未来と向き合い平和について考える -大学生協の平和活動特設サイト-

ワカモノインタビュー 
#04 狗飼 菜々子 さん

interviewer

interviewee

参加者
狗飼 菜々子
(奈良教育大学4回生/ユネスコクラブ元代表/福島県出身)

interviewer

interviewer

参加者
金田 菜緒
(福山市立大学3回生/Peace Now! Hiroshima2021実行委員)

interviewee

interviewer

参加者
三宅 崚太郎
(福山市立大学2回生/Peace Now! Hiroshima2021実行委員)

インタビュー日:2021年8月18日

自己紹介

福山市立大学3回生の金田菜緒です。よろしくお願いします。

奈良教育大学のユネスコクラブの元代表の狗飼菜々子です。よろしくお願いします。

福山市立大学2年の三宅崚太郎です。よろしくお願いします。

大学での活動について

菜々子さんの所属している奈良教育大学ユネスコクラブでの活動のことや大学での研究、また他にやっていることがあればその活動内容や、研究内容を教えて頂きたいです。

私はユネスコクラブに所属し、ESDについて実践的に体験することが出来る教員になることを目標に、部員たちと日々活動をしています。ESDといっても分野は様々あると思うんですけど、特に私の大学のユネスコクラブが力を入れているのは防災教育です。最近ではすごく防災教育に力を入れてやっています。大学で研究していることとしては、私は音楽科なんですけれど、音楽科の卒業論文でESDとSDGsを小学校の音楽の授業で取り入れることが出来るような教材開発について今研究しています。

なるほど。ユネスコの活動のなかでも特にESD、教育分野について活動をされていて、その活動を活かして研究でもESDやSDGsを取り入れているんですね。

そうですね。結構ユネスコクラブで学んだことが自分の卒業論文の研究にも直接活きているなぁという感じです。

防災分野の活動に力を入れているということでしたが、どんなことをしているんですか?

結構沢山あるんですけど~

はい、ぜひ!

(笑)

3年前に発生した西日本豪雨で大きな被害があったと思うんですけど、岡山県倉敷市真備町というすごく甚大な被害があった場所に数十回、災害復興ボランティアに行かせてもらいました。そこで各家庭の土砂のかきだし作業や、土砂で使えなくなってしまった家具などを力仕事で外に運び出すような作業を継続的にさせていただきました。災害が発生した直後からずっと継続してやっていたことなんですけど、災害から半年経った頃、メディアとかでも報道されなくなって、災害が落ち着いたと思われていた時期も意外とボランティアは必要とされていて、災害の風化の経緯みたいなものについても理解することが出来たと思っています。
災害復興ボランティアは実はこれだけじゃなくて、去年九州豪雨があったと思うんですけど、その時にも災害復興ボランティアをさせて頂きました。九州豪雨の時はちょうどコロナ禍だったので、直接ボランティアに行きたかったですけど、感染してしまうというリスクもあり、直接現地に行く選択はせずに、同じユネスコスクールがある小学校があるんですけど、甚大な被害のあった小学校の子供たちにオンラインでの学習交流会をこちらで企画して、小学生に参加してもらうというボランティアをさせて頂きました。
他にもいっぱいあるんですけど言って良いですか?(笑)

はい、ぜひ聞かせてください!

実はさっき言った岡山県の倉敷市にはボランティアだけではなく、2年前にユネスコクラブの部員を集めて災害についてよく分かっていない部員が災害について理解できるようなスタディツアーを企画し、行いました。あとは大学内でも防災企画という勉強会を一年を通して継続的に行っていて、その年は水害をテーマとして、水害について一年を通して勉強できるような勉強会を開催していました。その防災企画は企画メンバーがいて、どういう計画で勉強会をやるかとか、どんなことを伝えれば将来教員になる私たちが役に立つようなことが身につくのかというように、教育大ということもあって周りはみんな先生になり人ばかりなので、先生になった時に子供の命を守るためにはどうしたらいいかということを軸に置いていました。

ユネスコクラブってインプットがメインの学習をしているイメージだったんですけど、奈良教育大学は社会に直接貢献している活動が多いことを知ってすごいなって思ったのと、コロナ禍という現状も考えてオンラインで出来ることを考えて活動していてすごいなって思いました!あと勉強会もサークル内で終わらずに奈良教育大学全体で共有しているところがそれも社会貢献だなって感じました。

もう一つ思い出しました。さっき言った九州の小学校は大牟田市立みなと小学校といってユネスコスクールの中で結構有名な所らしいのですが、その小学校の被害が特にひどかったそうで、豪雨の日は学校の一階まで水が浸水して、児童が家に帰れずに学校で一夜を明かしたほど大変だったみたいです。その中で「その小学校に学習支援以外で出来ることはないかな?」ということを部員で話し合って、メッセージ動画を作ろうということで、私たちのユネスコクラブで一年ほど前にできたYouTube編集班の中のすごい編集がうまい部員にお願いして、コロナ禍で部員一人一人が自分で撮った動画を組み合わせて一つの動画にしてYouTubeに公開するということをやっていました。それに関しては結構反響があって、実際にその小学校の保護者の方々から「元気出ました。」というコメントをもらったりして、ほんとにやってよかったなって思います。

それは元気出ますよね~。しかもYouTubeというツールを新しく取り入れて、活動の幅を広げているなと感じました。

結構コロナ禍だから大学から活動を制限されていることもあって、部員が直接集まれない時間も長かったんですけど、そうやって自分達で出来ることを模索して活動していたのはすごく良かったなと思います。

コロナ禍で活動が制限されていたとは思えないくらい活動を進められていて、すごく尊敬します!

ユネスコでの活動のきっかけについて

ユネスコでの活動は色々されていると思うんですけど、そもそも菜々子さんがユネスコで活動をしようと思ったきっかけは何ですか?

私が大学に入学した時にまだコロナ禍じゃなかったのもあって、多くの勧誘があったんですけど、勧誘の時にこうボランティアの団体に入りたいというのはちょっと思っていて、その中でもESDを全面に出しているユネスコクラブにすごい興味を持っていて、ESDって何かもうその時は全然分かっていなかったんですけど、話を聞いてみると先生になった時にすごく役に立つなっていうのをすごく感じて、その中でも特に私は防災教育に興味を持って、「ユネスコクラブに入れば防災教育について専門的に学ぶことが出来るんだな。」と思って入りました。私が防災教育に興味を持ったのはきっかけがあって、私は福島県出身で、10年前に東日本大震災を経験して、内陸だったので津波とかの影響は全く無かったのですが、結構地震がすごかった場所なので、発生当時私は小学校で授業受けていたのですがあの校舎が倒壊している中みんなで走って逃げた感じとか鮮明に覚えていて、授業を受けていた校舎も使用禁止で使えなくなってしまったために、半年間授業を体育館で受けるなど、その震災で色々な経験をしました。その時に助けてくれた担任の先生のことが忘れられなくてそれで教師になりたいと思うようになったのと同時に、もし自分が先生になった時にまたこういう災害が起きたら、自分は子供のことを守れるのかということをずっと考えていて、大学に入ったら防災教育を学びたいなと思っていたので、ユネスコクラブに入れば、自分がやりたいことや学びたいことができると思って入りました。

貴重なお話をありがとうございます。

関西に住んでいる人って結構東日本大震災について知らない人が多くて、「あの時大丈夫やったん?」みたいなことをすごく聞かれるんですけど、「なんか、それってどうなんだろう。」と思っていて、知らないで済ませないで、私が関西の人にも伝えなきゃダメなのかなって思って、ユネスコに入ってからは、防災に関する企画で自分の経験を話す時間を作ってもらったりだとか、みんながこう防災についてもうちょっと深く知れたらいいなと思って活動していました。

正直、私たちも西日本よりの人間なのであんまり知らないことも多いんですけど、経験した方のお話を直接聞いてちゃんと知っていくことが出来ると思うので、自分の経験を周りにちゃんと広められていてすごいと思うのと同時に、ぜひ私もそのお話を聴かせていただきたいと思いました。

教員を目指すきっかけとなった東日本大震災での経験について

ちなみに教師になりたいと思ったきっかけという、東日本大震災の時に先生に助けてもらった経験というのは具体的にどんな経験ですか?

小学校の校舎は全壊というわけではなかったのですが、揺れの瞬間は授業中だったので、机の下に隠れてという感じでしたが、ほんとに揺れがすごくて、築50年くらいのボロボロの校舎だったので、机の下に隠れている間も上からブラウン管テレビが降ってきたりだとか。みんな避難訓練で机の下に隠れるというのは経験していると思うんですけど、机の下に隠れていても、机でちゃんと自分の頭を守れているのか分からないくらい揺れがひどすぎて、小学生で力も無く、周りのみんなも泣いているようなすごい状況だったのを覚えています。しばらくして揺れが若干収まって、みんなで校庭に避難しようという時でも、壁がちょっとずつ崩れ落ちている中を逃げて、避難訓練だと走ってはダメと言われるけど、歩いていたら自分がそれに巻き込まれてしまうからそんなことできなくて・・・。震災発生当時はそんな感じでした。私たちの小学校は規模がとても大きく、児童も900人程いましたが、全員無事に避難することが出来ました。それも避難させてくれた先生のお陰だと思いますし、先ほどの体育館で授業を受けたという話も児童が900人もいたので、児童全員が体育館で授業を受けられるはずもなく、近くの中学校の教室を間借りした学年もありました。私は体育館で授業を受けましたが、体育館の大きなスペースをパーテーションのような薄い壁で仕切っていたため、隣のクラスの声もたくさん聞こえてくるような近い距離で半年間ずっと授業を受けていました。体育館なので冷房や暖房は無いので真夏は本当にしんどかったですし、体育館での体育は出来ず、原発事故の影響もあって小さな子供は外に出るなと言われていたので、外での体育もできないような状態でした。体を動かすことが出来ないため、みんな太ってしまって(笑)、運動不足ために階段を上るのもひと苦労するくらい体力が落ちていたり、体育館で授業をすることなどからくるストレスも溜まったりしましたが、そんな時に先生たちが色々な面で助けてくださりました。特に精神的な面で助けてもらったことが大きかったと思っています。すごく色々な工夫をしてくれて、冷房が無いからすごく大きな氷を準備してくれて、少しでも体育館の教室が涼しくなるように工夫してくれたりとか、運動会も無くなってしまったけど、大きな行事が無くなって落ち込んでいる私達のために体育館でもできるような楽しい行事を考えてくれたりだとか、先生にすごく救われたことを覚えています。

もちろん生徒本人たちも努力したり、ストレスに耐えたりしたと思うんですけど、精神的に支えてくれる先生の存在の大きさを、話を聞いていて感じました。

狗飼さんの考える現在の社会問題について

いろんな経験をされたり、ユネスコを中心に色々な活動をされたり、また教員になるための勉強をされてきたと思うのですが、菜々子さんが問題として考えている社会問題は何ですか?

私は教員志望なので教育に関する社会問題がすぐ出てくるんですけど、最近だとコロナ禍で不登校の子供がすごく増えているっていうのは社会問題なのかなって思います。震災の時に私が放射線の影響で外で遊べなかったとか、外出自粛をしたっていう経験がコロナの時に今の状況にも当てはまるなって思っていて、今も感染防止のために家に居る時間がすごく増えているなと思うんですけど、そういう面では私の10年前の経験と重なるところがかなりあるなって思っています。その時私は小学生でしたが、気分が落ち込む時もかなりあって、今この中の状況で子供たちが不登校になる子が多いというのもなんとなく理解できるなという感じです。その不登校についても調べてみたんですけど、長期間休校になったことで学習に関する不安や人間関係、同じクラスの子どもと関わる時間が無くなったことで、学校が始まって友達と上手くやっていけるかという不安から学校に行くことが難しくなってしまう子が増えているというのは教員採用試験勉強の時に学びました。

自粛の影響で学校に行けないということは知っていたんですけど、まさか行ける状況になっても不登校になってしまっているということは知らなかったです。コロナはまだ続いているとは思うんですけど、来年菜々子さんは先生になって、もし担当するクラスの子が、コロナが原因でクラスメイトとの関わり方が分からないとか、勉強が不安な子がもし現れたらどんな対応をしていきますか?それが気になりました。

担任の先生というのは、子どもにとって自分の保護者の次に身近な大人だと思うので、私は不登校になる前から子供との信頼関係はずっと大切にしていきたいです。何か嫌なことがあった時に話せる相手が自分だったらいいなと思っていて、もし自分そういうことを話してくれた時にちゃんと不安を埋めてあげられるような対応をしたいなと思っています。学校に行くということでも、例えば不登校であったとして、なんで自分が不登校になってしまったのか原因が分からないということも多いということを大学で学んで、もしもその教室に行くことが難しいのであれば、保健室とかカウンセリング室のような別の部屋に行けば安心して授業を受けられるっていう子もいると思うので、そういう教室以外で安心できる場所を確保しておくことも大切なのかなと思います。少しずつ教室に行くことができなくても別の教室だったら勉強できるっていうところから始めて、最終的には教室に戻ってこられるような環境が作れたら一番いいのかなって思っています。最初にカウンセリング室とか保健室などで勉強している時もただその子をほったらかしにするのではなくて、小学校だったら移動教室が音楽とか、理科とかあると思うんですけど、そういう移動教室の時に「次、音楽室だけどどう?来れそう?」みたいな感じで毎日ちゃんと「見捨ててないよ。」という声掛けをしてあげることがすごく大事なのかなって。あとは給食だったら同じクラスの子が給食を運んで行ってあげるとか、ちゃんと自分は学級の児童として認識してくれて、自分は必要とされているんだということをずっと発信することがその不登校になってしまった子供にとって大切なのかなって思っています。

ひとりひとりに寄り添い、精神的にサポートするということをとても大事にされていて、それも菜々子さんご自身の経験が生かされていることをとても感じます。

大学生に向けたメッセージ

最後に同じ大学生へ向けたメッセージをお願いします。

最近だと予測不可能な社会って言われることもいっぱいあって、多分私たちが社会人になった時、コロナ禍も誰も想像出来なかったし、そういうこう想像出来なかったようなことがこれからもどんどん増えていくのかなっていうのはすごく感じていて、大学生って時間もいっぱいあるし、学ぼうと思えば学べる場所も用意されているし、自分次第でどんなことも出来るのかなって思うので、そういう予測不可能な社会でも、自分はこれだけは人に負けないっていうものを持ち続けていくと、将来自分の為になるのかなって思います。私の、先生になりたいという漠然とした夢は小学校の時からずっと持っていたんですけど、自分よりも優秀な人は山ほどいるということも高校とか大学に行ったことですごく感じました。でもやっぱり私は福島出身で、震災を経験していて、災害が発生した時に児童の命を守れたり、寄り添えたりするのは誰にも負けないっていうのをずっと持っていたので、教師になってからもその軸はずっとぶれずにいたいなと思いますし、そういう誰にも負けないことを見つけていってほしいなって思います。

私たちも菜々子さんを見習って、大学生の自分の意思で動けるという環境を生かして、自分にしかできないことや誰にも負けないことを見つけていきたいと思います。
今日は貴重なお話をありがとうございました!

ありがとうございました!

ありがとうございました!

※ESDとは…Education for Sustainable Developmentの略で「持続可能な開発のための教育」と訳されている。現代社会の問題を自らの問題として主体的に捉え、人類が将来の世代にわたり恵み豊かな生活を確保できるよう、身近なところから取り組む(think globally, act locally)ことで、問題の解決につながる新たな価値観や行動等の変容をもたらし、持続可能な社会を実現していくことを目指して行う学習・教育活動のこと。


※ユネスコスクールとは…ユネスコスクールは、ユネスコ憲章に示されたユネスコの理念を実現するため、平和や国際的な連携を実践する学校のこと。文部科学省及び日本ユネスコ国内委員会では、ユネスコスクールをESDの推進拠点として位置付けている。


記録:三宅崚太郎(Peace Now! Hiroshima 2021実行委員)

インタビューTOP 

 ワカモノインタビューへ戻る

ページの先頭へ