきっかけだと思います。後日ANTの事務所に行って、今話したような経緯をお話しさせてもらいました。

最近、特に大学生がよく来てくれるのですが、その大学生たちによると大学の中で真剣に話せる友達が意外にいないそうです。でもANTにくれば大学の垣根を越えてそういう仲間に会えたとか、「これについてどう思う?」みたいな意見も聞ける仲間に会えたって言って下さることが多いです。大学もしくはバイト先と家との往復になりがちだけど、ANTの事務所自体をもう一つの拠点にしてもらって、色々チャレンジしてみるとか、仲間に出会って語り合うとか、いい意味でANTを利用してもらったら私たちは嬉しいです。
絢ちゃん(吉本)もANTに来ていい仲間と出会えたよね~。

私もまだ広島で起こったことや戦争で起こったことに関しての知識量は多くなくて、勉強している段階ですが、ヒロシマの被害だけをみるのではダメなのだと、ANTに関わるようになってから初めて考えるようになりました。今まで歴史のことを疎かにしていて、何があったとか、どういう経緯でとか、どこが関わっていたといったことを今ようやくちゃんと知ろうと考えるようになって、ちょっとずつ分かり始めてきた感じです。
ANTでインターンしてる人達は国際的なテーマを専攻している人が多く、ちゃんと専門的に勉強して、論文読んでて、っていう人の方が知識量はあるので、専攻外の私はインターンの人たちと話すと、知らないことに気づけるので、色んな意味でとても刺激になってます。

私も全く専門的な勉強はしてないけれど、今まで学んできたものはものの見方、考え方として活きていて、知識や経験に意味がないものはないと思っています。絢ちゃん(吉本)だったら英語を勉強していて、伝えるためのスキルがあるからこそ出来ることがたくさんある。どんな勉強してきた人にだって常に学びは必要です。
一人で考えるということも時には大切なことなのでそれ自体は否定しないけど、絢ちゃん(吉本)から学ばせてもらったことは、悶々とした状態でいいから、例えばANTに来てみるとか、絢ちゃん(吉本)みたいに何かアクションを起こしてみると自分も状況も変えられるんだなと。
知識がないとか経験がないとかの「自分が作った垣根」にしてしまっているものは、動くことで超えられる。別に上手に説明できなくてもいいから、動いてみるって大事ですね。
あの日、絢ちゃん(吉本)が何かを求めている感じがひしひしと伝わってきました。絢ちゃんがインターンしてくれて、社会にとってもANTにとってもいいことになってます。一緒に活動できてうれしいです。

学生へ向けて

学生へ向けたアドバイスをください。

結果とか成果とか評価とか気にせず、思ったらやってみるとか、思ったら声をあげてみるとか、それがすごい大事なんじゃないかなって思います。特に若い人はSNSがあって自分の声を上げることができるので、自分が「おかしい。」と思ったら、そのことを声に上げてあげる。友達に共有するとか、オフラインで実際に会えないのであればオンラインでしたりとか、出来ることは何でもやる。誰かを逆に傷つけるようなことはもちろんダメですが、自分が主語で「私はこう思う。こうしたい。」とか、「私はこれについておかしいと思って、でもどうしたらいいかわからない。」とか発信することで、意外と相談にのってくれるのではないか、助けてもらえるのではないかと思います。
みんなの問いかけ、疑問、憤りの声も含めて、それは社会にとって必要なことだったりもすると思うんです。コロナ禍で活動は制限しているかもれしれないけど、心は囚われないでいてほしい。
被爆者の方から教わったことの1つに、「諦めない。」という言葉があります。おかしいと思ったらおかしいと言うし、みんなで出来ることを続けて今があるのですから。届くまで声をあげるということも必要な時があるかもしれません。声のあげ方にも工夫がいる場合もあります。これは経験して磨くしかないかもしれませんね。答えや結果を出そうと焦らないでほしいです。

「コロナだからできなかった。」みたいな声を聞くことあるけど、あんまりコロナに影響されたとは個人的に思ってなくて。その中でも色々できることがあるなと思ったんですよ。探そうと思えばzoomでのイベントもすごくあるし。時には有料のものもあったりするけど、自分で参加する価値がありそうと思ったら参加してみるのもありだと思いますし。この前初めて有料のイベントで参加したのが、HISの「ピーススタディツアー」という、zoomの企画でした。ルワンダのジェノサイドのツアーと、ホロコーストのアウシュビッツ収容所のツアーに参加してみたんです。今現地に行くことはどうしてもできないので、オンラインでもお金払って行ってよかったなとすごく思えました。平和活動ではないかもしれないけど、そこから何か問題について考えるとか、そこで起きたことを学ぶとか、これからの平和って何がどういうことなのかなど、問題提起をしてくれるツアーだったと思います。平和の活動って、いわゆる広島、長崎、沖縄においてだけではない、というのは大学生のみならず色んな人にもっと感じてもらえたらいいなと思いました。

二人にとっての「平和」とは何か

最後に、二人にとっての平和とは何ですか?

平和とはこういうものだという解答的な応え方はしたくないんです。
でも最近、土に触れて、平和ってこういうことかなと考えることがあります。10cmの土をつくるのが100年の営みらしいですけど、繰り返し、繰り返し、色んなものが育って、それが枯れていって、それが肥料になって、土ってできるじゃないですか。山の緑、豊かな森の土もそうですが、多様な生物が生きて、その糞や死体も肥料になったりして、豊かな土というものが作られる。そんな土が、また新たな命を育む。命が命として真っ当に巡り巡っていく姿、その命のハーモニーがバランスのいい状態が、平和っていうものなのかな?今、被爆樹木とも一緒に活動しているので、やっぱり人間だけじゃないと思いますね。
平和を語る時、人間だけの話になりがちじゃないですか?そして、広島のことは、昭和20年8月6日から始まりがちじゃないですか?歴史の流れもふまえて考えたいし、順繰り、順繰りに命が巡る大きな流れの中にあるということも忘れずにいたいですね。

まず前提として、平和の定義ってなんでも人それぞれだなって、これが正解とかいうのはないなって、最近そういう考えになれたんです。最近思うのは、好きなことができることだなと思っていて。この前「平和について、(平和って)なんだと思う?」っていうのを友達と話す機会を作ったんですよ。その時に、ほんと色々あったんですけど、音楽とか言う人もおれば、その中ですごい特徴的だったのがヨガって言っている子がいて、ヨガのポーズ教えてくれたんですよ。その好きなことができること自体が平和なんじゃないかなと思うようになって。こういう活動に関わらせてもらうようになってから、天気のいい青い空見たら、8月6日だけじゃなくて、昔もこういう日常はあったんだろうし、それがいきなりなくなるとか、自分のやりたいことができなくなるということを考えると、好きなことができるって、当たり前のようでそうじゃないことだし、これも平和なのかなって思うようになりました。

すごい素敵、いい意見だと思ったよ。使おう、今度から!

「ヒロシマ、顔」について

私が今、あるプロジェクトに関わらせてもらっていて、「ヒロシマ、顔」というものです。このプロジェクトはANTがやっている冊子を作るプロジェクトなんですけど、被爆者の方たちの被爆の体験だけじゃなくて、人生でどういうことがあったとか、どういう日常があったとかなど全部だし、被爆者の方の今の姿を残しておく、言葉を残しておくなど、形にするという目的でやっているものです。その製作に関わらせていただいているところです。田中稔子さんという広島の方で、七宝焼きという伝統工芸の作家、アーティストさんであると同時に、被爆も経験されている方。田中さんの聞き取りと、冊子にする作業に関わらせてもらうというのをやっています。

最後に

ANTにも広島にもぜひ来てください。いつでもお待ちしております。

ありがとうございました。

ありがとうございました。

ありがとうございました。待っとるけんね。

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