全国大学生協連 藤島凜香
2025年8月6日、被爆から80年を迎える広島平和記念式典に参列しました。今年は約5万5,000人が参列し、そのうち1,200席が一般席として設けられ、会場の熱気を肌で感じながら式典に臨みました。
一般席に座るために早朝から並ぶ様子。
左・真ん中がメインゲート=一般入場口
午前6:00に入場が開始し、左から1列目,前から2ブロック目一般席に着席。
ミストが終始降りかかっていました。
8月5日の広島平和都市記念碑
(原爆死没者慰霊碑)
式典が始まると、鳥肌が止まらず、武者震いを覚えるほどの緊張感に包まれました。通路を挟み隣の席は被爆者関係者の席で、平和への誓いでは涙をぬぐう姿がありました。その光景を目の前にし、犠牲者やご家族の思いを直接受け取ったように感じ、言葉では表せない重みを痛感しました。
特に印象に残ったのは、知事挨拶です。日本が平和国家として歩み続けるためには、過去の惨禍を忘れず、若い世代へ平和を継承していく必要があると力強く訴える姿に心を打たれました。また、知事挨拶のみならず平和への誓いにも、日本国民や国外に向けた力強い宣言が込められており、その響きは会場全体を包んでいました。中でも「核兵器廃絶は決して遠くに見上げる北極星ではない」という言葉には、はっとさせられました。これまでどこか他人事のように考えていた自分を省みさせられ、核なき未来は私たち自身の手に委ねられていることを強く意識しました。
会場を見渡すと、多くの外国人の姿もありました。皆が真剣に耳を傾けており、この式典が国内だけでなく、世界に向けても強いメッセージを発していることを実感しました。
8時15分の黙とうの時間になると、会場全体が静まり返り、蝉の声だけが響き渡りました。その一分間は、オンラインでは決して味わえない静寂と熱気、参列者全員の祈りがひとつになる瞬間でした。その背後で「平和の灯」が一層強く燃え上がっているように見え、平和への誓いを象徴していました。
大きな行動だけが平和を守るのではありません。ニュースに目を向けること、選挙に行くこと、家族や友人と平和について語ること――それは小さなことかもしれませんが、確実に平和を守る一歩になると信じています。今回、式典に直接参列できたことは、私にとってかけがえのない体験でした。戦後・被爆から90年、100年経ったといわれ続けるために、自分にできる小さな行動を重ねていきたいと思います。
広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)の後ろ、会場設営の様子です。
前日は、平和式典の予行練習があり一時封鎖されていましたが、
練習外の時に解放されました。
漆崎 新
2025年8月9日、私は幸運にも被爆80周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列することができました。原爆犠牲者は累計で20万1,942人だと司会の方が言葉を発したのを聞いたとき、20万という数の多さ、生命がいかに尊いかをただただ感じました。原爆によってお亡くなりになった方々とすべての戦争犠牲者の冥福を心からお祈り致します。
式典を私が最も強く印象に残っているのは「長崎を最後の被爆地に」の言葉です。幾度も叫ばれていましたので心に響きました。核拡散では平和な社会はやってこない、対話と協調によってともに平和な社会を希求し実現に向けて行動する、そんな機運が必要なのだと私は受け止めました。それと同時に私は、一部の人たちだけがそう願っているだけでは平和な社会は実現しないとも思いました。核抑止力がはびこる世界からの脱却を、核兵器禁止条約への批准を推し進めるために、より多くの人が平和な社会を心から希求していく必要がありますし、特に若い人たちの力が必要だと思います。
また、式典に参列していて私はふと、原爆によって尊い命を失った方々は今の核保有が拡がる世界を見てどう思うのだろうかと想いを馳せました。あのような惨状を生み出した核兵器を今なお保有している世界を見て私たちに何かを必死に伝えようとしているかもしれません。そう思うと私は、自分にも何かできる事はしないといけない、そんな気持ちにもなってきました。
二度と被爆地を生み出さない、核抑止力がはびこる世界から脱却するために、一人ひとりの平和を希求する気持ちがつながり、拡がり、社会の大きな活発剤となっていくことが今後ますます大切になると思います。そのためにまずは自分が、そして周りに「平和」の輪を拡げていこうと思いました。