戦後・被爆80年となる今年、広島・長崎・沖縄で行われた平和式典に参列した3名で座談会を企画し、現地の空気の中で学び、感じたことをより多くの人に届けるために話し合っていただきました。
参加者
藤島 凜香(司会/進行)
全国大学生協連 学生委員会
参加者
漆崎 新
全国大学生協連 学生委員会
参加者
西谷 颯太
全国大学生協連 東海ブロック 学生委員会 副学生委員長(岐阜大学4年)
(以下、敬称を省略させていただきます)
全国学生委員会 中国・四国ブロック担当の藤島凜香と申します。今年のPeace Now! Hiroshima 2025の実行委員長をしておりまして、8月6日の広島の平和記念式典に参列しました。よろしくお願いします。
東海ブロック学生委員会で副委員長をしております西谷颯太と申します。東海ブロックでは『オキタビ』という、学びと遊びの両方を兼ねるピーススタディツアーがあります。これに1年生の時に参加し、現地で地上戦の残酷さを物語るものを初めてこの目で見て、「これは伝えないといけない」と心に強く感じました。3年生の時にPeace Now! Okinawa 2024の実行委員をさせていただき、伝える側になったわけです。今年4年生では、6月23日の「沖縄慰霊の日」に参列しました。本日はよろしくお願いいたします。
大学生協オリジナル ピーススタディツアー 2025年度「オキナワの旅」
全国学生委員会 九州ブロック担当の漆崎新と申します。今年のPeace Now! Nagasaki 2025の実行委員長をさせていただき、8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列しました。本日はよろしくお願いいたします。
この座談会は戦後・被爆80年の節目に広島・長崎・沖縄の3地域で行われた平和式典に参列した3名が、オンラインでなく実際に現地を訪れ、式典を通して改めて肌で感じ、受け取ったメッセージや学び・気づきを共有してより多くの人に平和を希求する想いを届けようと企画しました。現地以外の立場という視点から平和を考える契機にしようという目的のもと、学生同士の対話を通じて次の行動へとつなげていく座談会になればと思います。
まずお互いに参列してみて印象的だったこと、実際に現地に行くことで何を感じ、受け取ったのか、誰かと話したこと、どんな人がいたのかを共有したいと思います。
広島では記念式典のパンフレットに、日本語だけでなく英語も掲載されています。日本人の方の参列はもちろんですが、外国人の方もいらっしゃいました。修学旅行で来ていた学生もいれば、夏休み期間ということもあって、「長崎の式典にも来週行くんだよね」と聞こえてきたりして、いろいろな人が集まっているのを感じました。
式典の中で行われた平和宣言などでは、外国人の方でパンフレットを読んでいる方もいらっしゃいました。私の座った席の隣には被爆者の方やその遺族の方、関係者が座っていらっしゃって、その方々の話も聞きながら見ていました。こども代表が「平和への誓い」を読み上げたときには涙を流している方もいらっしゃって、すごく響くものだったと感じました。
暑くて上からミストシャワーが降っていたのですが、式典はとても力強く、私はずっと武者震いというか鳥肌が立っているような感じで、今まで経験したことのないような感覚だったと思います。
式典は午前8時15分に祈りを捧げます。メイン会場の一般席は1200席しかなくて、去年は入場開始が6時半だったけれど、6時の時点で満杯になってしまって入れない人もいたといいます。調べたところ、今年は入場開始が6時で、当日の開門前では参列できるかどうかという話だったので、4時にはホテルを出て、5時には入場口に着いていました。
そこで待っていたら、私より1歳年上の方が話しかけてくれました。式典に参加する理由を聞くと、その人は「こういう機会じゃないと平和について学べない」「自分も行きたいと思ってたんですよ」と話してくれました。若者って世間一般的に見たら、平和や政治について興味がないのではと思われがちかも知れませんが、こういう身近なところで関心はあるのだと思いました。
参列者は会場入り口で手荷物検査、参列者席入り口で金属探知検査を受けなくてはなりません。広島の平和式典には、2年前に式典中に乱入者が危害を加えたので、より厳しくなったのかと思います。
広島平和記念式典(平和記念公園にて)
長崎の式典はすごい大雨に見舞われ、行くのも大変でした。会場はテントがありますが、傘を差しても背中に大雨を浴びている状態でした。
印象的だったのは、会場に長崎の高校生、大学生がボランティアをしていたことです。炎天下も予想され、一人一人に水や冷やしタオルを渡したり、パンフレットを配ったり。実は雨でパンフレットも水浸しになってしまったんですけどね(笑)。
式典は10時45分に始まるのですが、その時になったら雨がピタッと止んで、本当に天候が合わせてくれたかのように、長崎で無事に式典を始めることができたのには驚きました。
今年は長崎出身の福山雅治さんが作詞作曲した『クスノキ』が児童合唱で歌われたのが印象的でした。それに併せて、「長崎-閃光の陰で」という映画が一般上映され、僕も事前に観ていました。11時2分の原爆投下ではなく、その日の朝10時くらいから長崎市民の様子が描かれています。
式典にはPeace Now! Nagasaki 2025の実行委員と2人で行って、8時くらいから会場にいたのですが、80年前のこの時の長崎市民は、まさか数時間後に原爆が落ちると思っていなかったと思いました。その日の朝8時前に空襲警報が一回出てみんな防空壕に避難し、解除されると「大丈夫じゃないか」と普通に生活していたわけです。僕はそれを想像しながら本当に悲しくなり、震え立つという感じでいました。
長崎市長からの平和宣言、石破首相が挨拶された後に、近くの人が急に立ち上がって、「アメリカのいいなりになるな!」と言っていました。僕が覚えているのはその言葉だけだったのですが、その場にいたからこそ伝わる現場の緊張感を感じ、その人は暴れたりすることはなかったのにそっちに目を向けたら襲われるんじゃないかと思って、微動だにせずにいました。切に平和を願っている人もいれば、今のNPTに対する日本の姿勢にもさまざまな思いを持っている人がいるのだというのも実際に長崎市に行って感じました。それを大学生にPeace
Now!
Nagasakiで伝えるにしても、それぞれの思いを考慮した上で伝えないといけないなと現場で思った次第でした。挨拶された皆さんが「長崎を最後の被爆地にする」と言われていたのが本当に印象に残りました。
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典(平和公園内)
沖縄の式典は平和祈念公園で行われました。普段は静かなところなのですが、1年に一度の日ということですごく大勢の方が来られていたのは印象的でした。米軍基地があるので、米軍の制服を着た方も固まって来られていました。
お二人のお話を聞いて、沖縄の場合はちょっと違うなと思ったのは、それぞれ強い思いを持ってこの式典会場に来られている方が非常に多いと感じた点です。アメリカ軍の方が祈念公園に到着すると「アメリカは帰れ!」と式典会場のテントの外から主張していた方がいて、とても印象的だったのを覚えています。
式典のほうも、沖縄は日本で唯一地上戦が行われたということで、お亡くなりになった方の命
を思うような言葉が多くの方の挨拶でもありました。やはり地上戦ということが想起される中身でもあったと思います。
沖縄でも長崎と同じようにヤジが飛んだのをニュースでも映されたと思います。僕も現場にいたのですが、あの時2人ヤジを飛ばした人がいて、1人が石破首相の演説のときに「日本に基地はいらない」というようなことをずっと言い続けました。警察の方が「ここは厳粛な場ですので、そういうことはこのテントの中だけは控えてください」と書かれたプラカードを持っていたのですが、その人はそれを見せられてもずっと止めなかったので、警察に連れていかれました。
その時、その人が連れていかれた瞬間に会場に拍手が起こったんです。その拍手ははたして、声を出した人に向けての「よくやった」という意味だったのか、それとも「警察、よくやった」という意味だったのか、周りがどんな人々が分からないので、どっちの拍手なのかなというのは現地にいたからこそ感じられたことで、今でも疑問に思っています。
現地では実際に僕も後ろに座っていた50~60代の女性の方とお話ししました。埼玉県から来られたとのことで、職場の知り合いの沖縄出身の方から沖縄戦の話を聞いたことがあったと言われました。若いときに沖縄に来られて、「これはなにか考えないといけないことだな」と思い、実際に今回初めて式典に足を運ばれたそうです。
沖縄って小さい島ではあるのですがいろいろな所から軍隊が来て、地上戦そのものが残酷なことなので、沖縄以外の人も式典に足を運ばれる、そういうところなんだなと感じました。
沖縄平和祈念公園の「平和の火」
式典には実際にどんな階層の人が来ていたのでしょうか。
長崎では日本の方が多かったですね。友達連れで来ている大学生もいたし、高校生は割とボランティアしているイメージが強かったです。そしてやはり年配の方が多かったという印象でした。路面電車などで見かけるヨーロッパ系の観光客も多かったと思います。
沖縄の階層では、年齢に関しては若い方からお年寄りまですごく幅広く多くの方がいらっしゃったという印象でした。式典会場のテントの中にもさまざまな世代の方がいらっしゃいました。
沖縄平和祈念公園には「平和の礎
」という沖縄戦で亡くなられた方の名前が一つ一つ全て刻まれている礎がありまして、多分子孫の方だと思いますが、世代の異なる方々がその礎の近くに集まって手を合わせているのが印象的でした。
その礎の中には日本人だけでなく、沖縄戦で亡くなった外国籍の方の名前も書かれていて、例えば韓国の方の名前の前には韓国の皆さんが集まってお祈りを捧げている、そうした光景も見られました。
平和の礎(沖縄平和祈念公園内)
広島も平和記念公園の敷地内に韓国人の方々の慰霊碑があり、慰霊碑に韓国語の書かれた水やお菓子や千羽鶴が供えられていました。過去にその場には確かに日本人だけではなくて海外の人もいたというのは、広島も長崎も沖縄も同じであったと思います。
Peace Now! Hiroshima 2025の参加者アンケートには、「日本は原爆を落とされた被害者なのだと思っていたけれど、実際に韓国人慰霊碑を見て、当時日本も諸外国を植民地にしていた過去があるのを初めて知った」と書かれているものもあり、日本人だけが被害者とは言い切れない部分があるということを理解してもらえたのは一つよかったことだと思いました。
「オキタビ」やPeace Now!関連でも、そういう多角的な視点を盛り込まれたと思うのですが、どうでしたか。
長崎はもちろん盛り込んでいます。参加者のアンケートを見ても、「原爆の被害を受けたという事実は知っていたが、日本も中国人や韓国人の方に強制労働を強いていたのは初めて知った」「爆心地のすぐそばに刑務所があり、当時のいわゆる治安維持法に反した日本人や外国人がそこに入れられていて、原爆で即死したという事実を知って、すごい衝撃を受けた」とあり、Peace Now! Nagasaki 2025最終日に「日本が被害の面だけでなく加害の面もあるのだということも考えてみよう」という時間をとったことは、自分にとってもいい経験になったと思います。
僕は今年もオキタビに参加し、これで大学生になって6回目の沖縄になりました。今回のプログラムで特に印象に残ったのは、嘉手納基地のそばまで行って、そこで“基地と共生する暮らし”をガイドさんから聞いたことです。メディアやニュースでは、米軍基地の飛行機がうるさかったり、たまに落ちたりして被害があると聞きますが、実際に沖縄市の皆さんは「基地には確かに困っているけれど、雇用の面では助けられている部分もあるから何とも言えない」と言われます。基地反対以外にもそうした声はあるのだと知り、沖縄の今の問題について多角的に考えることができたと思いました。
Peace Now!
Okinawaでは沖縄戦を住民側の目線から見て、アメリカ軍を脅威に感じていたのと同時に日本軍に対してもやはり脅威を感じていたということが分かりました。日本の旧海軍の司令部があったところではすごく小さな空間に大勢の人がいて、住民も急遽兵士として動員されて戦没に至った背景があったことに注目しました。
改めて各地の式典に参列した感想や、Peace Now!・オキタビの話を聞いて、特に気になったところはありますか。
先日、被爆2世、3世で生協職員をされている長崎出身のお二人と話をしたことがありました。僕たちが学ぶ上で、原爆の被害を直接受けた広島・長崎と、地上戦があった沖縄という地域は外せないから、しっかりそこで学んで平和への思いを感じてほしいと言われつつも、そのお二人の話から感じたのは、自分の生まれ育った町はどうだったのか、そこから派生してもっと主体的に考えることが大事なのではないかということです。
そこはPeace Now! 2025であまり参加者に伝えきれなかったという後悔もありますが、やはりそれを持ち帰って、自分の住んでいる町や大学のある地域の人々に伝えることが大事なのではないか。そういう知識・感情は三地域だけで語り継がれていくべきものではなく、全国には戦争の恐ろしさを経験してこんなむごいことは絶対にしてはだめだと思っている方がいると思うので、全国にも広げていきたいと思いました。
長崎を担当してそういう感想を持ったのですが、オキタビやPeace Now!でも自分の地域に持ち帰って伝えたいという参加者はいましたか。
今回のオキタビについては代表者派遣として、この学びを大学生協の組合員さんに広める活動をしていく方を募集しました。その方々と事前学習会を開いたのですが、やはり沖縄の場合は、沖縄で亡くなった方たち、地上戦に関わった方たちは、沖縄の現地の方たちだけではないというのが一つのポイントかと思いました。
慰霊碑にも47都道府県すべての方のお名前が刻まれていて、特に愛知県は全国で7番目に沖縄に出兵された方が多いんです。実際に愛知県にある資料館で学芸員の方にもお聞きしたのですが、沖縄と愛知のつながりは結構強く、自分の曽祖父に当たる方やご親族が刻銘されているという参加者もいて、現在はつながりはなくても過去を覗いてみることで自分事として捉えられた方もいらっしゃったと思います。
Peace Now! Hiroshima 2025は構成的に同様で、3日間の旅程の1日目は過去に起きたことを学ぶ、2日目は現在のことを学ぶ、最終日は未来について考えるという構成をとっています。最後は私たちが未来について考えて行動する時間として、「自分たちが一大学生として何ができるか」ということをワークとして取り組みました。
行動をするための一歩を踏み出すというのが今の私たち若い世代に求められていると思いますが、短いスパンで何か大きなことを成し遂げなければいけないと考えているような気がします。でも実際にそうではなく、例えば平和記念公園の中にある「原爆の子の像」は10年間の年月をかけて建てられたといいます。
「先人たちも長い時間をかけてきて今私たちが平和について考えられているのだから、大きな一歩を踏み出すには、本当に小さな積み重ねからだよね」というのがPeace Now!
Hiroshimaの到達点です。参加者アンケートにも「できることって本当に身近にあるんだな」「伝えることも行動の一つ。Peace Now!に参加したこともまた行動の一つです」とあり、「学生委員会に何か一つ持ち帰りたい」という強い思いをもった人もいました。
実際に何を持ち帰るのかと聞いたら、「Peace Now!
Hiroshimaで学んだことを大学祭で組合員に向けて報告します」「報告、展示して終わりじゃなくて、付箋に『あなたにとって平和とは』を書いてもらう参加型にします」と言ってくれました。「みんなが平和について考える機会を増やします」と宣言した人もいました。最後に「今回Peace Now! Hiroshimaで広島のことを学んだから、それを家族に伝えるだけではなく、一緒に広島に旅行して、代わりに私がガイドする」と、本当に身近な日常生活のプラスアルファで平和について考えるきっかけをつくりたいと参加者が考えてくれたので、本当に良かったと思います。
全国大学生協連が参加を呼び掛けるPeace Now!は限定的に広島と長崎と沖縄しかできていないのですが、実際に去年参加した人たちは、一部ですが自分の出身大学に絡めて、Peace Now!仙台とかPeace Now!島根を実施されました。「Peace Now!〇〇」と自分の出身地を取り上げて身近に感じてほしいなと実感しました。
「原爆の子の像」(平和記念公園内)
やはり若者の発する力の強さをすごく感じますね。広島も同じだと思いますが、式典で高校生が司会を務めていたりガイドをしたりするのを見ると、自分を含め若い人が次世代に伝えていく力が素晴らしいと思いますし、そのエネルギーは目を見張るものがあると思っています。
去年の資料を見たら、佐賀県生協連のピースアクション2024 inさがというイベントにPeace Now!がつながっていました。去年の九州ブロック学生委員会の方がPeace Now!
Nagasakiの報告をしていて、すごく反響が良かったと言っていたのです。先ほど藤島がPeace Now!で感じたことを伝えるのも大事だと言いましたが、本当にそのとおりで、Peace Now!の活動を広げていくためにそこで感じたことをどんどんいろいろな人に話してもらえたらうれしいなと思いました。
「ピースアクション2025 in さが」より(2025年7月2日)
沖縄にも広島にも式典の運営側には学生はほとんどいませんでしたが、長崎では高校生が運営に参加していたのですか。
パンフレットだけではなく、水とか冷やし氷タオルをボランティアで配っていました。本当に高校生は元気でしたよ。年齢問わずいろいろな方に「お水持っていますか?」と呼びかけて回っていて、そこはやはり感動しました。事前に高校生・大学生問わず募集していたようです。若者も入って式典を支えていくというような感じは非常に伝わりましたね。
式典に参列して、私は県知事の挨拶に込められた強い想いが心に残りました。また、こども代表が「平和への誓い」を述べている姿も本当に印象的でした。広島ではやはり節々に被爆80年と言われていました。平和継承、私たちはそれをどうつなげていくかを話したいと思います。
僕も同じことを思っていました。長崎の式典で挨拶を聞いているときに、原爆で亡くなった方が今の世界を見てどう思うかということを感じました。実際にPeace Now!で被爆者の方のお話を聞いていたときに、原爆は本当にむごいものだ、恐ろしいものだと何回も繰り返して言って、節々に「本当に若者にそれを伝えていきたい」と。
Peace Now!
Nagasakiの中でも「核兵器が必要か」とのテーマでディベートをさせてもらいました。それは必要か不要かという答えを出すのではなく、あくまでディベートをすることが目的だったのですが、亡くなった方の声を直接聞くことはできなくても想像して、求められていることがこれからの若者に託されるのではないかと思います。一人一人が核の脅威を恐れ、平和を願う気持ちがないと、絶対にこれから良くない未来が起こってしまう可能性があると思います。
今は民主主義の社会なので、世の中に向けて人々がきちんと自分の思いを伝えていかないといけないと思います。別にそれはデモをしろとかそういうことではなく、例えば近隣の人と話してみたりすることだけでも、無関心でいるのとは違うと思うので、ちゃんと自分なりの考えを持つのが大事だと思っています。
今、二人からは原爆に関してのお話を交えながら話していただきましたが、僕自身は原爆と沖縄の地上戦とはちょっと違う部分があるかと思っています。広島や長崎では原爆投下で非常に多くの方が亡くなりました。地上戦はもちろん上からの空襲もありますが、やはり印象的なのは目の前で人と人が殺しあうことです。殺される側もそうですが、殺す側もとても精神に負担がかかることだといいます。考えるべきことは、人が人を殺すというのはどれだけ恐ろしいことか、戦争はどれだけ恐ろしいことなのかということです。
実際に沖縄戦の過去を見ても、日本兵、住民で亡くなった方はたくさんいますが、同時に米軍でも精神の病にかかってしまった兵士もすごい数いるのですね。やはり沖縄の過去を見つめ直して、戦争を改めて考えることが必要なのかと思います。
もう一つ、沖縄には今もアメリカ軍の基地がたくさんあり、基地と隣合わせの生活があります。騒音で苦しめられている人、過去には米兵による暴行事件で亡くなった方もいて、基地と共存する生活が実際にどういうものなのかということを議論するのは一つ大切なことなのかな、それがやはり今求められていることなのかなと思います。
私が式典で印象に残ったのは知事の挨拶です。「核兵器廃絶はけして遠くに見上げる北極星ではない」という言葉に、すごくハッとさせられました。自分も日本は核を保有していないから安心していたという部分がありましたが、世界にはまだ保有している国はあります。今80年間安心して暮らし続けられているから他人ごとになっていますが、また80年前のように原爆を落とされてもおかしくない。保有しているとはそういうことです。だからこそちゃんと平和について向き合い続けことが大事なのだと思いました。
これからを担うのは間違いなく私たちの世代になってくると思うので、心の底から武力のない世界を願い、心の底から戦争って駄目だよねと声を上げること、平和に対する価値観は一人一人違うと思いますが、何か大きな枠組みとしてそろったらいいな、それはやはり対話という手段があるのだと思っています。
Peace Now!では実際に「本当に戦争って駄目なのか」というすごく思い切った議論をしました。背景にあるのは、日本が教育の中で戦争はだめだと一方的に子どものころから教えられていて、なんとなくやっぱり戦争って駄目なんだよね、武力は良くないよね、と何も考えずに思い込んでしまっていないかという問いかけであって、そこにハッとしてほしかったという想いがありました。
技術を武力に使うのではなく、対話を手段として解決できなかったのかと考えたときに、その議論の中ではやはり戦争って良くなかったんじゃないかという結論が出たので、改めて問いかけ続けるということはすごく大きなことだと、Peace Now!を通じて学びました。
ただ単に上から言われてそういうものだと思い込んでしまった固定概念をいったん壊してみる。なぜそうなんだろう、本当にそうなのかなと疑問を持つことはすごく大事だなと思います。被害者は日本だけではないと、多角的視点を持つことが大事になってくるのだなというのは、式典やPeace Now!を踏まえて思いました。
Peace Now! Hiroshimaで話し合われた今の議論を、とてもいいなあと思いました。平和をつくるための手段みたいなことを話されたと思います。平和を維持していくためには抑止力もあれば、そもそも武力がないからこそ平和もつくられるのだという、さまざまな意見が出てくると思います。「戦争は本当に悪かったのか」というところから、じゃあどうしたら平和にもっていくことができたのかということを話し合われたかと思います。自分事として考える人たちのシェアが広がるいい議論だなと聞いていて思いました。
実際に「今って平和ですか?」と問うと、一部の人は「平和です」と答える。それはその人自身の価値観なので反対はしませんが、それって平穏と区別できていないんじゃないかと思います。平穏は自分の心が穏やかな状態を指しますが、今って自分の周り、コミュニティの中が平和だから別に行動しなくてもいいと感じる人たちもやはり一定数いるわけです。
そこでPeace Now! Hiroshima 2025で問い直したのは、自分たちの生きている世界だけ、本当に半径数メートルぐらいのところだけを見て、「平和だからそれでいい」と完結していいのか、現実と向き合って考え直そうとしたことはすごくよかったと思っています。参加者アンケートにも、「平和と平穏の区別がついていなかった」という感想が結構あり、そこは「自分が今平和だからいいや」というよりは、「それって平穏だった」「全然平和じゃなかった」とハッとする経験を参加者も持てたかなと思います。私はこのPeace Now!に関わり式典に参列したからこそ、自分の中でまだまだ行動していこう、小さなところからでも頑張っていこうと勇気をもらいました。
僕がPeace Now!や式典に参加してよかったのは、自己満足かもしれませんが、Peace Now! Nagasaki 2025の企画を作る上で長崎市民の想いと一緒になったということです。全国の大学生に長崎に来ていただいて平和について学んだのは、やはり長崎市民の「長崎を最後の被爆地にするのだ」という強い想い、そこに学生も同じ思いを持っていただけたので、式典に参加したことの一番の大きな成果であったかなと思っています。
私たちやPeace Now!参加者は実際に現地を訪れたからこそ、自分たちが未来を創る担い手だと実感したと思うのですが、やはり平和について無関心で、「なんで行動しなければいけないんだ」という人も、まだ一定数いるかと思います。私たちの熱を広げていって無関心な人の心に炎をつけるにはどうしていきますか。
とても大事なことだけど、とても難しい (笑)、というのが正直なところですね。
今までのPeace Now!では私たちから「こういうことを学んでくれ」と一方的な話題提起だったので、参加者から逆に「こういうのを話し合いたいんだ」と自主的な回答を出してほしくて毎回アンケートを取っていたのですが、二日目に「何話したいですか?」と聞いてみたら、「どういうふうにこの後の平和活動につなげたらいいですか?」ということだったので、実際にみんなから聞きたいなと思って。
そもそも無関心な若者ってなんで無関心なんでしょうかね(笑)? どうしたらその人たちに平和について語り継ぎたいという炎がつくのか考えてみたいですね。
きっかけがないと。僕たちは学生委員になったりPeace Now!に参加したりというのもあったけれど。
改めて考えてみると、こうやって今回式典に行かせていただいたりオキタビに行ったりして活動させていただいているのですけれども、こういう活動に関係しない周りの大学生にはそれを気軽に語りにくい雰囲気がありますね。平和とか政治とかについて、皆さんは気軽に話せていますか。
学生委員会も多岐にわたる活動をしているじゃないですか。ひとことカードとか、SNSでバンバン発信したり、健康安全に関する活動をしたりしているのに、平和についてなんで活動できないんだろうと考えたときに話に出たのが、「組合員の変化が見えにくい」という意見でした。例えば、共済の加入率が上がったとかは実際に目に見えるデータがあるけれど、平和については自分が活動したところで、本当にその情報が見られているんだろうか、本当に組合員の意識が変化したのかという指標が見られない。だからなかなか自分から行動に移せない、やっても意味ないんじゃないかというふうに落ち着くと聞きました。
確かに社会的課題についても同じで、平和って人々の意識に左右されるから、測れないのは仕方ないなと思いつつ、自分も思い返すと、周りにPeace Now!やっているとあまり言ってこなかったという事実があります。あまりそこについては考えなかったけれど、今年のPeace Now!のテーマである「戦後・被爆80年の今、私たちが語りなおす」を周りに広げていこうと言っておいて、そういうところを考え直さなければいけないんじゃないかという藤島さんの言葉を聞いてハッとさせられました。
どうしたら周りに火が付くかというのをキーワードにしていたのは、Peace Now!全体も同じです。「行動するハードルをまずは下げたいよね」「偽善活動に見える」というのが声として上がっていて、平和活動をやっているということを言いづらいのは周りからの視線も気にするらしくて、まだそこに自信を持てないようです。
また、行動というとやはり何か成し遂げなくてはいけない、成果を求められている気がする。「勝手にハードルを上げているから落としたいよね」「自分事にはなれてないよね」という意見がすごく出ていました。「戦争は遠い昔話だ」「自分が生きている間にそういう出来事に遭遇しないからいいや」というのと、「難しそうだから、やっぱりどうしても現実から目を背けてしまう」「向き合う時間があったら、自分の自由時間に使いたい」と、そういう気持ちになって遠のいてしまうというのがありました。
参加者の中には学生委員が多く、報告の仕方にすごく悩んでいて、「どうしたら自分事として聞いてくれるか」「どうしたら1年生や次の世代がPeace Now!に参加しようと思うか」と班で話し合いました。一つ学生委員会寄りになってしまうのですが、今すごく熱量が高まっていて「Peace Now!に参加してよかったよね」というモチベーションになっているけれど、現実にはそうじゃない人がいるから、逆に平和無関心とかPeace Now!に行く気にもなれないという人の立場になって考えてみて、どういう報告をされたら自分は平和について考えたいと思うのかを考えてみようということになりました。
例えば「写真を多く用いてくれたら、文字ばかりでなくて聞き入りやすいよね」とか「新学期の提案も文字だけでなく写真や動画とかを多用して説明すると見入って聞いてもらえるから、グループワークで話してみよう」と、そういうきっかけとか機会を設けたら「自分もちょっと挑戦してみよう」と背中を押せるんじゃないかという話が出たので、確かにそれは一理あるなと思いました。
いかに興味を持ってもらうかの種まきとして、まずは話さないと何も始まらないなと思うし、話すこと自体が行動になっているんじゃないかなと私は思ったので、まずは変化した・しないにかかわらず一方的でも発信することに意義があるという感じに落ち着きました。
また、Peace Now!に参加して「なめてました」と最初に言われました。「Peace Now!は旅行感覚で行けるからいいや」というのが学生の本音としてあるけれど、でも実際そうではなくて、本当に平和について考えて、「今ってまだ平和じゃないんだな」と知ったし、「日本だけが被害に遭っているわけじゃない」という事実を知った。
「戦後・被爆80年」という意味は、やはり先人たちが今まで守り続けてくれたから、「今度は私たちが90年・100年と言われ続けるようになる番だよね」と意思統一できたからこそ、「Peace Now!がこんなにすごいものだとは思ってなくてなめていました」と言ってくれて、そういう人が本当に増えたらいいなと思いました。実際に対話しないと分からないと思った次第です。
写真を使って話すという話がありましたが、やはり感情に訴えかけるのが大事だと思いました。戦争で誰が傷つくかというと、人なんですよね。特に沖縄に絡めて話をさせていただくと、ガマという洞窟の中で何カ月間か避難生活をされていた住民の方がいらっしゃるんです。沖縄の場合だとそのガマがまだ何個か残っていますので、その中に入ってライトも消して暗闇体験をすることができるのですが、やはりそこに入ると皆さん唖然とします。オキタビの参加者の多くが言うのは「本当に怖い生活で過ごしていたんだな」ということです。
オキタビは遊びのツアーでもあるのですが、「地上戦ってやってはいけないことなんだな」「この沖縄の旅に参加できてよかった」と、多くの人が学びに興味を持ってくれたのはうれしいです。そのためには、戦争で人がどんなふうに傷ついたかというのを写真などでお見せします。時には写真を見ることで心に傷を負ってしまう方もいるかもしれませんが、過去に何が起きたのか想像できる、それを語り継いでいかなくてはいけないと思うので、周りの人たちに私たちの思いを伝えていくために戦争に感情移入していただく、それが大切になってくると思いました。
平和活動に無関心な人が多いと言われましたが、僕は大学生ってそういうことに関心がある人はいると思います。確かに周りの視線が気になるのも理解できますが、きっかけが大事だと思います。成果が目に見えないということですが、ほかの生協がうまくいっていれば、教えてもらえばいい、一回やってみたらいいと率直に思いました。ガマに入ったりPeace Now!やオキタビに行ったりすれば感じる部分がきっとあると思います。
それから「対話」は、企画を通して伝えるのも対話だと思っています。例えば学内の教室に資料館みたいに展示をして、それを見た組合員がどう思うのか、学生委員や生協職員が知ることです。「どう思いましたか?」「いえ、全然こんなんじゃ分かんないです」。じゃあどうしたら伝わるかを考える。一人じゃできないから、大人が力を貸したりみんなで力を合わせたりして何ができるか考える。我々は式典に参列したりPeace Now!に参加したりしていますが、組合員との対話がそういうきっかけの一助となればと思います。
広島と長崎は、被爆者講話があったじゃないですか。おじいちゃん・おばあちゃんがいらっしゃって話を聞くわけです。我々はまだ先の人生が何十年もあるような感じで暮らしていますが、被爆者の方々はもう生い先短い。そういう中で伝えてくれている方たちを見てどう思いましたか。
長崎は、長崎平和推進協会の方にお願いして、被爆者の方に来ていただいています。その協会と本人に参加者の学習のために撮影の許可をお願いすると、ご本人も「いいよ、いいよ」と。今回話された八木さんという方はスライドを使ったので、そのスライドの様子もしっかり残して未来に伝えていこうと思っています。もう直に聞けるのは、本当の意味で残り数年かもしれないということで、そこを絶やさないようにお願いしました。
広島は今年96歳になる方にお願いしたのですが、講話を聞いて本当に当たり前じゃないことが起こる怖さを率直に感じました。実際に原爆が投下され、数日前までは生きていた人も命を落とし、そのとき永らえても原爆の後遺症によって亡くなった方もいる。原爆症になると、今まで元気だった人が突然出血したり寝たきりになってしまったりということがあったので、「今こうして自分が伝えることが役割だと思ってお伝えしているんですよ」とおっしゃっていました。
被爆者講話は、自分のプライバシーや、時には言いたくないことも話していただいているということがまず本当に有難いことだし、今自分が直接ご本人から聞けていることも本当にもう10年20年したらできなくなってしまうというのは正直やっぱり残念……残念と言っていいのか分からないけれど、言葉は難しいですね。
ご本人の動画も多数アップロードされているけれども、その方の空気感や話し方、身動きは、本当に実際にその場にいた人にしか分からないので、そこをわざわざお越しいただいて感謝しています。
でもすごくお元気で、慣れとか経験とかもあると思うのですが力強く話されて、本当に96歳とは思えない方でした。被爆者講話は45分の予定だったのですが、1時間半くらいになってしまって。ノンストップで水も飲まずに話し続けてくださったのが本当にすごいことでした。アンケートでも「立ち合えてよかったです」とありました。
でもその方が何年後かには亡くなってしまうのかと思ったら、ご本人から伝えられるということはもうなくなると思うのですが、でも被爆者講話を受け継ぐ団体(広島県原爆被害者団体協議会)からどんどん広がっていくんだろうな、つながっていくんだろうなと思っています。被爆された方がいなくなってしまうというのは事実だと思いますが、でも記憶としてはちゃんと継承されていくのだなと思うので、その記憶は引き続き大事にしたいと思います。
長崎の被爆者講話でも全く同じことをおっしゃっていて、伝えていく責任があると。その方は被爆の遺構が残っている城山小学校で先生をされていて、先生を引退されたときに、被爆者の先輩から「これからは伝えていくのが君の役割だよ」と言われ、納得して残りの人生をかけて過去に起きたことを自分の言葉で伝えていくのだとおっしゃっていたのが印象的でした。
オキタビでは戦争経験者のお話を聞く機会はなかったのですが、1年生でPeace Now! Hiroshima、2年生でPeace Now!
Nagasakiに参加させていただいて、どちらも被爆者講話を聴きました。お二人が話されたようにどちらの方も「伝えていかないけないといけない責務が私にはある」とおっしゃっていました。原爆後遺症ってつらくて、ずっと被爆のことを伝えることができない、難しいと言う方もいる中、過去を二度と繰り返させないために、次の世代に自分の経験したことを語り継いでいかれるのはやはり心強く、僕もその思いを聞いていて引き継いでいきたいなと心に強く感じました。
沖縄では戦後80年で地上戦を実際に経験された方はやはり少なくなってきてはいるのですが、ただ一方で戦後のアメリカ統治下の生活を経験された方の話というのはまだ聞けるのですね。実際に今回はそういう方の想いを聞いて、やはり強い印象を受けました。
実際にその方が沖縄市のガイドをしてくださったのですが、「嘉手納基地の周辺の市町村では基地に反対とか賛成とか言わないように。私は過去にあった事実を伝えることを大切にしている」とおっしゃっていたのですが、やはり実際に体験された方の思いを引き継ぐのは大切だなと思いました。
ただ事実を伝えると言っていた一方で一つだけ許せないこともあると言われました。それは米軍の横暴で、いろいろと過去に事故があったのですが、沖縄で米軍が好き勝手やることだけは許せないという市井の想いも聞くことができました。そういう意味では沖縄はまだ現地の方に聞けるところがあるので、そういう方の想いを聞き、大切にしていくべきだと重ねて思いました。
沖縄で資料館の見学が高校生の修学旅行団体と被ったと聞きました。当日130人くらいいたので資料館内でも話し声がうるさかったと。それでうちのPeace Now! Okinawaの参加者もじっくり静かな環境で聞きにくいだろうなと運営側は思ったそうです。高校生、我々とたいして変わらない若者のくくりなのに、何が違うんだろうと思いました。
何が違うのか。沖縄特有なのかなと思うのですが、沖縄の地上戦の事実って教科書にほとんど書かれてないじゃないですか。実際1、2行くらい。多分高校生は実際に資料館に展示されている、人が殺されている写真とか、そういう事実を事前に知りようがない状態で来ている、と思います。広島と長崎にもし高校生がいたらどんな感じなのかなというのを教えてもらいたいですね。大学生だとある程度は沖縄の地上戦を学びたいなどの意識でPeace Now! Okinawaに参加する人が多いと思いますが、やはり高校生だと、教科書の2行が行くときの動機になるのか、という教育的な面もあったりするのかと思いました。
確かにそれはあるかもしれない。それこそ自分も高校の修学旅行で長崎に行ったときと、今年Peace Now!で長崎に行った時の違いは、自分から行くかそうじゃないかの違いはあると思いますが、修学旅行の記憶なんて本当に何もないんですよ。被爆者講話を聴いたことと記念像を見たこと、もちろん原爆資料館に行ったこともあるのですが、Peace Now!ほどちゃんと考えていなかった。修学旅行の一日とか半日の一つの出来事に過ぎなかったんですよね。
沖縄の修学旅行生がどうだったかは分かりませんが、Peace Now!に参加している学生は生協の学生委員として行っているので、そこにやはり意識の違いはあるのではないかと思いました。
実際に参加者にアイスブレイクで、被爆者講話とか平和記念資料館に行ったことがあるかというテーマで話し合ってもらったのですが、やはり行ったことがあるという人は小中高の修学旅行で、でも記憶があるかと言われたら「ない」と言います。私がそうでしたが、修学旅行では平和以外にも観光がメインになるんじゃないかな? 修学旅行でどこかの資料館の見学があったけれど、それよりディズニーランドやUSJに行くような感覚でワクワクのほうが大きくて、学びの要素は退屈だなあとちょっとネガティブに感じてしまい、早く終わらないかなとスマホを見たり友達と違うことを話したりしていた記憶があります。
でも、Peace Now!は最初に実行委員会が事前学習もやっていたので、体験型プログラムなんだ、遊びじゃないんだということをちゃんと伝えているからこそ、参加者も学ぶ姿勢が無意識に形成されていると思います。実際に当日の広島の資料館は修学旅行生があまりいなくて、外国人旅行客のほうがむしろ多く、翻訳イヤホンをつけて聞いていて厳かな雰囲気でした。
修学旅行でも真面目に学ばせている学校もあると思いますが、導入が違う可能性があるのではないかな? その資料館に入るときに先生から「見てこい」と言われるのと、クラスの人が「こういうことが分かるから行ってみようよ」と言われるのとでは全然違います。そういう意味で言うと、Peace Now!は同年代が、これが注目ポイントで、こういう部分を通して自分たちの生活を考えていくんだという話を先にしているわけじゃないですか。それが違いになると思います。
確かに広島に関しては、一回下見に行き、企画を作り上げる実行委員が平和記念資料館を訪れます。実際にPeace Now!で見学できるのは1時間半しかとれなかったので全部を見切るのは大変だし、初めて行く人も多いので、どこを見たらいいのか分からない。それで事前に実行委員から平和記念資料館に関する事前知識や見るポイントを伝えて、最初はすごく心にダメージを負うような展示もされているけれど、そこだけに注目するのではなく、最後のほうには広島の前向きで明るくはないけれど着実な歩みがあったところとか、原爆の脅威についても触れられているから、そこも見ようねと伝えたら、ちゃんと時間内にみんな見終わっていました。
そういう資料館見学に行く前の意識づくりとして、Peace Now!
Hiroshimaではメモ書きを用意するのではなく、見るポイントを散りばめられるように意識していたと思います。「この後感想交流するからね」と念押しは確かにしていましたし(笑)。
長崎は、事前に見るポイントは押さえてなかったけれど、行く前に僕がみんなに伝えたいと思ったことを言いました。原爆投下だけを切り取るのではなく、それまでの人々の生活があるのをまずは知ってもらって、45年8月9日の朝までの長崎の人々の気持ちになって、その人がどんな経験をしたのか、資料館やフィールドワークに行ってちゃんと考えてみようという流れにしました。
長崎は遺構がたくさん残っているから想像がしやすいと思いますね。オキタビの代表者派遣の場合は、事前学習会で戦争や平和について学ぶというプログラムです。広島と長崎は原爆投下があり平和学習の意味が強いと思いますが、やはり沖縄は地上戦であるということで視点が違ってきます。それがどういう戦いなのかということを事前学習会で想像させるような話をしたというのが一つポイントなのかと思います。
僕が去年Peace Now!
Okinawaの実行委員をやったときは、初日に沖縄の資料館に行って、そのあと僕の企画をやって、その次にフィールドワークに行くという順番でした。やはりフィールドワークを有意義な時間にするためには、その場所で一体何があったのかということをある程度は伝えておくのが必要かなと思います。沖縄の場合、資料館に写真などがたくさんあるので想像しやすいですし、ガマで当時の様子を体感することができるのが特徴なので、事前に学ぶことの意味、動機付けはできていたと思います。
学習への導入の工夫という面では、実際に現場に行ったときにある程度の事前知識があるからこそ想像しやすいということで、感情移入とか想像が一つポイントになってくると思います。見て分かることは先に伝えておいて、現地で実際に見たときに備えるというのは意識しました。
私たちは、今は運営側で学びを語っているけれど、2、3年前にさかのぼるとみんな参加する側でした。昔は今ほど知識はなかったと思うけれど、今は運営する側で知識もある状態で式典に行っているじゃないですか。この知識があったから式典でこういう話が聞けて良かったという感覚ってありましたか。
式典の参加の仕方が違っていて、長崎市民と思いを一つにするんだという意識で僕は行かせてもらいました。一般的な式典ではないけれど、聞いて共感できる部分はある。長崎市民じゃなくて地球市民として想いを一つにしようという、その確認の場である、そういうことを感じることができた式典でした。
沖縄の場合は、やはり僕が参加した体感でいうと、あまり沖縄の歴史と今の実情を知らない人が参加すると、素直に驚くのだろうなと思いました。首相の演説中に言葉を飛ばす人も、米軍の方に声を上げる人もいて、式典の最中も会場の外でデモのような、何かしら音が聞こえてきて、会場の中では何に対するデモなのかよく分からなかったのですが、やはりいろいろな主張をされている方がいるというのは正直驚くと思います。
僕はある程度の知識があり、基地に反対している人がいるとか、それでも共存している人もいるとか、そういう思いを知っていました。それで、慰霊の日にはこうなるのだなというのは予想できましたが、初めて参加する人はびっくりするだろうと思います。でも逆にそのびっくりは学ぶきっかけになるのだと思います。
私はそんなに知識をつけて行くとか、逆に知識がないまま行ったとしても変わらないと正直思っています。感じることはやっぱり人それぞれだし、知識をつけたとしても当日何を話されるかはそこにいないと分からない。そこで聞いて初めて知識の有無は発生すると思いますが、感じるものは人それぞれ対等なんじゃないかなと正直思っています。
冒頭に戻るのですが、式典前に話しかけてきてくれた一つ上の方と一緒にそのまま式典を見たんですね。その人は私みたいに平和について学習しているというわけではなく、茨城か千葉出身の方で、「平和教育受けましたか?」と聞いたら、「いや、そうでもないよ」と隠さずに話してくれていて、本当にふらっと来たという感覚で、特に知識も何もないですという感じの方でした。
その方は参列中ずっと目を離さず、すごく真剣に聞かれていて、式典終了後に「どうでしたか?」と聞くと「すごく貴重な機会だったよ、考えさせられることはたくさんあったよね」と話されて、確かに私も事前知識があるけれども実際には初めて行ったからこそ共感したし、考えさせられる機会だったと思ったので、事前知識の有無は本当にちっぽけなものだったと思います。
式典に行くのはそんなに難しいことじゃないですよね。
そうそう。私は率直にこの座談会を開いてよかったと思います。情報はネット上で飛び交ってはいるものの、実際のところどうなのかというのは対話しないと気づけない部分はあります。今回3地域に行った方と対話してそれぞれ感じたものとか共感するものもあったし、初めて聞いてハッとさせられたことも私的に多かったと思います。
でもやはり改めて思うことは、三人共通に私たちが本当に平和を託されているんだなということです。私たちがほかの人たちに与えるきっかけ、種をまく側になっています。若い力にはすごいエネルギーがある。その熱を今度は私たちが拡げていく番ですよね。引き続き私たちが体験したからこそつなげていく役割も担っているので、この座談会をして終わりというわけではなく、地域や身近な人たちに伝えていき、私たちも小さな一歩から積み上げて広げていきたいなと強く思いました。
今日の座談会は以上にしたいと思います。皆さんありがとうございました。
漆崎・西谷:ありがとうございました
(2025年9月14日 大学生協杉並会館にて)