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#01 宍道年弘さん・高嶋敏展さん

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参加者
宍道 年弘
(荒神谷博物館 企画員)

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参加者
高嶋 敏展
(どこでもミュージアム研究所 代表/写真家)

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司会
大平 鈴音
(Peace Now! Hiroshima2020実行委員/島根大学法文学部)

座談会概要

島根県にある荒神谷博物館では、戦後75年ということで8月3日~8月31日に『埋もれた戦争遺跡 旧山陰海軍航空隊「大社基地」をめぐって』という資料展示が行われました。

広島市出身で平和学習は幾度となく受けてきたPeace Now! Hiroshima2020実行委員の大平さんは、島根大学に進学後、戦争について学んでいく中で、広島以外の場所にある戦争の傷跡を深く知りました。今回は、そんな大平さんが、この展示を担当された博物館企画員の宍道さんと、この展示に写真を提供された写真家の高嶋さんに平和活動についてお話を伺いました。

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自己紹介

自己紹介をお願いします。

私は、荒神谷博物館の企画員を勤めていまして、主に博物館のホールの展示替えを毎月行っています。今回は8月ということで、戦後75年に合わせて戦争遺跡についての展示を始めました。期間は1か月で、この展示を通して、私達の住んでいるこの斐川町(島根県出雲市)にも戦争遺跡がたくさん現実に残っていますが、日々この風景を見ていても多くの人が忘れかけているので、住んでいるこの斐川町も戦場であったことを知っていただきたいという想いで今回この展示をしております。

高嶋敏展といいます。写真家で、アートプランナーをしています。自分の作品のシリーズがいくつかあり、その中の1つのテーマが「戦争」です。10年くらい前から始めているシリーズを5年前の戦後70周年で大きく発表し、そこから毎年何らかの形で写真展をさせてもらっています。今回は、宍道さんの方からお声がけを頂きまして、一緒にさせていただけることになりました。

(事前に聞いていた)「普通の人が巻き込まれていく戦争」というテーマですか?

はい。ただ、明確にそのようなテーマがあったわけではなく、向き合っていくうちにそのような想いになっていきました。

なるほど。

活動への想い ~「知る」ことから膨らんでいく~

今回このような活動をされているのは、やはり戦後75周年というのが大きいと思うのですが、どのような想いでこのような活動をされていますか?

斐川町には戦争遺跡がたくさんあります。自分も斐川町に住んで40年近くになりますが、住んでいる人はあまり気に留めずに日々滑走路を見ているんですよね。私もそうだったんですけどね。7,8年くらい前に出雲市に仕事として通うようになってから、旧出雲市には斐川町ほど戦争遺跡が見当たらないなと思い、何で斐川町だけあるのかなと疑問が湧きました。色々な人に聞くと出雲の人はあまり戦争遺跡に気を留めている人が少ないと言っていました。これはやはり斐川町の人でないと戦争遺跡を伝えていくことができないんだろうなと思いまして、斐川町に住んでいる者の使命であり、宿命であると思って、今回このようなテーマを取り上げました。今後も斐川町の人でないと伝えていけない戦時の悲惨さ伝えていきたいなと思います。

私自身は広島出身で、平和学習は何度もしてきましたが、島根で戦争の被害があったというのは大学で学んでから初めて知ったので、まずは「知る」ということが大切だと私も感じていて、今のお話はとても心に刺さりました。

私も小学生のころ、平和記念資料館に行きましたが、すごくショックでそれが今も残っています。大人になってから韓国の独立記念館にも行きました。これはまさに日本とアメリカの裏返しで、韓国と日本との戦時中のことが展示してあり、日本人がどれだけ朝鮮半島に悪いことをしたのかということを学びました。日本とアメリカの太平洋戦争の悲惨さを振り返るのに、どちらの訪問でもショックを受けました。このようなことが起こらないような世の中にしていかないといけないなと思っております。

高嶋さんはいつもシャッターを切られている時、どういった想いで撮影をされていますか?

私は他の写真家の方より資料を読み込んで行くようにしています。事実に対して今見えるもの・当時関わった人たちの気持ちを考えますね。当時どんな想いだったんだろうとか、ここがどんな場所だったんだろうとか、そういう場所の背景を考えながら向き合うようにしています。

活動の中で印象に残っている事 ~「こいつは逃げられないな」~

お二方はこういった活動をしてきて、嬉しかったことや印象に残っていることはありますか?

まず、この展示を見てくれる方の何人かは記帳コーナーで感想を書いていただくのですが、非常に熱く感想を書いて下さる方が多いです。それだけ、太平洋戦争については関心を持っておられる人が多い、生存されている方もおられるわけですから、そういう方もそうですし、戦争を体験していない人も太平洋戦争についての関心を持っておられる方が多いから、感想も熱く書かれている方が多いのだと思います。
また、この展示を通して、今回特に高嶋さんをはじめとして、戦争遺跡を研究している色々な方とお会いすることができて、地元の戦争を体験した人などの話を通して、よりその時代のことを知りたくなりました。今度は自分で調査をして、その成果をいずれ発表することができたらと思っています。

高嶋さんは?

電話がかかってくるんですよ。「実際に僕が撮影した写真の場所にいました」とか。実際、島根の戦争は犠牲者の数自体は少なかったので、見たこと聞いたことを誰に話すこともできなかった人たちが探り探って僕に話しておきたいと連絡をくださるのは嬉しいですよね。そういった気持ちを引き継いで、語り部というか、この人の言葉は、僕が聞いたおかげで僕が生きている間は残るんだと思うと、とても光栄なことであり嬉しいです。中には、メモを取ってもらっても困る、写真を撮ってもらっても困る、聞いたことを話してもらっても困るけど、お前には話しておくということもありました。───このときは困りましたね(笑)

写真を見られた方からの反応がたくさん来たということですね。

反応多いですね、島根県内でのこういう活動は極めて少ないので。それは非常に残念なことですが。

私も今週くらいにニュースでこちらの展示を見て、こういうことをされているんだなと興味を持ちました。

ありがとうございます。

高嶋さんが出演されていたこの間のテレビを見たんですよね。

出とくものですね(笑)
戦争は本来苦手なんですよ。ズルくて意気地なしな性格なので、こういったことを声高に言うのは非常にはばかられるというか。人間は死んだときに良いことと悪いことが同じ数になると言うから。色々な悪いことをした分のつじつまを今合わせているんです。

(笑)

学生時代に読んだ浅田彰さんの『逃走論』という本に、「逃げろ」と書いてあったんです。逃げて、逃げて、逃げて、逃げ切れなかったことだけが重要な問題だから向き合いなさいと書いてあったんです。僕は戦争に先回り先回りされて、ある時期からこいつは逃げ切れないかなと思って向き合っています。かっこいい理由は何にもないんですよ。平和を訴えようとか戦争に反対しようとか熱い思いというよりは自分の中でつじつま合わせをしているのかな。それにしてはずいぶんいじめられるけどね(笑)

これまでの活動の中で大変だったこと ~足りないものがたくさんある~

こういった活動で大変だったことなどはありますか?

たくさんありますよね?(笑)

まだ自分自身も知識がないので、知識を高嶋さんに補ってもらっているわけです。それは今自分が展示をするときに書いているキャプションも文献を基に書いていますが、その文献が本当に正しいかどうかはわからないので、その部分を聞いて補っています。でも、何が正しいかというのは戦時中のことなのでわからない。誰かに聞いた人の情報も正しいかどうかはわからない。だから展示をするのは本当は怖いことです。生きておられる体験者がたくさんおられるので、そのような方がこれを見て「何で違うことを書いているんだ」と思うこともあると思います。でもそれも頼りにしながらなんとかしています。あるときには1時間くらい電話で叱られたこともあります。色々な人から聞いて、でもそれの確証はどこにもない。これからも手探りで色々な人の協力をもらいながら続けていくことになろうかと思います。

資料がない、極めて少ないことに常に苦労している。戦後60周年にはもうシリーズはほぼできていたが、発表できなかったんです。裏付ける資料が存在しないので。中途半端な物を出すことの怖さがあって発表できなかった。それは今でも悔しいですね。島根の戦争について過去の人たちがちゃんと向き合って資料を残してこなかったことはとっても残念なことです。例えば鳥取県だったら戦争から30年後とかにヒアリング調査を市町村でしているし、今も戦争展なども熱心にしている。島根について言うと、残そうという試みが本当に少なかったし、アーカイブ化しようということも2018年に島根大学が始めたのが初だったんです。それだけ遅れている状況で、色々なことを調べて、裏付けて、形にしていくのは難しかったです。
島根大学のプロジェクトも10年ほどかかる。だから、自分ですることにしました(笑)
独自にできるところはどんどん進めて、そういうプロジェクトに合流していく形がいいと思っています。実際に今生きている方がいらっしゃるんだから、会えた人にはできるだけ話を聞いてそれを活字に起こして伝えていく努力をしたい。それは芸術家の役割では本来はない。ただ、誰かがやるべきだと思った時の誰かってたいてい自分ですよね。僕にはそれができる能力があるし。

今回何人も戦争遺跡をまとめる作業をされている。今回初めて何人かおられるんだなと認識した。これからも連絡を取りながら、どんどんより深いものにしていくようにする。市町村単位でそういう人がおられ、また自分が住んでいる地で調べていく、それ集まればより詳しいものが残せると思うけど、まだまだ人が足りません。

未来を担う人に伝えたいこと ~残していくのが私たちの役割~

後世の人に伝えたいこと、例えば展示を見た人に伝えたいこととかをお伺いしたいです。

戦争から75年経って、戦時中のことを再び色々な人が関心を持ってくれています。戦後直後は、思い出したくもないという方が多かったと思うんですけど、今75年経って、当時のことを残さないといけないという人もいると聞くので、これから戦後生まれの人、我々よりも若い人にこれから伝えていってほしいなと思います。そのために我々世代が戦争遺跡を残しておかないといけないと思います。むやみに都市開発で壊していくのではなく、もし開発するなら発掘調査をして図面や写真として残しておくだけでも若い人たちに伝えていくことができると思います。私は、考古学専門ですので、発掘して残していくというのが一番重要だろうと思います。遺跡だけでなく、滑走路や銃弾跡などを壊していくのではなく、残していくことが必要だと思います。それを活用するのは後世の人たちなので、我々は残していくということが大事かなと思います。

原爆ドームとかも後世に過ちを繰り返さないために残すべきだという意見もあった一方で、それを見てしまうと被爆者の方々が辛い過去を思い出してしまうという意見もありました。お話を聞いてそのことを思い出しました。

原爆ドームは世界遺産ですよね。世界遺産にするために日本の遺跡になりました。遺跡はいつから遺跡になるかということを考えたときに、国は50年前のものは遺跡でもいいだろうと考えたんですね。それは、原爆が投下されてから50年が既に経っていたから。日本の遺跡にしないと世界遺産にならないので、無理やり感もあるが原爆ドームを遺跡にしたんです。今は75年経っているから、今から50年くらい前である昭和25年くらいまでのものがもう遺跡なんですよね。だから、どうやって残すかということ、それはその時々の人たちの考え方によって変わってくるんだろうとは思いますが、戦時中のものは間違いなく遺跡だと、それを残していくということになりますよね。

こういう活動をしていて、本当に戦争が嫌いになってしまって…。恥ずかしい話になりますが、僕は戦争は必要悪ではないかと思っていました。人類の歴史を見るとずっと争いを続けて発展をしてきました。医学や化学、産業などの全てが戦争を契機にぐっと発展しています。芸術が大きく変わるのもそうです。そのような中で、戦争はひょっとしたら「必要悪」なのではないかと考えていた時期が長いです。そのことが今では非常に恥ずかしくて、自分を苦しめますね。戦争は勝った人間も負けた人間も誰も幸せになれない。それがわかって、それを肯定していた自分が今でも恥ずかしいです。永遠ならざる平和のために、今自分が生きている間だけでも戦争を止めて、平和を維持して、それを次の人たちに託していくことをしていかなければ、亡くなられた方々に申し訳ないですよね。一番はどんな思いで亡くなっていったのかとか、色々な亡くなり方があったけど、その人たちに申し訳ない。そういう風に思うようになったのはなんでかな、と考えた時に、「いつの間にか」なんです。知れば知るほど、人に会っていけば会っていくほどそういう想いは強くなりました。これからも誰もやってこなかったので僕がしばらくは頑張ってみようと思っています。

なかなか行動が起こせない人へ ~「やらない後悔はずっと続く」~

事実を知るというだけでは、なかなか行動を起こすということは難しいと思っていて、そういった人の背中を少しでも押せたらいいなと考えています。そういった事実を学んだ人に対して、メッセージや助言をいただきたいです。

やらない後悔はずっと続くけどね。やった後悔というものは何か残るものがちゃんとありますよね。まず、行動してみる。やらなかった後悔はずっと締め付けられる。戦後60年で作品を発表しなかった後悔は今でも本当に悔しい。あのとき僕に勇気がなかったことが本当に悔しい。勇気の使い方はこういうときに使うものではないでしょうか。

今のお言葉、すごく心に刺さりました。

だって、戦争で死ぬんだったら戦争に反対して死のうと思うよね。

この間テレビでやっていたんですが、マラリアで亡くなる人が東南アジアには6割以上いるらしいです。戦争で弾が当たって死ぬ方が楽なのではないかというほど高熱にうなされていて、死んだ方がましだとさえ言われることもあります。そういう経験をそこの住む人たちはしているわけです。それを考えると新型コロナウイルス感染症が流行している今は、外出自粛をしたり経済的に苦しい人が多かったりするけど、戦時中と比べるとなんとのどかな、という感じもしますね。私の場合は斐川町にいますので、斐川町の戦争遺跡を残していく仕事があと余命何十年の中でずっとやっていかないといけないんだろうなと思っていますね。哲学的なことではなくて、それだけ。それは、他の地域に手を広げる時間はないと思っている。それを若い人がどう活用してくれるか。

あなたにとっての平和とは?

お二方にとっての平和とは?

水とか空気とかと同じようになくてはならないものだと思っていますし、逆に水とか空気とかは汚れだすと初めてあることがわかる。平和というのはそういうものであってほしい。今平和が脅かされているのは本当に危険なことなんだろうなと。

悲惨な戦争を思い出したり記録を見たりということは現在の平和をより強く感じることができるだろうなと思います。悲惨な戦争を見ずにいる人は現在の平和は感じられないと思います。そういう時代があったことを目で見て耳で聴くことによって現在の平和に気付かされるというふうに思っています。

ありがとうございました!

(記録:大平鈴音、文責:四方遼祐/全国学生委員)

荒神谷博物館

どこでもミュージアム研究所

以上。

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